一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「歴史其儘」と「歴史離れ」

2007-06-30 04:58:19 | Criticism
明治時代になって西欧化が進むと、従来の「稗史(小説)」は著しく非難の的になります。

その典型的な言説が、坪内逍遥の『小説神髄』であると言えるでしょう。
そこで彼は、「江戸時代の怪奇風で勧善懲悪式の物語作法を批判し、人間の感情や物事をありのままに描写する小説 novel を提唱」(HP「青空文庫」坪内逍遥の項目)します。

これによって、ほぼ従来の「稗史(小説)」的なものは、講釈や芝居などの民衆芸能の世界に追いやられていきます(一方で、劇場・脚本・演技のすべてに渡って、歌舞伎の近代化も進んでいく。「活歴もの」から「新歌舞伎」)。

また、次のような言説も、大正時代になると現れてくる。
「わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる『自然』を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた。これが一つである。わたくしは又現存の人が自家の生活をありの儘に書くのを見て、現在がありの儘に書いて好いなら、過去も書いて好い筈だと思つた。」

「わたくしはおほよそ此筋(=原・伝説の『山椒大夫』)を辿つて、勝手に想像して書いた。地の文はこれまで書き慣れた口語体、対話は現代の東京語で、只山岡大夫や山椒大夫の口吻に、少し古びを附けただけである。しかし歴史上の人物を扱ふ癖の附いたわたくしは、まるで時代と云ふものを顧みずに書くことが出来ない。そこで調度やなんぞは手近にある和名抄にある名を使つた。官名なんぞも古いのを使つた。」
というのが、森鴎外の「歴史其儘と歴史離れ」に説明された2種類の小説作法です(「歴史小説」概念の2類型と見るより、鴎外の2とおりの小説作法と読んだ方が適切だと思われる)。

一方で、地下底流化していた「稗史(小説)」が、講釈の文字化という形で表面に出てくるのも、この頃です(「立川文庫」「講談倶楽部」など)。

森鴎外
『歴史其儘と歴史離れ―森鴎外全集(14)』
ちくま文庫
定価:各 1,427 円 (税込)
ISBN978-4480030948