いせ九条の会

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公明党太田代表の言葉を考える/山崎孝

2007-07-31 | ご投稿
安倍自民党総裁の率いる自民党は歴史的な大敗を喫しましたが、自民党は安倍首相の続投を決めました。有権者の多数は安倍政権に不信任を突きつけましたが、不信任の声は自民党には届かないようです。

安倍首相続投について、公明党太田代表は30日未明、次のように述べています。「安倍首相は政策、目指す方向について、強い意志を示している。続投については、私どもも了とする」。

安倍首相の目指す方向とは盛んに主張してきた「戦後レジーム」からの脱却しての「美しい国」創り(国民が整然と隊列を組むことを美と感じる感覚のようです)です。その中身は戦前の教育のあり方を反省した教育基本法を変えて、子どもたちに愛国心教育を行い、政府に従順な国民を育てること、教育に国家の介入が出来るようにして国の教育方針に逆らう教師を不適格と評価して再任を拒否出来るようにしたこと。解釈改憲や明文改憲で平和主義の憲法を変えて、先制攻撃も辞さない米国との同盟において、集団的自衛権行使を可能にすること。公の秩序と称して個人の尊重より国家を重要とした国にすることです。これらは公明党の結党の看板「平和の党」とは異なり、公明党が主張する憲法9条を守ることとは確実に対立する方向です。公明党が安倍首相の「目指す方向について、強い意志を示している。続投については、私どもも了とする」という態度は「戦後レジーム」からの脱却を了解すると受け取れます。

★「九条の会」の呼びかけ人の一人、がんで末期であることを明らかにして、最後まで民主主義と平和のために戦った小田実氏が亡くなられました。とても残念です、哀悼の意を表します。

私は小田実著「何でも見てやろう」を読んでいます。題名からはかつて日本は戦争の拡大と共に政府の言うことに従順な国民を育てる教育方針が特に強化され「神国日本」という日本民族優秀と傲慢になり、日本人が「井の中の蛙」であったことから、それの脱却を図ろうという精神を感じました。

雑誌「世界」8月号は、小田実氏へのインタビュー記事を掲載しています。その一部分です。

(前略)現在の日本の状況を「戦前への回帰」と見ることはできないのではないかと思う。戦前は天皇制近代国家であって、現在の民主主義体制は存在しなかった。だから、私たちの目の前で進んでいる事態、すなわち安倍の「美しい国づくり」と比すべきは、戦前の日本ではなく、ナチが台頭し、少数者に権力が奪取されたワイマール共和国の末期なのではないか。(後略)

小田実氏にインタビューした「世界」岡本厚編集長は次のように述べています。

小田実氏を病室に訪ねたのは6月13日である。6月2日付けで知人・友人に送られた「市民の皆さんへ」には、「体調不良は末期――またはそれに近いガン」と判明した、と記されていた。頑健そのもののようだった大きな身体は、痩せてしぼんで見えたが、語り始めたのは、いつもの通り、戦争のことであり、安倍政権のことであり、人間の未来のことであった。

 ナチは、あたかも暴力的に政権を奪取したかのように誤解されているが、実は議会制民主主義のルールに基づいた選挙で政権の座についた。しばらくの間、ドイツの市民は歓迎し、あるいは何事も起らないかのように暮らしていたのだ。そのことを、いまの日本人はもっと考えるべきだ――と小田氏は力説した。

 先述の「市民の皆さんへ」に収録されているのは、小田氏が3月に参加した「恒久民族民衆法廷」の、フィリピンの夥しい民衆の暗殺事件に対する「判決文」である。米軍とフィリピン軍による民衆の暗殺事件の国際的告発だ。氏は「せめて事実調査の一団を組織して現地におもむきたい」が、「それはかなわぬことになった」と結んでいる。60年代ベ平連、70年代金芝河救援運動から今日にいたるまで、民の側、殺される側から正義を求め続けた氏の変らぬ姿勢である。(以上)

私たちは改憲派の、改憲しても日本は民主主義の国だから、戦前のようにはならない、という言葉に乗せられてはいけないと思います。既にイラク戦争へ加担したころから、ビラ配布活動へ警察や検察の干渉がはじまり、国歌・国旗法を悪用して教師への弾圧が行なわれています。防衛庁を省に昇格し、自衛隊の海外活動が本務に昇格し、自衛隊の市民運動監視が行われています。更に旧日本軍を免罪する動きも起きています。戦前も日中戦争の拡大に伴って、治安維持法の適用範囲が少しでも自由主義的と見なされた人にまで拡大され、そして良心的な教師たちが教室から追放され始めています。愛国心の強調、言論抑圧の後に戦争一色の時代が訪れています。油断は大敵です。小田実氏の市民の多数は「何事も起らないかのように暮らしていたのだ。そのことを、いまの日本人はもっと考えるべきだ」は教訓的な言葉です。