静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

プリニウスの章(5)

2017-06-28 09:57:32 | 日記

  ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の抄訳

 

  第三節 プリニウスの魔術についての記述              

 

 東洋起源の魔術

 プリニウスは、魔術の起源と伝播について若干の記述を補足している(1) 。だが、幾分困惑し、信じられそうもないものとして述べられている。というのは、彼は五千年ないし六千年の間隔をおいて二人のゾロアスターがいたと述べ、また、二人のオスタネスがいて、一人はクセルクセスの、一人はアレキサンドロスの、それぞれの遠征に従ったという。事実、かれは、ゾロアスターが一人いたのか二人いたのか、はっきりわからないといっている。いずれにしろ、魔術は幾世紀にもわたって世界の広い地域で栄えたが、それはゾロアスターがペルシアで始めたものである。メディアやバビロニアやアッシリアなどの若干の魔術師は、プリニウスにとっては名前だけのものに過ぎない。あとのところで彼は、アポロベックスやダルダヌスのような人たちをあげている(1 。彼はこのように魔術の源泉を東洋に求めたが、しかし見たところ、ほかの著者がペルシアのマギと通常の魔術師とを区別しているようには、彼は区別をしていない。だが彼は、彼よりももっと魔術を好意的に考えていた人たちがいるに違いないことを明らかにしている。

 (1)第三〇巻の最初の方で明確な事例をあげて述べている。<「デモクリトスはコプト人のアポロベックスとフェニキア人のダルダヌスを解説した」>三〇9

 

 そのギリシアへの普及

  プリニウスは次に、魔術のギリシアへの普及について追跡している。彼は、魔術についての記述が『イリアッド』には全くないのに、『オデュセイ』には溢れるほどあるのに驚いている<> 。彼には、オルフェウスを魔術師として位置付けるべきかどうか確信がない。そして少なくとも古くメナンドロスの時代にテッサリアが魔女で有名であったこと、そしてメナンドロスが自分の悲劇の一つにその名前をつけたことを書いている。<その悲劇の名は『テッサラ』>。だが彼は、クセルクセスに随伴してギリシア語世界に赴き、魔術をはじめて伝播し、そこにたちまち狂気をひきおこしたところのオスタネスに注目している。魔術をもっと勉強するために、ピュタゴラス、エンペドクレス、デモクリトス、プラトンなどの哲学者たちは海外に亡命し、帰ってきてから習ったことを教えた<三〇9>。プリニウスは、大変異常なこととして 、デモクリトスが魔術の教義を普及させる努力をしているのと同じころに、ヒポクラテスが医術を発展させる仕事をしていたことに注目している。デモクリトスの著とされる書物を偽物だとする人々がいるが、プリニウスはそれらを本物だと主張している

 <イ>「不審に堪えないのは、ホメロスがトロイア戦争を歌ったその詩において、魔術については何らの言及もしていないことである。そのくせ・・・」(三〇5f.)

 

 ギリシア・ローマ世界外縁への普及

  ギリシア語世界の外縁、もちろんそこからローマへ魔術が伝わったのだが、その地域ではプリニウスは、モーセ、ヤンネス、ロタペスによって代表されるユダヤの魔術について述べている。彼はまた、キプロスの魔術、つまりドルイドについても語っている。彼らは皇帝ティベリウスが鎮圧するまでは、ガリアで魔術師、予言者、祈祷師であったし、また遠く離れたブリタニアでそうである(一六249) 。このようにして、民族の不一致やお互いの存在を知らないことすらが、世界中に魔術への傾倒を許したのであった。プリニウスによると、スキタイ人以外の場所でも、ロシアの草原やトルキスタンの遊牧民たちが魔術に心酔しているということである。

 

 起源についての正しい理解の欠如

  プリニウスは、魔術は一人の元祖によって公式化された教義の塊であり、漸次的な社会発展の結果によるものではない、と見なしているように思える。あたかも、ギリシア人やローマ人の法律や慣習が、何か一人の立法者によってつくられたかのように。しかしながら彼は一方では、古代人が魔術それ自身を要求していたことを認めている。だが、ゾロアスターやダルダヌスのあのような膨大な言説が、どうしてかくも長いあいだ記録として残されてきたのか、疑問を投げている。このような意見は、魔術が、世代から世代へと一貫して恒常的一般的に続いてきた社会的習慣と態度の潮流であることを、彼がほとんど考えなかったことを再度示すものである。さらに、魔術がなんら交渉のない人々の間にも広く普及したと彼が述べていること自体が、このことを証明している。

 

  魔術と卜占

  プリニウスは当時としては、少なくとも魔術についての広範な視野と基本的特質について、明確な理解を持っていた。彼は、「その権威が非常に大きいことを誰も不思議がらないだろう。というのは、魔術の技術のみが人間精神に最高の魅力を発揮し、他の三つを抱き込み自分自身に合体させたのだから」と言う。三つというのは、医術・宗教・卜占の技術(artes mathematicasのことである(三〇1)。このartes mathematicasという言葉が占星術に関係あることは、この後に続く「というのは、自分の運命を知りたいと熱望しない人、また運命はもっとも正しく空に顕現すると考えない人はいない」という言葉で示されている。だがさらに魔術は、「水、球、空気、星、灯火、鉢、斧の刃などから、またその他たくさんの方法で未来を占うことができ、そのほか、下界の霊魂とも語りあうことができる。」という(三〇14)。それだから、プリニウスが各種の卜占の技術を魔術の一種と見なしたことは疑いない。

 

  魔術と宗教

 われわれはプリニウスが、通常魔術と宗教の親密な関係があることを断言するのを聞いてきたが、宗教の問題よりも自然の事を取り扱う Natural History の性格上、これ以上この問題の細部に彼は立ち入らなかったのである。しかしながら、彼が、その時代の宗教的慣習について時々記述している事柄は、ローマ古来の宗教が、魔術の力、規則、儀式から成っているという他の出典からの資料を裏付けてくれる。

 

  魔術と医術

  『博物誌』全編のほとんど半分は、全部または一部が病気にたいする医術にあてられている。従ってそれは魔術と自然科学の関係を扱っており、とくに魔術と医術の関係について詳しく、プリニウスは我々にきわめて詳細な情報を提供してくれる。実際彼は、魔術は「最初医術から起こったこと、そして高度なより神聖な医術として、健康を増進するという仮面のもとに忍び込んだことは誰も疑わないだろう」と断言している(三〇2)。 魔術と医術は互いに発展してきた。そして後者は今、植物がどんな医薬的効能を持つのか人々に疑問を持たせる魔術の愚行によって圧倒されるという、さしせまった危機に直面している。

 

 魔術と哲学

  しかしながら、多くの意見によると、魔術は健全で有益な技能であるという。古代において、またこの問題についてはほとんどすべての時代において、高い名声と栄光はそのような学問から得られた(三〇2)。エウドクソスは魔術を、哲学の諸学派のうちもっとも注目すべき、そしてもっとも有用なものとして認めようと欲した。エンペドクレスとプラトンはそれを学び、ピュタゴラスとデモクリトスは自分たちの著作で後世に伝えた。

                                                                                 

 魔術の欺瞞

 しかしプリニウス自身は、魔術についてのそれらの主張は、根拠のない、誇張された、虚偽のものであると感じていた。彼は繰り返しマギや魔術師たちを愚か者であり 欺師であると述べ、彼らの言っていることは、不合理かつ恥知らずなものであり、 嘘の塊であるときめつけている(1) Vanitas<空虚・虚栄・欺瞞>、ナンセンス は彼らの信念に対するプリニウスのお得意の言葉であった(2) 。彼の意見によると、彼らの著述のうちの若干は、人類に対する侮蔑と嘲笑の感情によって書かれたものだという(3) 。ネロはこの技術の 虚偽を立証した。というのは、彼は魔術を熱心に学び、彼の無限の富と権力とが熟練した実務家になるあらゆる機会を与えてくれたのだが、どんな驚異も起すことができなくて、その企てを断念した(4) 。このようにしてプリニウスは次 のような結論を下して いる。魔術は「根拠のない空疎なものである。だが何か真理の蔭とでもいうべきものを 持っている。しかしそれは、魔術によるものというより毒薬によるものである」(5)

(1)例えば、二五106  "Sed  magi utique circa hanc insaniunt" <マギどもはこれについて、このうえなく気違いじみたたわごとを言っている>。二九68  "magorum mendacia"<マギたちの欺瞞>。三七165 "magorum inpudentiae vel  manifestissimum ...exemplum"<マギたちのずうずうしさも極まった事例がある>。三七192 "diramendacia magorum."<マギたちの忌まわしい欺瞞>。

(2)次を見よ。二二<20<つまらないことがマギ僧の間のみならずピュタゴラス学徒の間にもあった>、二六20<アスクレピアデスによって発明されたこの医術の体系なるものは、マギ僧の たわごとよりもひどいものだ・・・>、二八85<あの嘘つきの集まりであるマギ僧どもの奸計>、二八94<マギ僧たちは、それらインチキな山師どもの言い逃れはかくも巧妙なのだが>、二九81<マギ僧たちの欺瞞のひとつの見本を省略したくはない>、三〇7<オルフェウスの迷信は・・・>、三七54<マギ僧どもの忌まわしい欺瞞をやっつけてやろう>。

 (3)三七124<わたしには彼らがこんな文句を書き物にしたのは、人類に対する彼らの嘲笑の表現だとしか考えられない> 。

(4)三〇14-18

(5)三〇17 "Proinde ita persuasum sit,intestabilem,inritam,inanemo   esse,habentem tamen quasdam veritatis umbras, sed in his veneficas  artis po llere,non magicas"                                                                  

 

魔術の犯罪                                                                      

  最後の批評は、悪い習慣を作った故をもって、魔術師たちを告発することをわれわれに提起する。とりわけその毒薬というのは媚薬と堕胎薬で代表されている(1) 。そして、そのうちの幾つかの作用は非人間的であるか、または卑猥で忌まわしいものである。彼らは、有害な魔法を試みたり、ある人の病気を他の人に移そうとした(2)。オスタネスそしてデモクリトスさえもが、人間の血を飲むとか、魔術の屋敷の中や儀式において、暴力的に殺された人間の死体の一部を利用することを提起している(3) 。人間を犠牲に供するような怪奇な儀式、つまり「人間を殺すことがもっとも信心深いことであり、さらに人間を食べることがいちばん健康によいとする」というような儀式を廃止するのに、人類はローマの政治に大きく恩恵を蒙っているとプリニウスは考える(4) 

(1)二五25<わたし個人としては堕胎薬についても、いや媚薬についてさえ述べない。・・・それからまたどんな他の罪深い魔術についても述べない>。                                                       

(2)二八86 <もし奴らが嘘をついているのなら何たる詐欺だ。もし病気を他人に移すのであれば何たる邪悪だ>。

(3)人体の一部を医薬に使うことについて(二八4-7)

(4)三〇13

                                                      

 プリニウスの魔術に対する非難の大部分は知的であること

 にもかかわらず、魔術が真実に反し非科学的であるとして知的見地から反論を加えたのに比べて、道徳にかんする論議においては魔術が危険であり猥褻であるということについては、プリニウスはそれほど強調していない。実際、品位に関する限り、彼自身の医学は上品さからはほど遠いようにみえる。と同時に、彼は他の場所で、魔術師の不潔に対する警戒ぶりについて、いくつかの例を挙げている(1) 。そのうえさらに、彼がしばしば触れているところの魔術の利用法やその結果の中には、彼らが例外なく間違っているようにみえるにもかかわらず、非道徳的なものは比較的少ない。しかし病気を治すとかそのほか何らかの価値ある、あるいは少なくとも容認できる沢山の処方目的には異議を唱えている。ひょっとしたらプリニウスは、多少とも彼らの伝承を検閲し、すべての犯罪的秘密を追放しょうと試みているのかもしれない。しかし彼の非難は、道徳的というよりももっと知的なものである。たとえば彼は一つの長い章を、デモクリトスによるカメレオンとその身体の部分の効能についての話からの引用で埋めているが、彼はデモクリトスを魔術伝承の中心的調達者と見なしている。(2) その章の最初のところでプリニウスは、「ギリシア人の虚飾の欺瞞性」を暴露する機会を得たのは「大きな喜びで」あるとうたっている。しかしその章の最後で、彼は一つの願望を述べている。それは、デモクリトスは、ヤシの枝で触れられると節度のないおしゃべりが抑制されると述べているが、デモクリトス自身が触れられるべきであったと。そしていたわりの表現でプリニウスは、「他の点では賢明で人類にとってもっとも貢献した人でも、人間を助けることにあまり熱中すれば過ちを犯すものだ、ということは明らかである」とつけ加えている。

 (1)三〇13

(2)二八69、三〇17 、小便をたらすことについて(二八69)、「マギ僧たちは海に唾を吐いたり」( 三〇17)

(3)二八112-118    

                                                          

 プリニウスの無神論のあいまいさ

 プリニウス自身は魔術に対する一貫した無神論的態度を持続することに失敗している。彼の正確な態度を決定するのは多くの場合困難である。ちょうどデモクリトスについての記述の例に見るように、彼が冷静に大真面目に言っているのか、それとも軽い冗談や皮肉で言っているのか。他にも当惑することがある。魔術師たちを暴露し論駁するため、彼らの正確な断言の一覧表を作ろうとしたことについて、彼がしばしば弁明していることである。しかし実際のところ彼は、たいていは単純に彼らを公にしただけであり、彼らの固有・独特の不合理性が、彼らに対する十分な論駁を保証するだろうということを明らかに期待していた。まれに彼が不合理性を指し示そうと考えたときにのみ、彼の論拠はかろうじて科学的であり説得力がある。彼は次のように断言する。「彼らがすべての生物のうち、モグラをこのうえない畏敬の念をもって見るということが、そのいかさまのまたとない証拠であろう。モグラというものは非常に多くの点で自然に呪われた存在で、永久に目が見えず、あたかも埋葬されたかのように暗闇の中で土を掘っているものなのに」(1) 。また彼はマギたちの確信を攻撃して言う(2) 、ミミズクの卵が頭膚の病気によいというが、「いったい誰が、ミミズクの卵などを見ることができたというのだろう。この鳥そのものを見ただけでも凶兆だというのに」と。さらに彼は、ときどき魔術師の断言を、なんらの判断も弁解もまた疑惑の表明もなしに例としてあげている。そしてまた、沢山の記述があるが、実際には彼が魔術師を例として挙げているのかどうか見分けるのは困難である。ときどき彼は、章の中でずっと代名詞で言及することを明らかに意図しており、名前はまったくあげていない 。他の個所で彼は、それとなくマギを引用するのをやめようとしている。そしてすこしばかり間をおいて、ほとんど気づかれないようにしながら、ふたたび彼らの教義を引用しはじめている(3) 。それにまた、デモクリトスやピュタゴラスのような著述者がいつ魔術の代表者とみなされ、いつ彼らの主張がプリニウスによって正当派哲学として受け入れられたのであるか決定するのは困難である。

(1)三〇19

(2)二九82                                                            

(3)三七54 宝石についての記述の中で彼はこう言っている。「口にするの も忌まわしい魔術師たちの欺瞞」をやっつけてやろう、と。しかし三七118 の碧玉のところまで特別の引用はしていない。

 

魔術と科学の区別がつかないこと

 多分、折々に勇敢な努力をして魔術師の主張に逆らい、あるいはそれをあざけりさえもしたにもかかわらず、プリニウスはひそかに彼らに好意を抱いていただけでなく、半ば信じてさえいたのではなかろうか。いずれにしても、彼はそれとよく似たもの を信じている。そのうえさらに、自然に関するそれ以前の作品にはそのような素材に満ちていたし、彼の時代の読者もそれを大層好んでいたので、彼もそのような素 材を盛り込まなければならなかったのだろう。あるところで彼は、いくつかの事項はあまりまじめに取りあげることはできないが、昔から伝えられてきていることだから削除するわけにはいかない、と説明している    (1) 。ふたたび彼は似たような「ギリシア人の虚栄」につ いて、読者の寛容を乞うている。「彼らが伝えてくれた驚異をみん な知ることも、われわれにとって価値のあることだから

(2) 」。問題の本質は多分、プリニウスは魔術師の主張のある部分を拒絶しながらも、その他の部分は容認できるものと認めていたからではないだろうか。それだから彼は時折懐疑的な態度をとり、 ひと揃いの典拠による彼らの教義をあざ笑い、そしてまた彼が信頼している他の著者の言い分を疑うことなく受け入れている動機なのである。まったく同じように、どこまでがマギについての記述でどこまでがそうでないのか、彼が用いた書物の中においては、しばしば『博物誌』の中でよりも明瞭ではないのである。大変可能性のあることは、われわれにそう写るように、仕事全体を構想するうえで、彼自身の気持が混乱していたということで ある。哀れなディック氏が自分の本の外ではチャールズの「最初の頭」を把握出来ないのと同じように、彼は自分の『博物誌』の外で魔術を把握することが出来ない。ともかくも、一つの事実は明らかにきわ立っている。それは、彼の百科全書の中と当時の学問における魔術の卓越性である。

 (1)三〇137

(2)三七31