日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

アラビア書道の筆(カラム)を初めて自作

2005年07月21日 06時03分24秒 | アラビア書道
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)15日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)


左側が自作の筆。右は先生からいただいた小筆。

 先週の木曜、今週の火曜と、書道(日本の)をやっている知人からいらなくなった筆をもらい、アラビア書道用の筆作りに挑戦した。

100円ショップで買ったカッター(さりげなくダシャレ)で、キコキコと筆先を根元から落とし、少しずつ削りながら形を整え、紙やすりで仕上げる。所要時間約30分。一丁前の職人にでもなった気分。筆先を平らにするのが意外と難しかった。

先生考案の筆だと、筆先にひと工夫もふた工夫もあるのだが、そこまではできない。素朴なものながら初めての自作筆という、それなりの満足感がある。

 さっそく字を書いてみる。「アル・ハムドゥ・リッラー・ラッビ・ル・アーラミーン(アッラーに称えあれ、万世の主)」(冒頭の写真)。デキはとにかく自分の手にはなじむ。

そういえば、以前読んだ『アッサラーム』誌の31号(イスラミックセンター・ジャパン発行・1984年)の記事「聖典のカリグラフィー」の中に、エジプトのサアダウィー師のこんな言葉が載っていた。

 「私たちは、何故アラビア文字を書くのか。聖クルアーンを書くのか。一字一字が、信仰だからではないか。ただ形が美しければよいというものではない。神は常に、私たちが内面で意図するものを御覧になるのだ。かつて、書家たちは、一字たりとてゆるがせにしなかった。聖クルアーンを書く書家にとって、一字の誤りさえ“大罪”とみなされていたものだ」

ついつい「ただ形が美しければよいというものではない」という都合の良い部分に目が言ってしまうのが情けないが、自分で筆を作り(古筆の再利用だけど)、一字ずつ書くという行為が信仰であると実感できた。
 いつかは、材料の竹や葦の切り出しから始めて筆を作ってみたいものだ。

ふう、ついに途切れちゃったなあ…

2005年07月20日 22時44分05秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)14日 ヤウム・ル・アルビアーイ(水曜日)


 参ったなあ。毎日更新していたのに、ついに昨日途切れちゃったなあ。
 いきなりコンピューターが故障。OSの突然死だもんなあ。多くのデータが吹っ飛んだ。DVD-RAMへのバックアップ中の故障だったので、被害は甚大だ。DVD-RAMも壊れましたぜ。そんなことあるんだねえ、買って1年経ってないのに。

 私も青くなったけど、実は私以上に青くなる人もいるだろうなあ。仕事のデータ、頼まれていたデータ、代わりに保存しておいたデータなども、ぜーんぶ消えてしまった。

 でも、これもアッラーの御意思ということですな。そもそも世の中のすべては、神によって「無」から作られたのだから、何が無くなろうと、再び「無」に帰っただけの話。
 すみませんが、関係者の方はそう思って勘弁してください。ごめんね。

 修理には10日以上かかるということで、それじゃあ仕事にならないので、仕方なく新しいコンピューター買いました。最近はノートでも100ギガなんだね。
 それにしても設定やソフトのインストールで時間かかったなあ。
 
 データを再現できるように極力努力はするけど、最後はイン・シャー・アッラーということで。
 ついでに、「筆王」のデータも消えたので、関係者は住所・電話番号・メールアドレスなどを連絡してもらえるとありがたいです。

 まあ、過ぎたことは仕方ない。朝青龍の連勝も止まったことだし(関係ないか)、また今日から仕切りなおしだ。


ハーフィズへの遠き道のり・9/「第81章/第82章」と甲斐バンドの名曲「HERO」

2005年07月18日 10時34分51秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)12日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)


 「第81章・包み隠す章(マッカ啓示・29節)」と「第82章・裂ける章(マッカ啓示・19節)」は好きなスーラ(章)である。

 アラビア語のリズムも良いのだが、前半の内容が昔好きだった甲斐バンド(年代がバレるな…)の「HERO」という曲の後半を思いだし、なんだかノスタルジックな気持ちになる。

第81章・包み隠す章〔アッ・タクウィール〕
  1. 太陽が包み隠される時、
  2. 諸星が落ちる時、
  3. 山々が散る時、
  4. 孕んで10ヶ月の雌駱駝がなおざりにされる時、
  5. 様々な野獣が(恐怖の余り)群をなし集まる時、
  6. 大洋が沸きたち、溢れる時、


第82章・裂ける章〔アル・インフィタール〕
  1. 天が、微塵に裂ける時、
  2. 諸星が散らされる時、
  3. 諸大洋が溢れ出される時、


HERO 〔甲斐バンド〕

HERO 空はひび割れ
HERO 太陽は燃え尽き
HERO 海は枯れ果てて
月は砕け散っても


 こうやって並べると「何だそんなに似てないではないか」という人もいるかもしれないが、イメージが大切である。とにかく最後は大自然が吹っ飛ぶのだ。
 「どんなことでもとにかくクルアーンを暗記する一助になればいいかな?」と勝手に納得しながら、終末に思いをはせつつこの週末を過ごした。
 すみません。最後はくだらないシャレで落としてしまいました。

誰か教えてください
word2003のアラビア語モードで、ワスラ記号を出すにはどうしたらいいでしょう?
また、垂直ファトハ記号(アの長母音)は出ないのでしょうか?
どなたかご存じの方教えてください。


日頃のご愛顧(?)に感謝して、シリア・レバノン・ヨルダンから絵はがきを送ります

2005年07月17日 11時29分20秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)11日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日)


 ブログ開設から2ヶ月が経った。
 なんだか意地で毎日書いているような気がしないでもないが、自分にとっては、このブログはとても大切な存在になっている。

 読み返してみると、「自分なりに結構いろいろ考えたり、やったりしているんだなあ」としみじみ思ったりできるしね。
 書いて後悔しているモノもあるけど、恥ずかしくても自分の足跡なので削除はしない。
 若くないので「若気の至り」という言い訳ができないのがツライところだけど。
 
 それより何より、思った以上に多くの人に訪問してもらったことがとてもありがたい。
 ときには「クッソー! 読まなきゃ良かった。時間のムダだった」と思われる記事にあたった不幸な方々もいるに違いないが、ご愁傷様としかいいようがない。
 でも、懲りずにまた訪問してね。

 で、「ブログ開設2ヶ月記念・ご訪問感謝企画」を考えた。

 8月4日からシリア・レバノン・ヨルダンの旅に行くので(ツアーだけど)、希望される方には、この三カ国のどこかから絵はがきを送ります。詳細は以下の通りです。

  1. 次のメールアドレスに、8月1日までに、住所・宛先を連絡してください
     →isharq@mail.goo.ne.jpです。あれ? リンクしないなあ。(不快なイタズラメールはやめてください。楽しければイタズラでもいいです。)
    後日、確認メールを返信します。

    当たり前ですが、個人情報は他にはいっさい伝えず、私の心の奥深くに美しい思い出としてしまい込まれます。
    本名がバレるのはどうしてもイヤだけど、手紙は欲しいというアナタは、なにかいい作戦を考えてください。でも、無断で他人の住所や名前を使うのは絶対やめてね。
    もっとも、差出人も受取人も仮名という手紙を受け取ってうれしいかどうかは微妙な気もしますが。

  2. すみませんが、差出人は単に「イスハーク」になると思います。既に私の友人や知人の方には本名で出します。
    アナタが私を友人と思っていなくても、私が一方的にアナタを友人と思っている場合もあるのでご了承ください。

  3. どこの国から出せるかわからないので、約束はできませんが、リクエストがあったら連絡してください。内容についてもリクエストがあったらどうぞ。

  4. 切手代やはがき代など、一切費用はかかりません。

  5. 応募者多数の場合は想定の範囲外です。そんなことはありえませんので、希望する方は安心してください。
 みなさまの応募をお待ちしています(ゼロだと寂しい。笑えるけど)。  それでは今後も「アナー・イスミー・イスハーク」をよろしくお願いします。

ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)10日 ヤウム・サブティ(土曜日)

ディープな10カ国語に対応。ケースが定期入れと一体化しているのもナイス。

 アラブイスラーム学院に注文しておいた電子辞書がようやく届いた。
 5月初めに注文したとき「今月の末には来ると思います」ということだったので、予想通りほぼ2ヶ月の遅れで到着だ。
 アラブの機関を通して、中国に注文というルートを考えればむしろ早いくらいだな。

 さて、10カ国語である。辞書に記してある順に、
 英語・中国語・日本語・ギリシア語・アラビア語・フランス語・スペイン語・韓国語・トルコ語・ロシア語。
 う~ん、たまらん! どういう購買層を期待しているんだかまったくわからないところが素晴らしい。
 日本製だったらおそらく入ったであろう、ドイツ語とイタリア語は無念であろう。

 さっそく使ってみる。購入した目的はアラビア語辞書なので、まず日本語をアラビア語に訳してみよう。

 まず「本」と打ち込む。كتاب とちゃんと出た。

 次に「紙」を訳そう。「K・A・M・I」と打ち込むと、「神」しかない。当然 الله と出る。

 でも「紙」を調べたい。カーソルで前後の候補を選べるらしい。後ろの候補は…「かみそり」か。では前の候補はどうだ?…「我慢できない」
 何をだ!? 語句の選定はどうなっているのか?

 動詞はどうだろう? 「食べる」と打ち込み、アラビア語に翻訳。 ياكل と出た。

 他の単語でも試してみたが、動詞は「未完了形・三人称単数男性形」で表示されるらしい。
 
 アラビア語については、次のような点が厳しい。

1.シャクル(母音記号など)がいっさい表示されない上、ラテン文字への転写がいいかげん。

 ياكل は「YAKOL」だしなあ。


2.アラビア語の動詞を調べる場合は、未完了形・三人称単数男性形に直してから打ち込まないと訳語が出ない。
 例えば كتب では訳してくれないので、 يكتب  と打ち込まなくてはならない。

3.訳が必ずしも1対1対応になっていない。例えば、日本語で「食べる」と打ち込むと
アラビア語で ياكل と出るが、アラビア語で ياكل と打ち込んでも

「食べる」という日本語が出ない。

そもそも候補の語彙にياكلもاكلも無い。

4.名詞の複数形、形容詞の不規則な女性形・比較級、動名詞などの発展した情報はいっさい出ない。例文も無い。

5.名詞で調べても動詞で出たり、その逆もある。

6.音声が何人か不明。アラブ人にしても国によって発音違うしなあ。少なくとも、きちんとしたフスハーには聞こえない。

 結論。「文章を読んだりする際にはあまり役に立たない」。
しかし、使い道が無いわけではない。本領を発揮するのは「フレーズ」、つまり場面別の会話集の方であることに気がついた。こちらにいろいろとツッコミを入れて楽しむのが王道のようだ。
 ということで、どんな風にツッコミを入れたのか少々紹介しておく。

◆「ごめんなさい」を、「ごめんなさーい」という、人を小馬鹿にしたような読み方するのはやめなさい。外国人がこのままの発音で覚えたら不快だぞ。

◆それまで甲高い男の声だったのに、「お世話になります」という例文だけ、野太い声の声になっているのはなぜだ!?

◆「ちょっとブラブラしているだけです」という例文の音声が「ちょっとブルブルしているだけです」になってるぞ。勝手に震えていてください。

◆日本料理の「おわん物」を「うぉわゎぁんもの」と震えながら読むんじゃない! コワイじゃないか。

◆洋食のメニューの日本語に「ビフテキ」ってあるけど、いまどき使わないだろう、こんな言葉。

◆「商人」の発音が「チトーニン」になっているぞ。

◆「人間」>「人種」のカテゴリーに「赤色人種」ってありますけど…。

◆ミャンマー(旧ビルマ)の音声が「ブルマ」だしなあ。

◆「食べ物」>「味」のカテゴリー。「山羊のような臭い」「脆(もろ)い」。たぶん、味を説明するのに使わないと思う。

◆「社会」のカテゴリーの語句を順番に見る。資本主義→共産主義→帝国主義→自由→民主主義→革命→国連→赤十字→マフィア
どういう社会のとらえ方をしているのか、中国人!?

 何の必然性も無く、「すきやき」という言葉を、各国の人が発音してくれるも楽しい。フランス人やアラビア人、トルコ人がみんなで「スキヤキ」と言っている。
 各国の「スキヤキ」を連続で聞いていると、なんだかウキウキしてくる。

 というわけで、Hans WehrだのMawridだのという「きちんとした」辞書とは別の世界の電子辞書のお話でした。愛用しようっと!

ロンドン自爆テロ実行犯18歳…思わず読み返した一冊の本

2005年07月15日 10時01分04秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)9日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

このあどけない表情の少年の「将来の夢」とは…?

 ロンドン同時多発テロの実行犯の正体が明らかになってきた。

 18歳の少年、22歳の青年、幼い子供を持つ30歳の男性…。言葉で表せる感情には限界がある。「悲しい」とか「残念」という言葉では汲みきれない感情がある。

 以前読んだ一冊の本を思い出し、読み返した。
 『正直な気持ちを話そう』(八木健次:撮影・著、たちばな出版)。

 写真家の八木氏が、パレスチナとイスラエルの若者45人にインタビューをし、彼らの写真を添えた本である。

 パレスチナ問題はさまざまなメディアで紹介されているし、学校の授業などでも取り上げられる。そこでは民族、宗教、歴史的経緯について説明される。
 しかし個人が見えない。特に若い人々が、将来を含めて何を思うのかがまったく見えない。
 この本は、そんな隙間を埋めてくれる貴重な一冊だと思う。

 表紙の少年ユセフ・カディブは14歳の中学生。パレスチナ人でイスラム教徒。
 彼は「将来の夢は何か?」という質問に対して「自爆」と答えている。
 決して、青臭い英雄幻想などではない。彼は7歳から、イスラエル軍に対する投石を始め、今まで25回撃たれている。友人が目の前で撃たれ、彼の膝の上で死んだこともあるそうだ。

 銃で25回撃たれ、ジープにひかれ、自白剤を飲まされて拷問を受け、目の前で友人を撃ち殺された中学2年生。日本ではあり得ない。
 彼の「将来の夢」を「それはいけないことだよ」と諭す自信は私には無い。だけど、彼の「夢」が実現すれば、罪のないイスラエルの人々がたくさん死ぬのも確か。
 何とも言えない閉塞感。

 パレスチナ人の怒りの矛先はイスラエルだけはない。自分たちを助けようとしなかったアラブ諸国に怒る15歳の女子中学生、「世界の沈黙」こそが悪いという18歳の無職少年など。

 イスラエルはイスラエルで、複雑な思いを抱えながら若者たちが生きている。
 人間の愚かさを冷めた目で見る無宗教の少女、世界に600人しかいないサマリア人の青年、パレスチナ人を弾圧したくないために兵役を拒否して投獄された18歳の青年、イスラエルで生まれ育ったアラブ人キリスト教徒の少女。

 ひとりひとりのにそれぞれの人生があり、思想・感情がある。

 ロンドンで自爆した18歳の少年は、どのような人生を送り、どのような思想・感情を持つに至ったのか? 
 もしかしたら、彼も自分の思いを「吐き出す場」があれば、あんなことをしなかったのではないか?
 この本を読んでいるうちに、そんな思いがこみ上げてきた。 

ハーフィズへの遠き道のり・8/第101章の訳について

2005年07月14日 06時19分00秒 | 『クルアーン』
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)8日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日)

 第100章から第114章までの暗記がほぼ終わった。全体量からすれば微々たるものだけど、「3ケタの章が終わった」ということで、気分的にはひとつの区切り。

 それにしても、訳の難しさを感じるのは、第101章だな。

اَلْقَارِعَاةُ


 (アル・カーリア)というタイトルだが、日本で出版されている三つの訳を見ると、タイトル・第1節の訳がだいぶ違っている。
 
 日本ムスリム協会の『日亜対訳 注解 聖クルアーン』だと、「恐れ戦(おのの)く章」だし、井筒俊彦訳の岩波文庫の『コーラン(下)』では「戸を叩く音」、『世界の名著 コーラン』だと「叩く音の章」になっている。

 タイトルについて辞書を引いて確認。『初級パスポート アラビア語辞典』にはさすがに載っていない。

語根は 
ق ر ع
  (QR‘/カ・ラ・ア)かな?


 と「あたり」をつけて、まずは『現代アラビア語小辞典』(池田修・竹田新)を引く。

قَرَعَ


の項に「叩く、打つ、(鐘を)ならす」という訳がついているなあ。

次に『HANS WEHR ARABIC-ENGLISH DICTIONARY』Edited by J M.COWAN』→『ジーニアス英和大辞典』という流れで確認。

قَرَعَ 



knock…「〔戸などを〕トントンとたたく」
    「〈ひざが〉(恐怖で)がたがた震える;〈心臓が〉どきどきする」
beating…「打つ[たたく]こと」「打ち破る」「(罰としてむちで打つ)」

そうか、「叩く」のは確かなようだ。それに「震えるような恐怖」というニュアンスもある。
もう少し読み進めると、

القارعة 

the hour of the Last Judgment 「最後の審判」という訳があっさりと載っていた。
そうか、最後の審判の日の恐ろしい様子を、日本語でどのように表現するかで訳者の方々は苦労されているわけだな。

 日本語と違って、アラビア語って1単語の情報量が多いから、訳すのは本当に大変だと思う。
 それだけに、早くアラビア語で『クルアーン』をすんなり理解できるようになりたいものだ。

【ノート】
『日亜対訳 注解 聖クルアーン』日本ムスリム協会
101 恐れ戦く章〔アル・カーリア〕 マッカ啓示・11節
1.恐れ戦(おのの)く日(最後の審判)
2.恐れ戦く日とは何か。
3.恐れ戦く日が、何であるかをあなたに理解させるものは何か。
4.(それは)人間が飛散する蛾のようになる日。
5.また山々が、梳(す)かれた羊毛のようになる(日である)。
6.それで、かれの秤(はかり)が(善行で)重い者は、
7.幸福で満ち足りて暮らすであろう。
8.だが秤の軽い者は、
9.奈落が、かれの里であろう。
10.それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。
11.(それは)焦熱(地獄)の火。


『コーラン(下)』井筒俊彦訳、岩波書店
101 戸を叩く音 -メッカ啓示、全八節-
1.どんどんと戸を叩く、何事ぞ、戸を叩く。
2.戸を叩く音、そも何事ぞとはなんで知る。
3.人々あたかも飛び散る蛾のごとく散らされる日。
4.山々あたかも毟(むし)られた羊毛のごとく成る日。
5.秤が重く下(さが)った者には いと心地よい生活(くらし)があろう。
6.秤が軽くはねた者には 底なしの穴が母となろう。
7.が、さて、底なしの穴とはそもなんぞやとなんで知る。
8.炎々と燃えさかる火の謂い。


『世界の名著 コーラン』責任編集:藤本勝次、中央公論社
101 叩く音の章 〈メッカ啓示 全11節〉
1.叩く音、
2.叩く音とは何か。
3.叩く音が何であるかを、何が汝(なんじ)に知らせるか。
4.人々が、散らされた蛾のようになり、
5.山々が、むしられた羊毛のようになる日のこと。
6.目方の重い者には、
7.愉悦の生活がある。
8.目方の軽い者は、
9.奈落を母とする。
10.それが何であるかを、何が汝に知らせるか。
11.焦熱の火である。

سورة القارعة 101
بِسْــــــــمِ اللهِ الرَّحْمـَـنِ الرَّحـِيمِ
اَلْقَارِعَةُ 1
مَاالْقَارِعَةُ 2
وَمَآ اَدْرَئكَ مَا الْقَارِعَةُ 3
يَوْمَ يَكُونُ النَّاسُ كَا لْفَرَاشِ الْمَبْثُوثِ 4
َوتَكُونُ الْجِبَالُ كَــالْعِهْنِ الَْمَنفُوشِ 5
فَأَمَّا مَن ثَـقُلَتْ مَوَزِينُهُ, 6
فَهُـوَ فِى عِيشَةٍ رَّاضِيَةُ 7
وَأَمَّا مَن خَـفَّـتْ مَوَزِينُهُ, 8
فَأُمُّهُ,هَاوِيَةٌ 9
وَمَآ أَدْرَ ئكَ مَاهِيَه 10
نَارٌ حَامِيَـةٌ 11

 word2003だと、クルアーン通りの表記で打てない部分があるなあ…。

101 スーラト・ル・カーリア
ビスミ・ッラーヒ・ッラフマーニ・ッラヒーム
1.アル・カーリアトゥ
2.マル・カーリア
3.ワ・マー・アドラーカ・マル・カーリア
4.ヤウマ・ヤクーヌ・ンナース・カルファラーシ・ルマブトゥートゥ
5.ワ・タクーヌ・ルジバール・カルイフニ・ルマンフーシ
6.ファアンマー・マン・タクラトゥ・マワージヌフ、
7.ファフワ・フィー・イーシャティンッ・ラーディヤ
8.ワ・アンマー・マン・ハッファトゥ・マワージヌフ、
9.ファウンムフ、ハーウィヤ
10.ワ・マー・アドラーカ・マー・ヒヤフ
11.ナールン・ハーミヤ

愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記12/イラン

2005年07月13日 06時31分46秒 | 愛知万博・イスラム系パビリオン訪問記
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)7日 ヤウム・ル・アルビアーイ(水曜日)
イラン館公式HP
 
イスラム系パビリオンの中では客の数がとても多い。


 久しぶりの「愛知万博」である。ペルシア語の勉強も始めたことだし、今回はイラン館だ。

 と意気込んでみたものの、たいしたことが書けない。記憶が薄れつつあるし、「どうだぁ! 君たち日本人が想像する通りのイランだろう!?」という感じのパビリオンだからである。

 ええと、ペルシア絨毯がいっぱい展示・販売されていました。高くて買えませんでした。
 それから、茶も売っていました。茶自体よりもカップの珍しさに惹かれて1杯注文する人が多かったようです。

 なんかの仕掛けみたいのもあったような気がするけど、よく覚えていません。
 他のパビリオンにも言えることなんだけど、技術などを紹介する場合、ただ機械の一部を展示するのではなく、なにかひと工夫欲しい。よくわからないし、記憶に残らないんだよねえ。

 パビリオンの外観はアケメネス朝ペルシアという雰囲気でした。
 「イランは高度な文明が芽生えた地」ということが、日本ではあまり知られておらず、イランの人々の微妙なくやしさみたいなものを感じることがある。

 でも、同僚に「ペルシアってどういうイメージがある?」と尋ねたら、「絨毯とかネコとか高級な感じ」と言っていました。
 ただし「ではイランというと?」と質問を変えると「う~ん、思いつかない…」と悩んでいたのが残念です。

 もしかしたら、イランとペルシアが結びつかない日本人って、自分が思っているより多いのかなあと感じました。

 というわけで、イラン館はがんばってください。ことの成り行き上(?)、微力ながら私もさまざまな機会にイランをもっとアピールしたいと思います。

エジプトの女子大生からの手紙

2005年07月12日 06時25分18秒 | イスラムライフ
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)6日 ヤウム・スラーサーイ(火曜日)

1年で2通のスローペース

 エジプト行きの飛行機の中で知り合った、エジプト人女子大生から、昨日手紙が来た。

 昨年8月、エジプトエアの中でハラール食(ムスリム用の食事)を食べていると、後ろの席の女子大生二人組が興味津々で話しかけてきた。
「あなたムスリムなの?」
 とてもきれいな日本語だ。

 二人はカイロ大学の学生で、日本の拓殖大学に1年間留学した帰りだった。
 二人とも名前を「ディーナ」と言う。

 ひとりは金髪にパーマ、紺色のオーバーオールを来て元気いっぱい。アメリカの牧場にいそうな感じの娘(?)。仮に「ダイナミック・ディーナ」と名付ける。
 もうひとりは、グレーのスカーフで髪の毛をすべて隠し、黒いガラベイヤ(エジプトの民族服)を着て物静か。こちらは「サイレント・ディーナ」である。

 エジプトの歴史やイスラームについて、飛行中いろいろとお話した。日本語がうまいので助かる。特にダイナミック・ディーナはよくしゃべる。

 「日本語うまいねえ」
 「ペロペロでしょ!」
 「……。」

 微妙だ。

 彼女たちとは住所とメールアドレスの交換をして、カイロの空港で別れた。
 しかし、彼女たちとてアラブ人、手紙が来るとは微塵も期待していなかった。

 ところが、半年くらいして、サイレント・ディーナから日本語の手紙が来た。「お元気ですか? 私は元気です」式の、フツーの手紙である。

 でも、やはりうれしかったねぇ。こちらも速攻で…と言いたいが、だいぶ遅れて返事を書いた。
 辞書と格闘しながらアラビア語で書いた、初めての手紙だった。意味が通じるか不安なので、一応日本語も添えたけど。
 私が住んでいる地域の風景の写真なども同封。

 あれから数ヶ月。昨日仕事から帰ると、ポストの中にエジプトからの手紙を発見。
 今回は、サイレント・ディーナの写真が入っていた。日本に留学中に長野で撮ったものだそうだ。
 手紙はアラビア語、日本語両方入っていた。こちらのスタイルを真似してくれたらしい。

 それにしても、封筒のファンシーなシールといい、カラーペンでの文字といい、感覚は日本の女子高生や女子大生と変わらない。

 最初、手紙の雰囲気だけ見て、ダイナミック・ディーナの方かと思った。
 物静かで敬虔なイスラム教徒であっても、普段の感覚は「やはり若い女性なんだなあ」と感じられるところがとてもうれしかった。
 
 イスラム教徒は特殊な存在ではない。世界的に見れば「どこにでもいるフツーの人々」なのだ。
 
 「コワイ」とか「日本人とはかけ離れた存在」という偏見を完全に払拭するためにも、ダブル・ディーナたちのようなイスラム教徒もいるということを、もっともっと知ってもらいたい。
 手紙を読みながら、そんなことを考えた。

ちょこっとペルシア語をかじってみた(ひとくち分くらい)

2005年07月11日 06時24分47秒 | 未分類
ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)5日 ヤウム・ル・イスナイニ(月曜日)


 ブックフェアで大量に本を買ったはいいが、読まないと意味はない。
 何から読もうかと思ったが、とりあえず『CDエクスプレス ペルシア語』から読むことにした。

 「アラビア文字を使った、アラビア語以外の言語」であり、「イスラーム文化(イスラム教ではなく)の根源となった地域の言語」でもあるペルシア語には以前から関心はあったしね。 

 昨日も仕事だったので、休憩時間と隙間時間を利用しながら、とりあえず第3課まで進んでみた。

 ふむふむ、こういう言語だったのか。
 発音や母音記号の振り方が、アラビア語と微妙に異なるため最初とまどったが、規則がわかりやすいのですぐ慣れた。
 文章全体の語順は、アラビア語より日本語に近い印象。「主語+目的語+動詞」が基本のようだ。
.آن خانِه مالِ مَن نيسْت

 (ニーストゥ)  (マン)  (マーレ)  (ハーネ) (アーン)
(~ではありません)(私)   (~のもの) (家)   (あの)

アーン・ハーネ・マーレ・マン・ニーストゥ。
あの/家は/~のもの/私/ではありません。→「あの家は私のものではありません」

 文節の中は「前置詞・関係詞(など)+名詞」になったりするけど、全体像はとらえやすそう。
 初歩のせいか、アラビア語との共通語も多いなあ。

付属のCDは、対話部分のスピードが遅すぎてかえって聞きづらい。スロースピードとナチュラルスピードの差があまり無いように感じる。
 ナチュラルスピードは、実際に話すスピードで吹き込んで欲しい。でないと慣れない。

 などと、感じるところはいろいろあったが、「もしかしたら日本人には学びやすい言語なのでは?」と淡い期待をかけている。こういう期待はだいたい中盤で裏切られるのが普通なのだが…。さてどうなることやら。