一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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調性と音楽

2007-06-01 09:07:42 | Essay
何らかの楽器を演奏している人(ただしピアノを除く)に、調性と音楽に関して話を聞くと、どうしても演奏しやすい/しにくい、というレヴェルになって、調性感ということにはなかなかならないようです。

典型的な例としては、チェリストがドヴォルザークのチェロ協奏曲を指して、
「ドヴォルザークはチェロという楽器を分かっていない。ロ短調という調性ではチェロが美しく鳴らない」
と言ったという話があります。

しかし、作曲家がある調性を選んだ、ということは、その調性に聴衆と共通した感覚があるから(あると信じるから)に他ならないでしょう。
もちろん、作曲家が、演奏者から示唆を受けて、演奏が効果的な調性を選ぶという場合もあるでしょうが。

さて、その調性感が何によるか、という理由です。

まず、最初に考えねばならないのは、それが人間にとって、先天的なものか/後天的なものか、ということです。
どうやら、リズムの場合は、音響心理学が示すように、先天的な部分があるようなのですが、こと調性ということになると、これは後天的であると断定してもいいようです(なぜなら、調性という概念自体が、近代ヨーロッパという文化と密接に結びついているから)。
*リズムと心理に関しては、ウィリアム・ベンゾン『音楽する脳』がある。

つまりは、文化的にそのような感覚を身につけていく、ということなのね。
ですから、より多くの曲を聴くほど、感覚が磨かれていく。ただし、音響心理学的なアプローチが、どのような結論/仮説を出しているかは、小生、あまり知るところがありません。

だとすれば、調性感も時代とともに変わっていく、と考えることもできます。
現代の我々の調性感で、ハイドン時代の調性感を断定することには、多少の保留が必要なのかもしれません(時代によるピッチの差もあるでしょうし)。


ウィリアム・ベンゾン著、西田美緒子訳
『音楽する脳』
角川書店
定価: 2,310 円 (税込)
ISBN978-4047915008