いせ九条の会

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安倍首相の情勢を読み取る力を危惧する/山崎孝

2007-08-05 | ご投稿
 佐野眞一氏は「論座」9月号で民俗学者の宮本常一が、杉皮を干してあるというだけの写真から、杉在の運搬に関わる全労働過程を読み解いている例などを挙げて、宮本常一が全国を旅して鍛え抜いた「読む力」と「読ませる力」を指摘していました。

 私はこの記事で宮本常一著「忘れられた日本人」所収で、愛知県北設楽郡旧名倉村の古老たちの座談会を記録した「名倉談義」を思い出しました。座談会で村人が万歳峠で兵士となって出て行く人に名残を惜しんだことを話しています。峠の上までいって万歳を唱えたのでは、峠を下るとすぐ姿が見えなくなり、これでは愛想がないから、峠の上から6、7丁下った所で見送りそこで万歳を唱えました。

峠が万歳峠と言われるようになったのは日清戦争が始まった頃からで、日露戦争の時も日独戦争の時も日中・太平洋戦争の時も兵士を見送ったことを話しています。

かように辺鄙な山間の峠でも、明治からの戦争の歴史が刻まれていたことがわかります。

 戦争にならないためには、国家の政策が国際情勢をしっかり読み取り柔軟な外交政策が必要です。国際情勢をしっかりと読み取る力が安倍首相にあるのか危惧します。

中国と韓国が北朝鮮を経済援助していて、北朝鮮には大きな打撃を与えることが出来ないのに、北朝鮮政策は強行一本槍を続け、すっかり北朝鮮の態度をかたくなにしてしまい、6者協議に出席しなくてもよいとまで言われてしまいます。

米国が北朝鮮強硬政策を変更して融和路線に切り替えたために、2月には6者協議の合意が出来ているのに、5月18日の集団的自衛権を研究する有識者懇談会で「北朝鮮の核開発や弾道ミサイル問題など、わが国を取り巻く環境は格段に厳しさを増している」と述べ、憲法の戦争への歯止めをなくそうと企図します。これを見ただけでも国際情勢の推移を注意深く見るのではなく、安倍首相の先入観で作られた情勢認識に固執しています。

国内の政治情勢でも、民意を正確に読み取れなかったために自民党の惨敗を招いています。

【参考】「論座」の佐野眞一氏の記事の抜粋

 宮本は武蔵野美術大学の教授時代、近畿日本ツーリストの出資で設立された日本観光文化研究所の所長に請われて就いた。

 宮本はそこから「あるくみるきく」という、商業雑誌とは一線を画した個性あふれる雑誌を出す。

「あるくみるきく」のなかに、宮本を慕って集まってきた若者たちが撮った写真に、宮本が短いキャプションをつける「一枚の写真から」というペ-ジがあった。

 この企画は、宮本の”写真解読術”の凄みを物語る好個の見本となっている。宮本は栃木県南西部の出流(いずる)山中で撮られた、杉皮を積んで干してある風景に、こんな解説をつけている。

杉を伐りたおして運ぶためには、山地から水のゆたかな川まで出すのが大変な労作業であった。杉を伐りたおすと、梢の枝葉を残して伐り落してしばらくそのままにしておくと、梢の枝葉の蒸発作用で幹の水分の抜け出すのが早い。ひと通り水分が抜けると、杉皮はぎにかかる。それを山道に敷き詰め、裸の丸太杉を滑らせて川のほとりまで運ぶ。それを筏に組んで河口の町まで運ぶのである。

 宮本は杉皮が干してあるというだけの写真から、杉材の運搬に関わる全労働過程を読み解いている。話はそこから松に飛ぶ。

 松は重く、容易に水分が抜けないので筏に組むことがむつかしかった。ひとつには皮のむきにくいことも原因したのであろう。そこで松を筏に組むときには、竹の束を筏の両側につけたものであるという。そういわれてみると、山間の松山の裾に竹薮のあるところが少なくない。

 宮本の写真は、セピア色をしたノスタルジックな世界に人を誘うだけにとどまらない。宮本の写真には、さらにその奥にある、人間の営みのいとおしさと哀しみにまで届いている。