いせ九条の会

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葛飾マンションビラ配布事件無罪判決/山崎孝

2006-08-30 | ご投稿
【政党ビラの配布 無罪 住居侵入にあたらず 目的・様態 “社会通念上は正当” 】 (8月29日「しんぶん赤旗」電子版)

 東京都葛飾区のマンションで日本共産党の都議会報告などのビラを配った荒川庸生(ようせい)さん(58)が、住居侵入罪で不当に起訴された弾圧事件の判決公判が二十八日、東京地裁で開かれました。大島隆明裁判長は、「社会通念上、本件のようなビラ配布は禁じられておらず、正当な理由がないとは言えない」とのべ、荒川さんに対し無罪(求刑罰金十万円)を言い渡しました。憲法で認められたビラ配布の自由の正当性を認め、違法捜査をもって言論・表現の自由を妨害した警備公安警察・検察のあり方を厳しく問うものです。

 判決後、荒川さんは弁護団と記者会見し、「常識的な判決に敬意を表したい。検察にはこれ以上言論・表現の自由を犯罪におとしめることはやめてほしい」と述べました。

 判決は、マンション廊下を「住居」にあたると判断。そのうえで、ビラ配布について「目的が決して不法なものではない」と認定。共同住宅への立ち入りは、共同住宅の形態、立ち入りの目的・様態などにてらし、社会通念上容認されるか否かによって違法性は判断されるという基準を示しました。

 荒川さんの行為は、昼間の時間帯に、誰にもとがめられることなく、鍵のかかっていないマンションの共用部分に短時間立ち入っただけと認定。ビラの内容も、住民がプライバシーを侵害されるという不安を抱くことも少ないとし、「住居侵入罪を構成する違法行為とは認められない」としました。

 弁護側は公判で、「マンション住人による現行犯逮捕」は存在せず、事後的ねつ造によるもので、単なるビラの投函に、家宅捜索などの過大で恣意的な捜査を行うなど、違法捜査の上に立件された事件だと主張。「過大で違法な捜査であり憲法違反」であるとして公訴棄却を求めてきました。その点について、判決は違法性を認めませんでした。

表現の自由 芽吹いてきた 荒川庸生さんの話

 憲法で保障された重要な権利が、ここしばらくないがしろにされ、有罪という判決が続きましたが、この八月二十八日、無罪を勝ち取れたことは、この国の民主主義や言論・表現の自由がまた芽吹いてきた日だと確信しています。

 私は公判のなかで、市民感覚に立って判断していただきたいと申し上げてきました。私は、マンションの開放廊下に静かに入ってポスティングすることが犯罪であるとの認識はまったくありませんでした。これが一般市民常識だと思います。

 二十三日間の勾留、一年半に及ぶ裁判は、普通の人間にとって、とてつもなく重い負担です。私への求刑は罰金十万円でしたが、支払わなければならなかった損害は、ことばでは表せません。表現の自由にたいする弾圧事件は、警察、とくに公安警察はやめていただきたい。

 無罪を確定させるためにも、控訴を許さない。私も頑張ります。みなさんも、お力を貸してください。(以上)

★判決と関連した28日の朝日新聞記事抜粋 判決は……そのうえで「ドアポストへの立ち入り目的は、集合ポストでは商業ビラに紛れて捨てられる恐れがあるためで、滞在時間はせいぜい7、8分」と短時間だったことを指摘。さらに、このマンションではピザのチラシも投函されているが、投函業者が逮捕されたという報道もないうえ、40年以上政治ビラを投函している被告も立ち入りをとがめられたことはないという点を踏まえ、「現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない」と述べた。(以下略)

私たちはマンションにビラを配布する時は、一階のポスト入れではなく、各戸のドアにビラを配布します。このような行為を今まで何度も行ってきましたが住人に咎められたことはありません。裁判所が常態となっていた「投函業者が逮捕されたという報道もないうえ、40年以上政治ビラを投函している被告も立ち入りをとがめられたことはない」という事実を指摘したことは賢明だったと思います。

40年も同じようにビラを配布してきたのに、2004年12月に事件が起こったことは、2004年1月に自衛隊がイラクに派遣されてから、戦争に反対する勢力に国家権力があからさまに牙を向けてきたことは明らかです。自民党政府は有事法制を制定して、国民を戦争体制に動員できる体制を自治体レベルで整えつつあります。国家が戦争の方向に向かう時は必ず言論の自由に対して弾圧を加えてきます。戦争に至らなくても、民主主義に反する強権政治にはつきものです。政治活動や言論活動をしない人が言論弾圧は他人事と思って無関心にいると段々酷くなり、かつては大衆歌謡の恋愛の歌さえ制限された時代がありました。言論弾圧の初期の段階に、市民が気がついて効果的に対処しないといけないと思います。