静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

「固有の領土」

2012-11-28 15:48:09 | 日記

(一)
 日中戦争たけなわの頃、母の友人が「満州」に住んでいて、ときどき素晴らしいも
のを送ってくれた。四角くて美しいい缶の中にチョコレートやケーキ、私たちの町で
は見たことも聞いたこともない、お伽ぎの国からの贈り物だった。あの感激は今も忘
れられない。「満州国」は子どもの私にはそういう国だった。
 当時、「『満蒙』は日本の生命線だ」などという言葉が日本帝国内で風靡していた
ようだがそれは記憶にない。ただ地図では日本列島は赤く塗られ「満州」はピンクだ
ったと覚えている。一つの国だが、日本の所有する国だという認識だったと思う。
 戦争が長引くにつれて「内地」では生活物資も欠乏し配給制が広がっていた。甘い
菓子などは店頭からも消えた。だが「満州」のチョコレートで象徴されるように、植
民地や占領地の一部では内地では見られない物質的な豊富さ、精神的自由や文化があ
ったようである。日本軍の占領下の上海でも、夜ごと交響楽団の演奏会やバレーの公
演が行われたりした。だから相対的な内地の貧しさが目だったのたろう。そういうこ
とはいろんな人が語っている。
 戦争に勝てば領土が広がり国民の生活も豊かになる、戦争を始める人たちにとって
は、国民を瞞着するのに好都合なキャッチフレーズである。日清・日露戦争、第一次
大戦、「満州事変」、日中戦争・・・どんどん領土を拡大してきた。今度は大平洋戦
争、アメリカに勝てばシカゴの富が日本にやってきて日本は金持ちになるという風聞
が広まった。心から信ずる日本人も多かったに違いない。なぜシカゴなのか、それは
わからないが、そういう風に聞いた。そして最後には、インドから西はドイツ、東は
日本と分け合うのだとまことしやかに語られた。まことに正気の沙汰ではない。思う
に、日本人は領土病にかかっていたのだ。まことに愚かなことである。
 
(二)
 「満州」からの贈り物に喜んでいたその頃、トルストイの「イワンの馬鹿」や「人
はどれだけの土地が必要か」を繰り返し読んだ。雨の日には遊びに行くところがなか
ったから仕方なく本を読んだ。しかし、「満州」とトルストイを結びつけて考える程
の知恵はなかった、まして送られてき菓子箱が植民地支配のおこぼれだなどというこ
とが小学生に分かるはずもなかった。
 同じ頃、火野葦平の『麦と兵隊』を読んだ。「泥水すすり草を食み」ながら進む兵
隊さんは偉い、だけど自分は絶対戦争には行きたくない、そういうことはあり得な 
い、そう思った。この書は百万万部以上のベストセラーになったという。当時として
は驚くべき現象だった。小学校では全校生徒が「徐州徐州と人馬は進む 徐州 いよ
いか 住みよいか・・・」と歌わせられながら校庭をぐるぐる回っていた。なぜ徐州
まで攻めていかなければならぬのか、納得できる説明をしてくれる人はいなかった。
だが、火野葦平は作品の中で日本兵と中国女性の恋も描いた。中国人を「シナ人」と
呼んで人間扱いしないのが当時の教育だったので、この話は深い印象を残した。いま
でも明瞭にその時の気持ちは覚えている。
 数年前、「満州」に住んでいたことのある人が同じ仲間と連れだってハルビンのツ
アー旅行に行ってきた話を聞いた。昔住んでいた家がそのまま残っていて懐かしくも
あり嬉しくもあり、感動したそうである。そういえば、私たちにチョコレートやキャ
ンデーを送ってくれた母の友人もハルビンからだったと思い出した。彼女たちは「満
州」でいい思いをした人たちだったのだろう。防衛の任務も課せられた「満蒙開拓 
団」の人たちの苦労話とはまた別のものかも知れない。
 戦後「満州」から引き揚げた人を何人も知っている。Aさんは「満州」時代のこと
を一言も語らなかった。B夫人は波瀾万丈の人生を語った。Cさんは全くの孤児にな
って親戚に預けられ寡黙な毎日を過していた。Dさんは・・・。みんなある過去を背
負ってしまっている。私は前に朝鮮から引き揚げてきた村松武司のことを書いた(『
私の討匪行』ほか)。かれは自分を「朝鮮植民者」と呼んだ。そういう言い方をすれ
ばAさんもBさんもCさんもDさんもみな「満州植民者」だ。

(三)                                                                     
 日清・日露戦争が終ったとき、獲得した領土が少ないとかいって暴動が起きたりし
た。今回はサンフランシスコ平和条約によって広大な領土を失ったにもかかわらず平
穏そのものだった。この条約は至って政治的なものだった。それは当然といえば当然
だ。中国や韓国は会議に参加できず、ソ連は署名しなかった。この三国が調印してい
ないのだから、三国との領土問題の解決が困難であることは最初から明白だった。
  先日『敗北を抱きしめて』の著者ジョン・ダワーの発言が載った(インタビュー「
なぜ、まだ領土問題なのか」朝日・12・10・30)。彼は言う、東アジアの領土問題は「
北方領土」「竹島」「尖閣諸島」「台湾」「南シナ海の諸島」と五つあるが、いずれ
もサンフランシスコ会議で検討されながら冷戦によって解決を阻まれたと、論旨は明
快。
 わが国をめぐる領土問題は、たんに対ロシア・中国・韓国という問題では捉えきれ
ないことは前から言われていた。ヤルタ協定、カイロ宣言、ポツダム宣言にさかのぼ
りそれらを紙背に徹して読みこむ必要がある。ダワー氏も恐らくそういうだろう。ル
ーズベルト大統領からトルーマン大統領へ、ダレス長官戦略、それらをも視野に入れ
なければ到底理解できない。そのような分析はわが国でも既に行われてきたところで
ある。ダワー氏の見解はなんら目新しいものではないが、このインタビュー記事を書
いた中井・真鍋両氏は「戦後、日本人がなるべく開かないようにしてきた胸の奥の『
秘密の扉』がノックされた。そんな気分になった」と解説している。だが新聞記者が
そのように書かざるを得ないのが今日の日本の現実なのだろう。
 戦後の領土問題を論ずるとき必ずといっていいほど出てくる言葉が「固有の領土」
である。広辞苑(権威づけるときに使う)によると、「固有」とは(1)[易経(益
卦)]天然に有すること。もとからあること。(2)その物だけにあること。特有。
「日本の-文化」とある。
 すると、わが国固有の領土というのは、わが国が天然に有する領土、もとから持っ
ている領土ということになる。当然「わが国」はいつから存在したかが問題になる。
 建国記念日というものがある。神武がヤマトの地において即位して国ができた。奈
良盆地の一部分である。それが固有の領土、それ以外は固有ではない。出雲の国はヤ
マトの国ではなかった。至る所に国があり、それらを支配・併合して大和朝廷になっ
た。政府の公式見解だろう。つまり日本列島のほとんどがヤマトの、そして日本の固
有の領土ではない。北方四島や竹島、尖閣諸島ももとより固有の領土ではない! 国
語辞典を見てそういうふうに考察した。
 アメリカ大陸には西洋から人間がわたってきて国をつくった。それが西洋人の固有
の領土か? 原住民の国家や共同体を滅ぼしてつくったのが今の中南米諸国である。
合衆国の固有の領土とは何か。そんなものは存在しない。世界中見ても存在しないと
判断出来るだろう。したがって今日の国際法でも「固有の領土」というものはない。
考えられないことなのである。最近中国が日本政府の真似をして、というよりパクッ
テ「固有の領土」と言う場合があるようだが滑稽だ。「日本固有の領土」というのは
多分「島国根性」、よく言えば「島国魂」が生み出した言葉だろう。同じ島国でもイ
ギリスは幾度も侵略・征服され、民族も混交して今日にいたった。日本の経験は蒙古
襲来のみ、それも「神風」のおかげで侵略をうけなかった。「固有の領土」などを問
題にしだすと今日の国際関係は崩壊する。日本政府は、一度も他国の支配下に入った
ことのない領域が固有の領土だと言っているようだが、なんと論理性のない支離滅裂
の理屈であることか。せっぱ詰まってむりやりこじつけた屁理屈だ。
                   
(四)
 「満州」であろうが朝鮮・韓国であろうが中国であろうが、互いに自由に往来し居
住できる世界が望ましい。『ファウスト』のメフィストは生あるものは滅びると言っ
たが、いずれの日にか、国家は消滅し国境は存在しなくなる・・・「いずれ」が何時
になるかわからないが・・・。今年のノーベル平和賞はEUが受賞した。EUの結成
が話題になっていた頃、日本国内でも大きな反対の声があった。主権を侵害し、加盟
国の農民や労働者を苦境に陥れるというのが主要な趣旨だったと思う。ヨーロッパ人
からみれば余計なお世話だったろう。今、ヨーロッパの空港でアジアのツアー客が列
をなして並んでいる横を、EU人がスイスイと素通りして行く。EUとはこういうも
のかと妙に感心する。フランスとドイツは戦争しなくなった、これも不思議。東アジ
アでは今にも武力衝突かという危機が発生する。筆者はトルストイを読んでから、国
とか国境に疑問を抱きつづけてきた。だから「固有の領土」は不思議だった。国際競
技で日本が勝とうが負けようがどうでもいい・・・そう思う、だがこんなことは大き
な声で言わない方がいいらしい。