朝日新聞2007年8月20日掲載「報国レジームの記憶」より
「教育二関スル勅語」(1890年)一旦緩急アレハ義勇公二奉、ン 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
校庭に全校児童が並ぶ中、儀式などで使う三方と呼ばれる白木製の台に載せた巻物を教頭が校長に差し出す。校長は巻物をおもむろに広げ、独特のの節回しで「朕惟うに……」と奉読を始めた。
1943年2月11日に兵庫県西部の相生国民学校で開かれた紀元節の式典。読み上げられた「教育二関スル勅語」(教育勅語)の意味を、当時2年生だった安川寿之輔さん(72)=名古屋市=はよく理解できず、退屈しのぎに足袋の指先で小石をはさんでは友達に投げるいたずらをしていた。
「こらっ。そこの眼帯をかけている者、出てこい」。奉読が終わったとたん、結膜炎で眼帯をしていた安川さんを教頭が怒鳴りあげた。全校児童の前にひきずり出され、いきなり頭を殴られた。
後に名古屋大教授となり、戦争を語り継ぐ「不戦兵士・市民の会」でも活動する安川さんは今、「当時の教育がそのまま続けば、いや応なしに軍
国少年になったかもしれないと思う。
■ ■
教育勅語は、大日本帝国憲法発布の翌1890(明治23)年につくられた。親孝行をし、夫婦仲良く、学問を修め……ともっともらしい徳目が並ぶ。ただ、最も肝心な点は、国家の一大事には皇国日本のために身を投げ出すことだった。
名古屋近郊の国民学校教鞭を執っていた池田陸介さん(83)=愛知県東海市=は44年に、よちよち歩きの幼児が校庭の日の丸に触っただけで、若い教師にひどい扱いをされた光景を覚えている。
幼児は母と散歩をしていただけだったが、その教師は「触ってはいかん」と怒鳴り散らし、職員室まで連れていって床に放り出した。
教科書には戦地で玉砕した「軍神」が登場し、音楽や習字にいたるまで学ぶ内容はすべて「皇国の道に則りて」(国民学校令)と、当時の教育は進められた。徹底的な刷り込みの効果はどうだったか。
愛知県のある国民学校で戦中、児童147人を対象に「所感調査」が行われたことがある。「赫々たる戦果の原因を何処に求めるか」との質問には、72人が「天皇の御稜威(威光)」と答えた。愛知県史はそう記す。
■ ■
教育勅語に加え、国民の内面に大きな影響を及ぼしたのが、37年に文部省教学局が発行した「国体の本義」だ。
天皇への奉仕や忠孝の精神を強調。さらに西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと攻撃し、日本精神の優越性をひたすら説いた。
作家の近藤富枝さん(85)=東京都=は43年9月から1年間、教学局の国語課で働いた。仕事は占領地の外国人向けに科書を書くことだった。 このうち、インドネシアでの落下傘部隊の勇猛果敢さの話と、陸軍の乃木希典大将が幼少のころは弱々しかったのに鍛て偉くなったという話、二つだけは、鮮明に記に残る。
近藤さんはその後、NHKのアナウンサーとなり、外地向けの大本営表を雄たけび調で読んだ。「今から思うと、学生ぐらいから神経中枢にずっと、国家による注射を打たれてまひしていたんでしょう」
旧憲法体制に縛られた戦前教育への反省から、一人ひとりを大切にする「個の尊厳」を柱に戦後は教育基本法が生まれ…た。だが、施行59年後の昨年、愛国心を盛り込む改定があり、掲げられた徳目の数は教育勅語より多くなった。(以上)
この記事とあわせて、国会の質疑で教育勅語をもてはやす議員たちの手によって教育基本法が変えられたことを、従って教育基本法やそれに続く教育3法の企図するものは、教育勅語の目的と重なっていると見なければなりません。このことを、平和を願う日本人は認識していなければならないと思います。そして、個人より国家に重きを置くこと、日本が攻撃をされていない事態にも、日本が参戦できるようにする改憲が、戦後レジームの脱却を主張する安倍首相の主導で行なわれようとしていることも深く認識する必要があります。
この間の憲法9条を討論するNHKの番組を見ても、改憲を賛成する人たちは、憲法に自衛隊を明記することを挙げていますが、改憲は決してそれだけに止まらないことを理解して欲しいと願っています。
【参考】(「しんぶん赤旗」日曜版2006年6月18日号より)教育勅語の現代訳を配布して、質問に立ったのは民主党の大畠章宏議員です。「いまの社会を見ると、こういう基本的な考え方がどこか薄れはじめている。」これに呼応して安倍普三官房長官は「(教育勅語には)大変すばらしい理念が書いてある」と答えました。
「敗戦後遺症というような発想を教育界から取り除いていかないと前向きの議論ができない」と質問したのは元文科相の町村信孝議員。「愛国心」が身につくようにと「教育である以上、教えて育てる、どこかでしっかりとたたき込むという部分もなければ先に進めない」と、「たたき込む一を繰り返しました(以上)
【参考】今年初め「希望の国、日本/御手洗ビジョン」を発表しました。
ビジョンは安倍首相と同じ考え方で《新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む》、公徳心は《基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる》、《愛国心を持つ国民は、愛情と責任感という気概をもって国を支え守る》、《国益の確保や国際平和のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする》などが記述されていました。
戦前の日本は、西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと主張していましたが、日本より民主主義の国になった米国や欧州は、ボランティア活動が根付いていて、日本もこの活動が活発になる方向です。ところが、現在、日本で子どもたちがボランティア活動をすると子どもの学校成績に反映させるという考え方が出ています。自覚的な活動を阻害させる考え方です。自由と民主主義は自覚的な市民を基盤にした社会で、子どもたちには自覚性を持たす教育が大切です。
明日は、自覚性を持たす教育に取り組む教師たちのことを紹介します。
「教育二関スル勅語」(1890年)一旦緩急アレハ義勇公二奉、ン 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
校庭に全校児童が並ぶ中、儀式などで使う三方と呼ばれる白木製の台に載せた巻物を教頭が校長に差し出す。校長は巻物をおもむろに広げ、独特のの節回しで「朕惟うに……」と奉読を始めた。
1943年2月11日に兵庫県西部の相生国民学校で開かれた紀元節の式典。読み上げられた「教育二関スル勅語」(教育勅語)の意味を、当時2年生だった安川寿之輔さん(72)=名古屋市=はよく理解できず、退屈しのぎに足袋の指先で小石をはさんでは友達に投げるいたずらをしていた。
「こらっ。そこの眼帯をかけている者、出てこい」。奉読が終わったとたん、結膜炎で眼帯をしていた安川さんを教頭が怒鳴りあげた。全校児童の前にひきずり出され、いきなり頭を殴られた。
後に名古屋大教授となり、戦争を語り継ぐ「不戦兵士・市民の会」でも活動する安川さんは今、「当時の教育がそのまま続けば、いや応なしに軍
国少年になったかもしれないと思う。
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教育勅語は、大日本帝国憲法発布の翌1890(明治23)年につくられた。親孝行をし、夫婦仲良く、学問を修め……ともっともらしい徳目が並ぶ。ただ、最も肝心な点は、国家の一大事には皇国日本のために身を投げ出すことだった。
名古屋近郊の国民学校教鞭を執っていた池田陸介さん(83)=愛知県東海市=は44年に、よちよち歩きの幼児が校庭の日の丸に触っただけで、若い教師にひどい扱いをされた光景を覚えている。
幼児は母と散歩をしていただけだったが、その教師は「触ってはいかん」と怒鳴り散らし、職員室まで連れていって床に放り出した。
教科書には戦地で玉砕した「軍神」が登場し、音楽や習字にいたるまで学ぶ内容はすべて「皇国の道に則りて」(国民学校令)と、当時の教育は進められた。徹底的な刷り込みの効果はどうだったか。
愛知県のある国民学校で戦中、児童147人を対象に「所感調査」が行われたことがある。「赫々たる戦果の原因を何処に求めるか」との質問には、72人が「天皇の御稜威(威光)」と答えた。愛知県史はそう記す。
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教育勅語に加え、国民の内面に大きな影響を及ぼしたのが、37年に文部省教学局が発行した「国体の本義」だ。
天皇への奉仕や忠孝の精神を強調。さらに西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと攻撃し、日本精神の優越性をひたすら説いた。
作家の近藤富枝さん(85)=東京都=は43年9月から1年間、教学局の国語課で働いた。仕事は占領地の外国人向けに科書を書くことだった。 このうち、インドネシアでの落下傘部隊の勇猛果敢さの話と、陸軍の乃木希典大将が幼少のころは弱々しかったのに鍛て偉くなったという話、二つだけは、鮮明に記に残る。
近藤さんはその後、NHKのアナウンサーとなり、外地向けの大本営表を雄たけび調で読んだ。「今から思うと、学生ぐらいから神経中枢にずっと、国家による注射を打たれてまひしていたんでしょう」
旧憲法体制に縛られた戦前教育への反省から、一人ひとりを大切にする「個の尊厳」を柱に戦後は教育基本法が生まれ…た。だが、施行59年後の昨年、愛国心を盛り込む改定があり、掲げられた徳目の数は教育勅語より多くなった。(以上)
この記事とあわせて、国会の質疑で教育勅語をもてはやす議員たちの手によって教育基本法が変えられたことを、従って教育基本法やそれに続く教育3法の企図するものは、教育勅語の目的と重なっていると見なければなりません。このことを、平和を願う日本人は認識していなければならないと思います。そして、個人より国家に重きを置くこと、日本が攻撃をされていない事態にも、日本が参戦できるようにする改憲が、戦後レジームの脱却を主張する安倍首相の主導で行なわれようとしていることも深く認識する必要があります。
この間の憲法9条を討論するNHKの番組を見ても、改憲を賛成する人たちは、憲法に自衛隊を明記することを挙げていますが、改憲は決してそれだけに止まらないことを理解して欲しいと願っています。
【参考】(「しんぶん赤旗」日曜版2006年6月18日号より)教育勅語の現代訳を配布して、質問に立ったのは民主党の大畠章宏議員です。「いまの社会を見ると、こういう基本的な考え方がどこか薄れはじめている。」これに呼応して安倍普三官房長官は「(教育勅語には)大変すばらしい理念が書いてある」と答えました。
「敗戦後遺症というような発想を教育界から取り除いていかないと前向きの議論ができない」と質問したのは元文科相の町村信孝議員。「愛国心」が身につくようにと「教育である以上、教えて育てる、どこかでしっかりとたたき込むという部分もなければ先に進めない」と、「たたき込む一を繰り返しました(以上)
【参考】今年初め「希望の国、日本/御手洗ビジョン」を発表しました。
ビジョンは安倍首相と同じ考え方で《新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む》、公徳心は《基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる》、《愛国心を持つ国民は、愛情と責任感という気概をもって国を支え守る》、《国益の確保や国際平和のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする》などが記述されていました。
戦前の日本は、西洋は「奉仕という道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義」だと主張していましたが、日本より民主主義の国になった米国や欧州は、ボランティア活動が根付いていて、日本もこの活動が活発になる方向です。ところが、現在、日本で子どもたちがボランティア活動をすると子どもの学校成績に反映させるという考え方が出ています。自覚的な活動を阻害させる考え方です。自由と民主主義は自覚的な市民を基盤にした社会で、子どもたちには自覚性を持たす教育が大切です。
明日は、自覚性を持たす教育に取り組む教師たちのことを紹介します。