何らかの楽器を演奏している人(ただしピアノを除く)に、調性と音楽に関して話を聞くと、どうしても演奏しやすい/しにくい、というレヴェルになって、調性感ということにはなかなかならないようです。
典型的な例としては、チェリストがドヴォルザークのチェロ協奏曲を指して、
しかし、作曲家がある調性を選んだ、ということは、その調性に聴衆と共通した感覚があるから(あると信じるから)に他ならないでしょう。
もちろん、作曲家が、演奏者から示唆を受けて、演奏が効果的な調性を選ぶという場合もあるでしょうが。
さて、その調性感が何によるか、という理由です。
まず、最初に考えねばならないのは、それが人間にとって、先天的なものか/後天的なものか、ということです。
どうやら、リズムの場合は、音響心理学が示すように、先天的な部分があるようなのですが、こと調性ということになると、これは後天的であると断定してもいいようです(なぜなら、調性という概念自体が、近代ヨーロッパという文化と密接に結びついているから)。
*リズムと心理に関しては、ウィリアム・ベンゾン『音楽する脳』がある。
つまりは、文化的にそのような感覚を身につけていく、ということなのね。
ですから、より多くの曲を聴くほど、感覚が磨かれていく。ただし、音響心理学的なアプローチが、どのような結論/仮説を出しているかは、小生、あまり知るところがありません。
だとすれば、調性感も時代とともに変わっていく、と考えることもできます。
現代の我々の調性感で、ハイドン時代の調性感を断定することには、多少の保留が必要なのかもしれません(時代によるピッチの差もあるでしょうし)。
ウィリアム・ベンゾン著、西田美緒子訳
『音楽する脳』
角川書店
定価: 2,310 円 (税込)
ISBN978-4047915008
典型的な例としては、チェリストがドヴォルザークのチェロ協奏曲を指して、
「ドヴォルザークはチェロという楽器を分かっていない。ロ短調という調性ではチェロが美しく鳴らない」と言ったという話があります。
しかし、作曲家がある調性を選んだ、ということは、その調性に聴衆と共通した感覚があるから(あると信じるから)に他ならないでしょう。
もちろん、作曲家が、演奏者から示唆を受けて、演奏が効果的な調性を選ぶという場合もあるでしょうが。
さて、その調性感が何によるか、という理由です。
まず、最初に考えねばならないのは、それが人間にとって、先天的なものか/後天的なものか、ということです。
どうやら、リズムの場合は、音響心理学が示すように、先天的な部分があるようなのですが、こと調性ということになると、これは後天的であると断定してもいいようです(なぜなら、調性という概念自体が、近代ヨーロッパという文化と密接に結びついているから)。
*リズムと心理に関しては、ウィリアム・ベンゾン『音楽する脳』がある。
つまりは、文化的にそのような感覚を身につけていく、ということなのね。
ですから、より多くの曲を聴くほど、感覚が磨かれていく。ただし、音響心理学的なアプローチが、どのような結論/仮説を出しているかは、小生、あまり知るところがありません。
だとすれば、調性感も時代とともに変わっていく、と考えることもできます。
現代の我々の調性感で、ハイドン時代の調性感を断定することには、多少の保留が必要なのかもしれません(時代によるピッチの差もあるでしょうし)。
ウィリアム・ベンゾン著、西田美緒子訳
『音楽する脳』
角川書店
定価: 2,310 円 (税込)
ISBN978-4047915008
違いを一番著しく感じるのはラフマニノフのパガニーニラプソディーの18変奏曲。原調は変ニ長調ですが、半音下げてハ長調にしたり半音上げてニ長調で引くとぜんぜんロマンチックではなぁい。(-_-)
でも、オケのピッチからいうと、平均率よりも若干上がってて、限りなくニ長調に近いのになぁ。何か不思議ですよねぇ(^o^)
知り合いの(一応作曲を生業としている)作曲家に聴いたところ、調性に特にイメージは持っていないとのことでした。ただ、開放弦の使用によって印象が変わることはあるだろうと。
全ての曲をC durかa mollで作り、キーを変えることができるトランスポーズという電子楽器の力を使って何となく調を決定している人もいるらしいです。
また、ある曲の表現について話していて実際に移調して試してみたところ、2度下げれば暗く重い感じに、2度上げれば明るく華やかに聞こえると全員が同意見でした。ただ、原曲を知っていてのことですが。
結局、ハ短調=運命=悲劇的のような、いつの間にか培われたものに影響されているのだろうという結論に達しました。
ところで、「文化に進歩はあるのか?」の続きを期待して待っているのですが…。
好きな調性や嫌いな調性があるのでは、
と思われます。
ですから、今日の我々も、
それを捉えて、イメージが作られるのでは……
というのは、6月4日付で書いた
『ハイドン ロマンの軌跡』
を読んでの感想。
なかなか面白い本ですので、
Juncoさんもお読みなったらいかがでしょうか。
では、また。
実を申せば、現在、明治維新を舞台にした小説を
何編か書いておりまして、
なかなか、とりかかれないのが現状です。
というのも、そうした小説ですから、
表面には現れませんが、
当然ながら背景には、
日本において「文化に進歩はあるのか?」
という問題が潜んでいるわけです。
小説の方をお読みください、
といっても、こちらもいつ刊行になるか
はっきりしていない状態ですから、
それも不親切ですね。
いずれ、現在の執筆に区切りがついたら
「その三」を掲載します。
お待ちいただいて恐縮ですが、
以上のような事情をおくみとりくだされば幸甚。
では、また。