「佃渡しで娘がいつた吉本隆明の「佃渡しで」という詩の冒頭です。
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた」
ここでの「娘」の視点は、前回述べた「〈下町情緒〉を求めてぶらつく〈観光客〉」のそれでありましょう。
これに対して、「河蒸気のとものところ」に「芥」を見てしまうのが、その場に生活している人間のリアリズムというものでしょう。
吉本は、次のような発言もしています。
「ほんというと、東京の下町は、東京の田舎、東京の地方ですから、そこの共同体意識は地方農村にも通じる普遍的なものなんじゃないかとある時期まで思ってました。(中略)
ある時期まで、東京の下町の共同体意識は、地方でも、田舎でも、みんなこれなんだって思っていました。それは、たぶん違うんですね。都会の裏だなの隣同士、つまり壁をトントンと叩くと響くような、そういうのと農村の共同体意識とは違うんでしょうね。」(正津勉編集『東京詩集[III]』)
小生、地方の共同体意識というのは、今一つ分らないところがある。
また、本当のところ、戦前下町の共同体意識というのも、実感としては持っていません。
ただ、次のような感覚は、分らないでもない。
「堀辰雄は、『辰ちゃん、辰ちゃん』って、近所のおばさんなんかから呼ばれていたような子供だったんで、それはいい情緒なんでけど、そういうのは堀辰雄にとってはきっといやなことだったんでしょうね。内面に、ここまで煩わしく踏みこまれたらかなわないよ、っていうところが極端にあって、それを嫌悪したじゃないでしょうか。(中略)また、小林信彦の次のような感覚。
堀辰雄は向島のたしか小梅町かなんかで、あのゴテゴテした裏長屋的な場所に育ったんだから、あれを資質的に嫌悪したら、まったく正反対の環境にいってしまって、正反対の文学を生むようになるにちがいないっていうのはとてもわかりやすい。」(正津編、前掲書)
「春日町めがけて都電がぐっと下ってゆく時、私は軽いうつ状態になった。うつ状態などという言葉は知らなかったが、自分が落ちていく気分はいやなものであった。
はっきりいえば、自分が山の手の〈文化的環境〉から、下町という〈非文化的環境〉に吸い込まれていくことへの抵抗感である。」(小林「日本橋バビロン」)
このような感覚を与えるものは、現在でもうっすらと残っている(小林のそれは、より色濃く)。
それを端的な形でことばに定着させている人間が少ないのが、「下町幻想」を再生産させている大きな原因の一つともなっているのでしょう。
正津勉編集/吉本隆明解説
『東京詩集[III]Tokyo 1945 - 1986』
作品社
定価:1,890円 (税込)