一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(140) ―『丘の一族―小林信彦自選作品集』

2007-04-09 07:01:58 | Book Review
本書に収められているのは、「丘の一族」「家の旗」「八月の視野」「みずすましの街」の中短編4編です。
自伝的な要素が強い点が、この4作に共通しているのですが、その主な舞台となった時代は、ちょうど収められた順番とはほぼ逆になっています。

つまり、「丘の一族」は敗戦直後から朝鮮戦争にかけての時代、「家の旗」はほぼ現代(執筆時点での)と思われる時代、「八月の視野」は敗戦直後、
「みずすましの街」は戦前から戦争中にかけて、ということになります。

本書末尾の解説(坪内祐三執筆)には、
「それぞれに独立した秀作であるが、それが、一つにまとめられると、しかもこの順番でまとめられると、それ自身で一冊の見事な長編小説になっているのだ。」
とありますが、それにこだわることは一切ありません。
一編一編を楽しめば、それでよろしい。

しかも、前3編と「みずすましの街」とでは、微妙に色彩が違っています。
というのも、この作品だけが「オール読物」という「中間小説」雑誌が初出なのね(他は「海」と「文学界」であり、芥川賞候補作品)。

そのせいもあってか、他の3編は、失われた「わが町/一族」に対する哀惜の情の他に、現代に対する作者の違和感や苛立ちのような感情が露になっているのに対して、「みずすましの街」はやや異なっています。

大きな相違点は、そこはかとないユーモラスな感覚のようなもの。
この小説の主人公である「清さん」は町内の遊び人です。
「苦み走ったという形容がぴたりと嵌」り、「笑みを漂わせていたとしても、目だけが笑っていない」ような、一種の威圧感のある男。
けれども、博打場に警察の手が入ったときには、戸棚の中に隠れたものの、中でしゃがんで煙草を吹かしていたような、すっとんきょうなところもある。

結局のところ、
「旋毛曲り、はぐれ者のようにみえて、けっこう順応性があり、時代の表面を、まさにみずすましのように遊泳できる」
存在なのです(これは、中年になって振り返ってからの「語り手」の感想)。

そのような微妙な世間様とのずれが、本書にユーモラスな感覚をもたらしているのでしょう。

小生が笑ってしまったのは、次のような部分。
英米語を店名に使うのはまずいから改名しようと、「清さん」と語り手の父親とが相談するシーンです(八路軍を「清さん」が誉め讃えるシーンも傑作!)。
「で、『コロラド』をやめにして、何と名乗るの』ときいた。
「さいですねえ」
 清さんは俯いて、
「まあ、『東條』でしょうかねえ」
「極端過ぎやしないか、そりゃ……」
 父は驚いたようだった。
「……いえ、東條てえのは、てまえの苗字なので」

その他、桂文楽を思わせる、隣家の印刷屋の老人も「いい味」を出しています。

さて、映像化する場合、「清さん」や印刷屋の老人を演じられる役者さんが、今いるでしょうか?

小林信彦
『丘の一族―小林信彦自選作品集』
講談社文芸文庫
定価:1,365円 (税込)
ISBN978-4061984240