伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

「京の国宝」展

2021年09月16日 | 展覧会・絵

 

「京の国宝」と書いて「みやこの国宝」と読む。

もう終わってしまったが、京都国立博物館で開かれていた
9月12日までだった「京の国宝」展へ滑り込みで見に行った。

事前予約を受け付けていたが、予約なしでも入れた。
混雑はしておらず、空いていた。

 





京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/



https://www.kyohaku.go.jp/jp/special/koremade/miyako-kokuho_2021.html
特別展 京(みやこ)の国宝―守り伝える日本のたから―

2021年7月24日(土)~9月12日(日)
前期展示:2021年7月24日(土)~8月22日(日)
後期展示:2021年8月24日(火)~9月12日(日)

公式サイト
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/miyako2021/tickets.html



京都新聞主催ではなかったので、いつからいつまでか、
詳しいことが分からなかったからだが…

 

京都にある国宝が並んでいるのだろうと見当をつけて見に行った。

が、…


法隆寺の金堂障壁画焼損の事故の教訓から、
文化財保護法が出来たこと、
それに従って国宝指定基準が整って来たこと、など、
法隆寺の悲劇的な事故が国宝指定にいかに影響していたかを
学ぶことになった。

確かに京都にある国宝がずらりと並んでいたが、
ただ単に国宝作品を鑑賞するのみではなく、
国宝に選ばれた理由や文化財の修復、作品を守り伝えてゆく必要性など、
作品を見ながら鑑賞者が考える機会を設けているような展示の仕方であった。

プレートに国宝指定された年がそれぞれ書いてあったのも、
工夫の一つだと思った。


それなりに有意義な展示方法だった。






けれども国宝の展示室に入ると、やはりずらりと並んだ作品群は壮観だった。
殆どは見たことのあるものだったが…

ただ、宗達の「風神・雷神」は展示期間が短かったため、見られなかった。






博物館の説明↓


第1章
京都―文化財の都市

いにしえの都、京都。
現在、全国で1万件をゆうに超える国指定の美術工芸品のうち、
およそ6分の1以上が、京都盆地とその周囲に広がる京都府下に伝えられています。

本章では、京都と文化財の深い関わりを見つめながら、
私たちの「国宝」が生まれ出るまでのあゆみを辿ります。


第2章
京の国宝

文化財保護法の制定から約70年。

いにしえより世に名高い名宝から、
学術の進歩によって新たに見出されたものまで、
今日までに国指定品となった美術工芸品は国宝897件、
重要文化財10,808件(令和3年3月段階 ※重要文化財の数は国宝を含む)
の多きに上ります。本章では特にその精華ともいうべき、
京都の土地や人ゆかりの国宝の数々をご覧いただきます。


第3章
皇室の至宝

我が国の文化財保護において、
行政とともに非常に大きな役割を果たしてきたのが、
京都にゆかり深い皇室でした。

明治維新に伴う混乱の中、危機に瀕した東大寺や法隆寺といった古社寺が、
その最も重要な伝来品の数々を皇室に献納し、
援助を受けながらその姿を今日まで保ったことはよく知られた出来事です。

本章では、歴史と文化の守護者である皇室ゆかりの至宝を、
特に厳選してご紹介します。


第4章
今日の文化財保護

文化財を後世まで確かに守り伝えるためには、様々な課題があります。
本章では京都を中心としつつ、さらに全国にも目を向け、
文化財保護に欠かせない様々な取り組みについてご紹介します。









第2室へ入るとおなじみの作品群が並んでいて、やはり心がときめく。

瓢鯰図、芦手絵和漢朗詠集、御堂関白記、平家納経、病草紙(歯の揺らぐ男)

これらがずらりと並んでいる。


書跡のコーナーでは東寺百合文書、藤原定家の「明月記」、


与謝蕪村の夜間楼台図も。

そして狩野永徳の大徳寺・聚光院所蔵「花鳥図襖」が!

 

びっくりした。
これだけのものが集められるとは、と。





瓢鯰図は相変わらず意味不明すぎて絵の部分をつらつら眺めたし、
御堂関白記はライブ感満載だし、平家納経は豪華絢爛、
病草紙がまた見られるとは思わなかった。

夜間楼台図は中国の景色のはずが京の雪の夜にしか見えない。
与謝蕪村の中では分かりやすくて大好きな風景画だ。


永徳の聚光院「花鳥図襖」は有名なものとは違う面。
しかしダイナミックで躊躇いのない筆遣いが、永徳らしくて堪能出来た。






伊能忠敬の日本地図も国宝指定されていたとは知らなかったので、
ここでも驚いた。


さらに
私の好きなポルトガル領インドから秀吉に送られたという
「ポルトガル国印度副王信書」(1588年)が。

信書の周りを取り囲む美しく繊細な絵と、カリグラフィのような美しい文字。
丁寧に、大切に描かれたことがひと目で分かり、感動的な信書である。

下に垂らされた房も保存状態がとてもいい。
また見ることが出来てうれしかった。

 

 

彫刻室では、東寺の梵天像、
博物館の向かいの三十三間堂の二十八部衆の中から婆すう仙人像とマゴラ像、
そして平等院の雲中供養菩薩像、
が来ていた。




東寺では今梵天像がお留守をしているのだと思いながら、
東寺よりじっくり見られた。

通常では梵天より帝釈天の方が有名だが、
改めて梵天像の威厳たっぷりの重厚感が堂々としていた。

 






三十三間堂の二十八部衆も来ているとは思わなかったので、びっくりした。

向かいでは二人が今は留守をしているのだなと思いながら見ていたが、
千一体あるのだから、二体くらいいなくてもどうもないんだろう、
などとつまらないことを考えながら、リアルな造形の婆すう仙人を眺めた。





平等院の雲中供養菩薩像は小さくて可愛らしい。
極彩色に彩られていたはずと思いを馳せる。








「防災と防犯」というコーナーでは
狩野長信の「花下遊楽図屏風」というのが展示されていて、
関東大震災で右隻の中央部分を失ったと説明されていた。

災害による文化財の保護の困難さを感じた。

 


ここには法隆寺金堂壁画のガラス原版、
写真原版が展示されていたが、
それが重要文化財に指定されていて、それにも驚いた。

焼失してしまった金堂壁画が写真として残されていて、
それが今は重文とされていることに。

法隆寺金堂壁画の焼失がいかに衝撃的だったかが分かる。

 


焼失といえば、東寺食堂に展示されていた四天王像がこれも火事で焼損した。

その四天王像の焼失を免れた残りの腕や手首が展示されていた。

その生々しさはかなり衝撃的だった。
そしてそれも重要文化財なのだった。

ただの破片になったとしても、それでも重文として残してゆくのだと、
その信念に頭を垂れる思いになった…。


東寺の食堂の四天王像は、黒こげになった状態のままを固めて、
今でも公開されている。
国宝指定は外され、何の指定もないので、食堂(じきどう)にひっそりと佇んでいる。


文化財の保存、保護、防災、修理、など
文化財を未来へ伝えてゆくための懸命な取り組みが、
博物館の日々の仕事なのだと思わされた。

 

最後の部屋には「修理と模造」と題して、
やはり定期的な修理と、修理技術も必要なことが説かれていた。

精巧な模造品も展示されていたが、
それは往時の姿を再現することで、
使われた技術や技法を知る手掛かりにもなるのだということであった。

そして修理中の文化財、修理を待つボロボロの作品が展示。

 

日本の文化財は脆弱な素材が多いため、継承するにも難しさが伴うことを
改めて知らされた。

懸命な努力でこれまで文化財が継承されて来たのだということを感じた、
意義のある展覧会だと思えた。


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