静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

都市というもの(3)わがまち

2010-03-15 18:19:14 | 日記
 近代日本の都市は大半は徳川の封建都市をそのままで受け継いだ。ものの本によると、明治初年、人口1万以上の都市数99のうち城下町は63、そのうち5万以上の都市は横浜を除く全城下町だったという。「十五年戦争」が始まった翌年(1932年)でも、市数111の6割以上、70近くが旧城下町だった。米空軍の爆撃によって87市が罹災し、都市人口の約33%が住宅を失ったという。細かく調べたわけではないが、旧城下町の大半が被爆したと見ていい。

 城下町は、領主が防衛上の必要を考えて造ったので、それぞれが特徴があり個性的であった。戦後復興した都市は旧城下町の不便さを克服しようと、近代都市を目指して造られた。比較的成功した都市、失敗した都市などまちまちではあろう。だが結果的には、一般論だが、日本の都市はどこへ行っても構造と景観を同じくして個性もなく面白みがないと言われる。個人の価値と個性を尊重する新憲法のもとで、どうして個性のない町が生まれたのだろう。

 先(前々回)にミュンヘンの町が戦前と同じ街並みに復興したことに触れたが、ポーランドでもワルシャワやグダニスクの町をほぼ戦前の原形どおりによみがえらせた。市民が崩れた瓦礫の中からレンガ一つ一つ拾い集めたというではないか。日本の都市で、戦前どおり復興させようとしたような話は聞いていない。

 ローマ市長であったルテリ氏は「ローマは東京やニューヨークのような町になるつもりはない。ローマは永遠にローマなのです」といったそうである。そして、都市の魅力は何かと問われて、それは「個性」だと答えたという。イタリアを訪れた人は口をそろえて、地方都市がみんな個性的で魅力的だという。
 「イタリア料理」という料理はイタリアにはなく、それぞれの地方の名がついているという。だが日本には「イタリア料理」はある。「イタ飯」などという名まである。本にそんなようなことが書いてあった。もちろん日本にも郷土料理はあるが総称して「日本料理」である。ところがイタリアには「イタリア料理」はないというのだから、これはまた妙だ。

 イギリスの小説家ギッシングは1897年、三度目のイタリア旅行を果たした。南イタリアのコトローネという小さな町の小さなホテルの食堂での話。ギッシングはイタリア人の食事ぶりは見ているだけで面白いという。まず給仕に自分の要求する食事の概略を説明、次にこまごまと注文をつける。調理法を微に入り細を穿って説明する。思いもよらぬ珍奇な料理を持ち出したりする。山盛りのスパゲッティは本番のためのたんなる序曲、食欲増進のための料理に過ぎない。食事のあいだじゅう,料理に文句を言い続ける・・・(小池訳『イタリア旅行記』。このあとまだ続くがこの辺で打ち切ろう。なにしろ、イタリア人が極めて個性的だということはよくわかった。

 私の話は、いつも脇に脇にへとそれてしまう。

 私は鮫島有美子のうたう「ウィーンわが夢のまち」というのが好きだ。他の人の歌うのも聞いたが、やっぱり鮫島さんのが一番いい。あらかわひろし訳の歌詞を勝手に掲載させてもらう。

  喜びも悲しみも
  みんなこのまちに
  夜でも昼でも  
  心のなぐさめ
  誰にでも愛される
  わたしのふるさと
  いつもこのまちに

  遥か聞こえてくる楽しい歌声
  ウィーン ウィーン
  お前はこころのふるさとよ
  古びたまちかど かわいいう娘たち
  ウィーン ウィーン
  お前はわたしの夢のまち
  しあわせあふれる夢のまち ウィーン

 ある旧城下町でのこと。徳川時代か明治時代かは知らないが、何しろ古びた家並みが残っているそんな街角。歩いていたら突然ひとりの娘さんが横から飛び出してきた。飛び出したというのはこちらの感覚、出てきたのだ。家と家の間に、やっと一人通れるくらいの通路がある。向こうの道路に通じている秘密の通路。直線ではなくクランクになっている。だから見通せない。敵が攻めてきたときの隠れ道だ。「古びたまちかど」にかわいい娘さんが突如として現れる「夢のまち」だ。