一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(152) ―『ハイドン ロマンの軌跡』

2007-06-04 16:06:11 | Book Review
アマチュア弦楽四重奏団で第二ヴァイオリンを弾いている著者の経験を元にした、ハイドンの弦楽四重奏曲の楽曲分析とともに、ハイドンの精神生活を中心とした生涯をたどったエッセイ集。

ハイドンの生涯に関しては、史料が乏しいようです。
そこで、著者のように楽曲分析から逆算して、作曲された当時の精神状態を推定していくという手法が、役に立ってくるわけ(著者は音楽史家ではないから、そのような方法が成り立ちうる)。

したがって、取り上げられている弦楽四重奏曲は、それぞれハイドンのポイントとなる時点で作曲されたものになります。
第1番から始まり、第22番、第32番、第38番『冗談』、第39番『鳥』、第45番、第67番『ひばり』、第74番『騎士』、第77番『皇帝』、第78番『日の出』、第79番『ラールゴ』、第81番に終わる、といった具合です。

それでは、著者は、ハイドンにどのような音楽を聴いているか。

キー・ワードをいくつか挙げれば、「単純明快」「庶民的センチメンタリズム」「爽やかさ」「淡(あわ)やかな叙情性」そして「ロマンティシズム」といったところでしょうか。

ここで一番問題になるのが、最後に挙げた「ロマンティシズム」ということになるでしょう。
これは、特に、最近よくいわれている、ハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング」期(1766年頃 - 73年頃)とも関わってくる問題です。
通説では、「強い感情表出」がハイドンのこの時代に作曲したものには聴き取れるということなのですが、著者は、このような見解には異論を述べています。詳しくは、本書を読んでいただくとして、その点で、次のようないい方もできるでしょう。
「ハイドンとはまったく関係がなかった文芸運動の時代様式であるシュトゥルム・ウント・ドラングの名称を、ハイドンの1766年頃から73年頃までの様式時代に適応(適用?)する慣習は、そろそろ改められてよいのではないだろうか。むしろ、ハイドンの独創性がひときわ顕著なこの時期にかんしては、〈実験の時代〉といった新しい名称を、筆者は提唱したい。」(中野博嗣解説。『ハイドン シュトゥルム・ウント・ドラング期の交響曲集 III』所収) 

さて、それでは著者は「ロマンティシズム」について、どのように考えているのか。
「ロマンとは(中略)現実と対決して、精神が己れの願望を、そのかけがえのないリアリティを歌いあげることだと思う。しかも精神が己れの願望とかけがえのないそのリアリティを鋭く自覚するのは、その願望がかなえられない時であり、不幸とか悩みとか呼ばれるような現実が、精神の願望を打ち砕く時である。」
そして、ハイドンにおいては、
「ハイドンが不幸でなかったなどとは、とんでもない話である。にもかかわらず彼は嘆かなかった。人に不幸が訪れるのは当然のことなのだ。彼は不幸をじっと噛みしめながら、ロマンを謳ったのである。ハイドンのロマンは嘆きに捉われているのではない。それは自由に漂う精神であり、溌剌と動きまわる精神の躍動であり、安らぐ心地よさを愉しむ精神である。」

このような引用をすると、やけに小難しい理屈を述べた本だと誤解されてしまうかもしれません。
むしろ、メインになっているのは、主な弦楽四重奏曲の楽曲分析です。
しかも、実践を通じてのそれですので、説得力があります。また、その説得性は、感性のみならず、著者の論理的な考えに負うところも大でしょう(ちなみに、著者は神戸商船大学経済学教授)。

ハイドンの室内楽だけではなく、彼の音楽に心惹かれるところのある方に、お勧めの一冊です。

井上和雄
『ハイドン ロマンの軌跡』
音楽之友社
定価:1,890 円 (税込)
ISBN978-4276201064