静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

.風のPL(11)ファーブルと地震

2012-11-12 18:26:08 | 日記

(一)博物学者ファーブル
 日本では三歳の子どもでもファーブルは知っている。親がファーブルの絵本を買い
与えたり図書館で借りてやったりするから。
 アンリ・ファーブル(1823-1915)は昆虫学者と言われている。手もとの『西洋人
名辞典(岩波)』をみても「フランスの昆虫学者」である。ファーブルの子ども向け
の啓蒙書『科学物語』(『新訳絵入 科学物語』1927年、冨山房)の翻訳者前田晁も
「昆虫学者」と言っている。だが、ファーブルの見事な評伝『ファーブルの生涯』(
平野威馬雄訳)を書いたG・V・ルグロは「当時文明世界のもっていたもっともすぐ
れたもっとも高い誇り、最大の博物学者」と表現し、ほとんど一貫して「博物学者」
と呼んでいる。どうも日本人の感覚とは合わない。ファーブルはいろいろな自然科学
の本も書いていて、『科学物語』の内容も動物だけでなく、植物、金属、天体、地 
球、気象、鉱工業、技術など多様な分野に及んでいる。むろん、第一次大戦勃発の騒
擾の中で静かに生を終えた彼が原子爆弾や原発を知る由もなかったが、地震について
はこの書でも強烈な記録を残しているので、その一部分を抜粋してみよう。この本で
ファーブルは、ポールおじさんという名を借りて近所の子どもたちに科学のお話をす
るという形をとっている。

 (二)ポールおじさんの地震話
 まずポールおじさんは、地球が球体であるのはどうして分かるかと設問し、一例と
して、入港する船を見ていると、はじめマストのてっぺんが見え、次に一番上の帆が
見え、次にその下の帆が見え、最後に船体の全部が見えるてくる、これは地球が球体
であることの証拠だと説く・・・この説明の仕方はプリニウスの『博物誌』での説明
と全く同じである。この話の後でファーブルは地球の大きさの話に移る。実はその前
に既に火山の話、エトナ山やヴェスヴィオ山の大噴火の話もしてあいるのだが・・・
そのとき彼はプリニウスの最後について詳しく書いた・・・そして地震の話へと移っ
てゆく。

 ポールおじさんは言う。「ヨーロッパで感じられた全ての地震の中で、最も恐ろし
かったのは一七七五年の万聖節(11月1日)にリスボンを破壊した奴だ。・・・地面
が幾度か烈しく揺れて・・・このポルトガルの繁華な首府は見渡すかぎり壊れた家と
死骸との山になってしまった」
 「波止場に逃げた群衆も、ボートも船も(水のなかに)ひき込まれていった。人一
人、板一枚も再び水面へ浮かんでは来なかった・・・六分間に六万人の人が死んだ」
 「このとき、アフリカのモロッコ、フェッツ、メキネズなど幾つかの町も覆された
」。「一万人が住んでいたある村は閉じた穴の中へ全体が呑み込まれた・・・」。
 「一七八三年の二月に、南イタリアに地震が起き四年間つづいた。はじめの年だけ
でも九百四十九回もあった。地面は、まるで荒海の上のように大きく打った波で皺が
寄って・・・人々は・・・吐き気を覚えた」「二分間で、最初の振動が南イタリアと
シシリー島との町や村の大部分をひっくり返した。・・・大きな広い地面が・・・山
腹からすべり落ちて、はるかに遠くへ行って、まるで別のところにとどまった。丘が
二つに裂けた。・・・わんとあいた深い穴の中へ、家や、樹木や、動物を載せたまま
で、何もかも一緒に呑み込まれて、それきり見えなくなった・・・」「あるところで
はまた、ざらざらと動いている砂で一ぱいな深いじょうごが口を明いて、やがてそれ
が大きなむろ穴になると、間もなく地下水が侵入してきて湖水に変わった。実に、二
百以上の湖や沼がこうして不意に出来たという」「振動のひどかったことは、街の敷
石が道からひっこぬかれて空中へ飛んだほどだった。・・・地面が持ちあがって裂け
ると、家も、人も、動物も一時にぱくっと呑み込まれた」「この恐ろしい出来事のた
めに死んだ人は八万にのぼったといわれている」「そのうちの大部分は家の潰れた下
に生きながら埋められたもので、その他のものは、震動のあとで起こった火事のため
に焼け死んだり、逃げて行くうちに、ふと足下にできた深い穴の中に呑み込まれたり
したのであった・・・」。

(三)プリニウスの地震話(『博物誌』から)
 エトルリアのムティナ地区で大変な、そして凶兆的な地震が起きた(前91年)。
二つの山が大音響をたてて衝突し、前へせり出し、また焔をあげながら後ろへ退い 
た。両山の間から煙が空に立ち上った。イタリアの国土にとっては、あの内乱よりも
悲惨な事件であった。
 ネロ帝の最後の年68年に、ネロの地所管理人のウェティウス・マルケルスの領地
で、真ん中にに公道が走っている牧場とオリーヴの木々が、道の反対側へと乗り越え
た。
 地震には海の浸水が伴う。人類の記憶にある最大の地震はティベリウス・カエサル
が皇帝でのとき起きた。12のアシアの都市が一夜で転覆した。もっとも多く起きたの
はポエニ戦争中で、たった1年間で57回の報告がローマにとどいた。(以下省略)

(四)地震の発生原因・・・ファーブル
 ポールおじさんは、は寒暖計の仕組みを説明した後で、鉱山に話題を移す。深い鉱
山の中では暑さがひどいこと。また、温泉の噴出にも言及する。地下の温度が30メ
ートル毎に1度ずつ高まる・・・だから地球は火で溶けた物と、その溶けた金属の大
海の上をぐるっと包んでいる固い薄皮とで出来ている球であると想像できる・・・。
地球の直径が2メートルとするとその薄皮は指の幅の半分の厚さに相当するし、卵の
殻が地球の殻であるとすると、どろどろした中味は地球の中のどろどろした物である
・・・と。子どもたちは考える、殻がそんなに薄いならたびたび震動が起きるだろう
というと。その疑問に対してポールおじさんは、どこかで何らかの震動を受けない日
はないが、恐ろしい地震がめったにないのは方々に火山があるお陰だ、火山は安全弁
だと説明する。聞いている子どもの一人は言う、おじさんから前にエトナ山の噴火や
カタニヤの災難のことを聞いた。火山は周辺を荒らす恐ろしい山だとばかり思ってい
たけど、大変ためになる、必要なものだということが分かりました・・・と。
 ポールおじさんの話は秩序立って論理的である。面白くやさしい。この書はフラン
スの小学校・中学・女学校などで広く用いられた。当時明治の学制改革のなかで日本
でも小・中学で「博物」という学科が生まれたがファーブルのこの書のような魅力的
な教科書は存在しなかった。

(五)地震発生諸説
 現在では、地震発生の原因はプレートテクトニクス説で説明される、それ以外の説
はないかのように。この説は1960年頃に生まれたもののような気がするが、もう
完全な定説である。だが以前から異説も多々ある。3・11の東日本大震災の後でも
新説が生まれた。地震は太陽の黒点と関係があるという説である。湯元清文・九州大
宇宙環境研究所センター長のチームの分析で、太陽の黒点数が少ない時期ほど巨大地
震の発生頻度が高く、東日本大震災もその時期に起きた。また、黒点数がが少ない時
期には、太陽から吹き出す電気を帯びた粒子の流れ「太陽風」が強ま現象時に、M6
以上の地震の70%が発生していたという(毎日・2011・9・26)。
 ローマの人セネカの結論は風がその原因ということだった。プリニウスもおおよそ
同じ見解だと述べたが、地震にまつわる彼の話を少し『博物誌』から引こう。
 バビロニアの学説では、地震は他のすべての現象の原因である三つの星(土星、木
星、火星)の力によってのみ起きるという。ミレトスの自然哲学者アナクシマンドロ
スは霊感にうたれてスパルタ人に地震がさし迫っているから注意するよう警告したが
、その後間もなく彼らの市全体が崩壊した。ピュタゴラスの師であったフェレキュ 
デスも霊感によって仲間に地震を予告したが、その霊感は井戸から水を汲んでいると
き得た。
 プリニウスはもちろんそんな話を信じていたわけではない。そんな話は個々人の判
断に任せればいいことだとし、彼自身は、セネかと同じように原因は風だという。な
ぜなら、地震は、風が凪いでいて空が全く静かで、空気の動きがすっかり止まり、鳥
が舞い上がることができないときに限って起きるという。そういうときには、風が地
脈の中に閉じ込められ、その閉じ込められた気流が自由に飛び出そうともがくときに
起きる。
 地震は電光と同じく秋と春に比較的多い。昼間より夜の方が多い。もっとも激しい
地震は朝と夕方に起こる。また月食日食の際に起こる。そのときは嵐が凪いでいるか
らだが、とくに雨の後に暑気が生じたり暑気の後に雨が降るときに起こる。
 地震がさし迫ると、晴天のとき、日中でも日没少し過ぎても、薄い雲の筋が広い地
域の上に棚引く。井戸水がいつもより濁り幾分悪臭があるのは、いまひとつの前兆 
だ。洞穴がそうであるように、井戸も閉じ込められた空気に出口を与えるという地震
からの救済方法があるのだ。
 排水のために道管を通された建物は揺れが少なく、なかでも地下室の上に建てられ
たものはずっと安全だ。いちばん安全な場所はアーチであり、また壁の隅や柱だ。こ
れらは相互に突き合うことで揺れ戻る。粘土のレンガで建てられた壁は揺れても被害
が少ない。たわみが波打ったり、大波のような動揺、または全運動が同じ方向に進む
ときは危険だ。風が出口を見出したときに地震は止まる・・・そのようなことをプリ
ニウスは書き連ねているが古代人の科学観の限界だ。
 ファーブルはさすが近代人だ、プリニウスとはずいぶん違う。だが、プリニウスは
非科学的だと批判する科学者は多いが、その現代の地震学者が多大な研究費を貰いな
がら(「この40年以上、何千億円も使ってきたのに予知に成功していない」長尾年
恭氏)東日本大震災を予知できなかった。地震予知など不可能と開き直る学者もい 
る。イタリアでは地震を予知できなかったと、地震学者が有罪になった。確かに予知
は難しいかもしれない。火星へ行くよりも難しいのだろう。毎年地球上で数多くの人
たちが地震の犠牲になっているというのに。
 プリニウスはギリシア人が建てたエフェソスのディアナ神殿について述べている。
これはギリシア人の抱いた壮大な構想に基づくものだが現実的でプリニウスの時代に
もその建物は健在だったという。建設には120年もかかった。地震によって損傷し
ないよう、また沈下の恐れがないようにと、建て物の基礎が動くような土地を避け沼
沢地に建てられた。沼沢地は、がっちりと踏み固められた木炭の層と、毛をつけたま
まの羊皮の層で固められた。神殿の全長は425フィート、幅220フィート。12
7本の円柱があり、一本づつが127の国王によってつくられた。この工事を監督し
たのはケルシフロンという人物。この工事で最も驚嘆すべきは、この巨大な建造物の
台輪を持ち上げて正しく据えたことだったという。プリニウスはこの工法について詳
しく述べている。今日、この工法を再検討する必要があるだろう。・・・人間は偉大
なのか愚かなのか?