静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

桝本セツとアグリコラ

2010-10-17 08:46:41 | 日記
 桝本セツ『技術史』(三笠全書、昭和13年)を読んでいちばん印象に残ったのは次の一節である。少し長くなるが載せる。

 「採鉱に於いては人は全く無機物の環境に入り込む。そこは鉱石と金属のみの世界で、野も森も、流れも、海もない。地下の岩石の内部には生命がない。地下水を通してしか或いは人間が持ち込む以外には、バクテリア、原生動物さえもが居ないのである。鉱坑の内部には、何らの形もない。雲をうかべた青空は勿論のこと、眼を楽しませる樹木も、獣もない。鉱夫等は物の形態を見る目を失う。彼らの見るものは物体ではなく物質のみ。目は失われ,自然のリズムは破れている。外界にはあまねく太陽の光が降り注いでいるときにも、幽闇な坑内にはただかすかな蝋燭の光が青白く明滅するばかりだ。そしてアグリコラの『デ・レ・メタリカ』には当時の採鉱技術を集大成しながら,そして彼自身医者でありながら、鉱山労働者の受けている肉体的、精神的の殆ど破壊的な苦痛、それを如何にして解決するかの途は少しも述べられていないのである.そして、かかる労働者の状態は、産業革命期を通し、19世紀を通して、ひとり採鉱業のみならず,産業の全領域に拡大し、現代に於ける産業構造、ひいては社会機構の根本的矛盾にまで深化しているに拘わらず、技術者、工学者はもとより、実際政治家は少しもこれに本格的な解決を与えようとはしていないのである。だが、解決のみちは決して存在しないわけではない」。

 ゲオルグ・アグリコラは1494年ドイツのザクセン生まれ。ライプツィッヒ大学で学び、また同大学で教師もし、人文学者として有名になる。その後医学に転じてイタリアに留学、帰途ボヘミアの銀産地のヨアヒムスタールという町に7年間とどまる。その目的の一つは、彼の医学上の知識をこの鉱山で役立てること、もう一つは,彼が生来持っていた鉱山学・岩石学を深め、この両者を結びつけることだった。桝本が「彼自身が医者でありながら」と書いているのはそういうことである。
 アグリコラは多様な書を書いているが、畢生の大作が『デ・レ・メタリカ』(1556年)である。この鉱山町での経験が役立った。

 アグリコラと『デ・レ・メタリカ』を本格的にわが国に紹介したのは三枝博音である。この書の全訳も果たした(岩崎学術出版社、1968年)。桝本の『技術史』はその30年前にすでに出版されている。
 アグリコラの原文はラテン語だが、相次いでドイツ語版、イタリア語版が出た。よく読まれたのは、元アメリカ大統領フーバー夫妻の訳による英語版(1912年)とマチョッスたち訳のドイツ語版(1928年)だという。桝本はこのどちらかを見た可能性はあるが、三枝の日本語訳は見ることが出来なかった。

 『デ・レ・メタリカ』は桝本の言うとおり「当時の採鉱技術の集大成であり、近代鉱業、ひいては近代工業の発達に大きく貢献したとは大方の認めるところである。アグリコラは『デ・レ・メタリカ』全12巻の最初の第1巻全部を鉱業についての既成概念の打破に使った。彼は、鉱業は、自然を破壊するものだとか、自然に反する人間の貪欲から発生したものだという古代からある思想に対し種々の観点から反論した。そのうち興味ある視点・・・鉱山はほとんどが役に立たない山野で行なわれているのだから自然の破壊にはならないし、鉱業は戦争などという暴力ではなく平和な手段で富をもたらす・・・。 

 古代において、乱開発を批判した人はいろいろいるが、ここでは、鉱業というものが人間の欲望にもとづくものだと批判したセネカの一節を載せておく。

 「マケドニアのフィリッポス王の以前にも、銭を求めて地下の最も深い隠れ場まで下った者たちがいた。・・・そこには夜と昼の区別も決して届くことはなかったのである。・・・どんな大きな必要が、天に向かって直立している人間を屈めさせ、地下に送り込み、最も深い地の底に沈めたのか―黄金という、所有することにも劣らぬ、獲得することの危険な代物を掘り出すために。この目的のために人間は坑道を掘り、泥だらけの不確実な捕獲物の周囲を這い回り、昼の日も忘れ、また事物のよい本性も忘れて、そこから自らを他方に転じたのである」(セネカ『自然研究』茂木訳)。 

 アグリコラはいう。多くの人々は、鉱山の仕事は行き当たりばったりの、汚い仕事で、技術も学問も肉体的な骨折りもいらない仕事だと考えているが、鉱山師は多くの技術や学問を心得ていなければならないと。
 どんな学問が必要かというと、哲学・医学・天文学・測量学・算数・建築術・図学・法律とくに鉱山法だという。それはそうだろう。古代ローマ時代、『農業論』のコルメラ、『建築書」のウィトゥルウィウス、『ローマの水道』のフロンティヌスにしても、それぞれの書名からは想像もつかない広範な問題を扱っている。そういう百科全書的な著述法はローマでは伝統的なものであった。 
 だが、実際には『デ・レ・メタリカ』は鉱業と冶金にほとんどが充てられていて、それ以外の技術や学門にはほとんど触れていない。専門化が進み、近代科学的な方向へ途を開くかのように見える。

 彼は医学も大切だと書いているし、彼自身が医者だったにもかかわらず、医術のことにはほんの申しわけ程度にしか触れていない。たとえば、エーゲ海上にあるレムノス島で採取されるレムノス土については「人類にとって有用なもの(薬用に?)とは書いても、具体的には何も書いていない。プリニウスは『博物誌』で、レムノス土の絵の具としての使用法、薬品としての使用法や薬効について具体的に記述している。アグリコラにとって、寄り道などしている暇はなかったのだ。

 『デ・レ・メタリカ』を、たまに手にとって見ることがある。立派な本だと思う。とくに300近くの挿絵がいい。当時の採鉱の技術がわかりやすく描かれていて、とても貴重なものだといえよう。三枝がたびたび紹介しているように、ゲーテもこの書を高く評価した。三枝の引用したゲーテの言葉を、三枝とは別の訳で紹介する。 

 「古今の鉱業、鉱石学と岩石学の全体を包括し、貴重な贈物としてわれわれの眼前にある著作の主アグリコラをいまなお賛嘆する。彼は1494年に生まれ、1554年に歿した。つまり彼は、新たに生まれ出るやすぐさま頂点に達しようとしていた芸術と文学の最上かつ最良の時代に生きたことになる」(ゲーテ『色彩論―歴史編』南大路ほか訳、工作舎、1999年)。

 三枝はこのゲーテの一節に関して「約300の美しい挿絵」が考え合わされていることは間違いあるまいと述べている。だが私にはゲーテの言葉にも三枝の言にも判らない点があるのだが、それは保留としておこう。
 それにしても、美的であるかどうかは別にして、16世紀の鉱山を描いた此の挿絵を見る人は、そこに今日の鉱山の原型を見る思いがするだろう。

 このようなゲーテや三枝の称揚にもかかわらず、鉱山業に対して、冒頭に掲げた桝本のような鋭い批判もあった。桝本はさらにこう言っていた。概略を述べる。

  採鉱技術は古代以来最近までほとんど発達しなかった。他の産業に比べても遅れ、ほぼ2000年にわたって最も原始的な方法が持続されてきた。それと同時に、それに従事する労働者の地位は、最も低い階級に置かれた。最近まで、戦争俘虜や犯罪人、奴隷でもなければ鉱山で働こうとは思わなかった。そして(現代アメリカの文明批評家マンフォードの『技術と文明』1938年)から引きながら)、採鉱業はまともな人間の商売ではなく刑罰の一形式でしかなかった。人間の困難な、命がけの仕事のうち、旧式の鉱山採掘に比べられるのは恐らく近代戦争の第一線の仕事だけであろう。鉱山労働における事故による死傷は、それ以外の労働の四倍にものぼる。14世紀以来、主として軍事的要求によって、このような劣悪な労働条件での採鉱業が強行されてきたのである。(註:升本の『技術史』はマンフォードの多くを学んだのかもしれない)。

 桝本のこのような発想が三枝のアグリコラ論にないのは不思議だ。

 現代の物質文明の発達、大量破壊兵器(なかんずく核兵器)の開発のために人類は地下深く掘削を続けてきたし、今後も一層掘り進んでゆくだろう。地球の地下資源の獲得競争は激化の一途を辿り、国境紛争の止むこともない。
 一方で、掘削技術はますます向上するが、坑内での事故は絶えることがない。医術の発達にもかかわらず病気が地上から消えることがないように、地下の惨事も後を断つことがない。

 桝本は「解決のみちは決して存在しないわけではない」というが・・・。