いせ九条の会

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沖縄人たちは原則を守り戦う 原則を貫いた薬害訴訟の女性たちのように/山崎孝

2008-01-17 | ご投稿
「沖縄県史」第10巻より(1月15日付朝日新聞掲載 大江健三郎「定義集」より抜粋。定義集の全文を読みますと大江健三郎さんがどのような位置づけで知念朝睦大尉の書いた手記を紹介したのかは知ることができます。

渡嘉敷島で島民の集団自殺が行なわれた後、軍が降伏するまでにおこったことを、守備隊長の副官だった知念朝睦大尉の書いた手記

《……米軍の捕虜となって逃げ帰った二人の少年が歩哨線で日本軍に捕らえられ、本部につれられて来ていました。少年たちは赤松隊長に、皇民として、その汚名をつぐなうかと折かんされ、死にますと答えて、立木に首をつって死んでしまいました。》

かように旧日本軍は極めて人間性を失っていました。この人間性を失っていた軍の性格を曖昧にしょうとしているのが、文部科学省の教科書検定です。これに関連した情報を二つ紹介します。

【軍強制明記を再要請/県民大会実行委】(2008年1月15日の沖縄タイムスより)

【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会(実行委員長・仲里利信県議会議長)は十五日午前、首相官邸に大野松茂官房副長官を訪ね、「『集団自決』への日本軍による強制」の明記や検定意見撤回などをあらためて要請した。仲里実行委員長らによると、大野副長官は「皆さまの意向を福田首相に伝える」と述べたという。

仲里委員長らは、昨年十二月二十八日の実行委員会で採択した福田康夫首相あての要請書を手渡し、要請した。

要請後、仲里委員長は「(文科省が記述の修正を発表した際に)県民への謝罪など首相か文部科学相のコメントを前提にいったんは八十点という評価をした」と説明。「しかしコメントはなく、検定意見そのものは生きているという認識だ。これでは県民は納得できない」と、再要請の意義を強調した。

要請書では教科書会社からの訂正申請に対する文科省の決定について「(教科用図書検定調査審議会が示した)基本的とらえ方の結果、『日本軍による強制』の記述がなくなるという重大な問題が生じている」と指摘。

さらに「文科相談話でも検定意見撤回や、教科書検定で沖縄戦の記述改ざんの再発防止措置などに何ら触れていない」と批判し、「到底許すことはできない」と、検定意見撤回などをあらためて求めた。

十五日午後には文科省を訪ね、池坊保子副大臣に同様に要請する予定。

実行委とは別に、玉寄哲永・県子ども会育成連絡協議会(沖子連)会長、小渡ハル子・県婦人連合会(沖婦連)会長らは、自民党国会議員でつくる五ノ日の会と面談し、今後の協力を要請する。

【防衛研「鉄の暴風」も批判/軍命否定の見解判明】2008年1月15日の沖縄タイムスより)

慶良間諸島の「集団自決(強制集団死)」に関し、防衛省の防衛研究所が、隊長命令があったと記述していた所蔵資料に対し、「隊長命令はなかった」と見解を付け加え公開していた問題で十四日、全文が明らかになった。所蔵資料について、沖縄タイムスの「鉄の暴風」との共通部分を指摘、「『日本軍側の旧悪を暴く』という風潮の中で事実とは全く異なるものが、あたかも真実であるがごとく書かれた」と記述していた。防衛省は批判を受け、削除する方針だが、識者は「防衛省によるゆがんだ沖縄戦住民観の本質は変わらない」と批判する。

防衛研究所が見解を加えて公開していたのは、一九六〇年に元大本営参謀が陸上自衛隊幹部学校で沖縄戦に関する講演をした際、資料とした慶良間戦体験者の手記。

「友軍は住民を砲弾の餌食にさせて、何ら保護の措置を講じようとしないばかりか『住民は集団自決せよ!』と赤松大尉から命令が発せられた」(「集団自決の渡嘉敷戦」)

「艦砲のあとは上陸だと、住民がおそれおののいているとき、梅沢少佐から突然、次のような命令が発せられた。『働き得る者は男女を問わず、戦闘に参加せよ。老人、子供は全員、村の忠魂碑前で自決せよ』」(「座間味住民の集団自決」)

戦史研究室は、元渡嘉敷島巡査の手記や沖縄女性史家の宮城晴美さんの著書を上げ「赤松大尉、梅沢大尉の自決に関する命令はだされていないことが証明されている」と手記の表紙に掲載している。

見解に著書を引用された宮城さんは「この問題は『集団自決』訴訟と教科書検定問題と連なっている。防衛省は旧日本軍への『集団自決』への関与を否定することを前提に資料を分析している」と批判した。