いせ九条の会

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大江健三郎さん、小田実さん 加藤周一さんの志を引き継ごう/山崎孝

2008-12-07 | ご投稿
【加藤周一氏死去 評論家、『九条の会』結成】(2008年12月6日付東京新聞)

 東西にわたる深い知識と幅広い視野で評論活動を続け、護憲派文化人らによる「九条の会」を結成した加藤周一(かとう・しゅういち)氏が五日、死去した。八十九歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りや喪主などは未定。胃がんを患い都内の病院に入院していた。

 東京大医学部卒。血液学を専門とするかたわら文学に傾倒、フランス文学や古典に親しんだ。戦後間もなく福永武彦、中村真一郎氏と「1946 文学的考察」を著し、若手文学者として注目を集めた。

 その後三年間、医学留学生としてパリなどに滞在。欧州各地を回ることで日本を見つめ直し、日本文化の雑種性を指摘した評論「雑種文化」を発表した。

 次いでカナダ、ドイツ、米国などの大学で日本の古典文学などを講義。日本文学を世界史的視点から通観した大作「日本文学史序説」で大仏次郎賞を受賞した。

 上智大教授、東京都立中央図書館長などを歴任、林達夫氏のあとを継いで平凡社「世界大百科事典」の編集長を務めた。

 主な著書に自伝的回想録「羊の歌」、評論集「言葉と戦車」、「加藤周一著作集」(全二十四巻)などがある。

 二〇〇四年には作家の大江健三郎氏らと「九条の会」を結成し、憲法改定に反対した。(以上)

【天声人語】12月7日

亡くなった評論家の加藤周一さんは、67年前のあす、日米が開戦したとき東大の医学生だった。半生を回想した『羊の歌』(岩波新書)で、(周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた)と心境をつづっている▼それは、住み慣れた世界と自分とをつなぐ糸が突然切れたような思いだった、という。高揚と無縁だったのは戦争の行く末が想像できたからでもあろう。帰って母親に先行きを聞かれ、「勝ち目はないですね」と吐き捨てるように答えたそうだ▼そして迎えた8月15日には、(もし生きるよろこびがあるとすれば、これからそれを知るだろう)と思った。医者として東京大空襲の悲惨を目の当たりにし、人間として戦争の不条理を考え続けた。厳しい怒りに、そのリベラルは根ざしていた▼4年前、作家の大江健三郎さんらと呼びかけてつくった「九条の会」も、深い怒りの根から咲いた花だ。花は種子を飛ばし、平和憲法を守ろうという草の根グループを全国に広げている▼長く本紙に連載した「夕陽妄語」は7月が絶筆になった。最後の回に、何事も逆さまに眺めるクセのある、話し好きな「さかさじいさん」なる隣人を登場させている▼むろん、ご本人の分身だろう。国民が下にいて、雇われた役人や政治家が上で威張る国は、民主主義を逆さに吊したもの。もう一度逆さにするほかない、などと「じいさん」は言うのである。夕陽とは老境のたとえでもある。妄語どころではない多くの宿題を今の世に残して、「知の人」は旅立って行った。(以上)

【追記】12月7日の朝日新聞に、大江健三郎さんは「大知識人の微笑とまなざし 加藤周一さんのこと」、井上ひさしさんが「北極星が落ちた」と題して、追悼文を寄せています。

私たちは今年は二人もの「九条の会」の発起人を失いました。「大知識人の微笑とまなざし」の中で、加藤周一さんが小田実さんを記念する集会で話された《現在は戦争とグローバリゼーションの時代に入った(中略 この時代に)…持続的な抵抗を続けなければならない。それが、小田の志を継ぐということだと思います》の言葉を紹介した後、大江健三郎さんは《真の大知識人加藤周一の広さと深さをひとりで継ぐことはできないが、あの人の微笑とまなざしに引き寄せられた者らいちいちの仕方で、その志を継ぎ、みんなで統合することはできるだろう》と述べています。

なお、「天声人語」が紹介した「夕陽妄語」は、2008年7月26日付けの朝日新聞に掲載されています。