一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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東京下町幻想に御用心

2007-04-03 07:14:35 | Essay
東京の下町(ここでは、旧日本橋区、旧神田区、旧京橋区、旧浅草区、旧深川区、旧本所区を指す)が、東京の中でも独自の存在感を示していたのは、昭和戦前期までではないでしょうか。

一番大きな変化をもたらしたのが、東京大空襲であることは間違いありますまい。
3月10日の下町大空襲では、
「本所、深川、城東、浅草の四区は、ほとんど全滅にちかい決定的打撃をうけた。日本橋、向島がこれにつづく。本所区などはじつにその96%をいっきょに焼失し、ほとんど無人の町と化し、全東京35区のうちの三分の二にあたる26区が、それぞれ相当な被害をうけた。」(『江戸東京学事典』「未曽有の惨劇」早乙女勝元執筆)
のですから。

街並だけではなく、当然、そこに住む人びとも失われて、もはや「下町」といっても、それは名のみ。
それでも多少は残っていた「下町」の要素が決定的に失われたのは、高度経済成長と東京オリンピックを契機にしてでしょう。
現在の住民のほとんどが、他地域からの移住者なのですから。

そのような状況の元で、「下町情緒」などと言うのは、これは幻想以外の何ものでもない。
確かに「幻想」が売物になるのは分ります。他の観光地での「大正ロマン」「明治レトロ」などと同じようなものです。
そのような形で、御ショーバイとして「下町情緒」を売物にするのは分るのですが、それを真に受けて発言などするのは、いかがなものか、というのが今回のテーマ。

都知事選挙の折から、新聞では「東京論」「東京に対するコメント」などがかなり頻繁に掲載されています。
その中で、この下町幻想を、実際にあるものと錯覚している発言も見受けられます。
典型的なものが、3月30日付け「朝日新聞」夕刊に載った林家正蔵の発言。

「落語とは人の業の肯定である」と『現代落語論』で喝破した立川談志ほどの発言をせよ、とは申しませんが、あまりにも素朴な正蔵の言い分です。
「落語は人がどう生きるべきかを示してくれる教科書。下町の人間関係が育んできたものなんです。東京がどう変っても、下町っ子の心は残さないといけない。」
というのが、新聞で目についたもの。

そこには、確信犯的に「下町幻想」を味付けにした山田洋次のしたたかさや、落語に実存的な意味合いを見出した立川談志の鋭さ、などは指の先ほども見受けられません。
ただ単に「甘い」だけです(9代目林屋正蔵という名門の御曹司の「甘さ」でしょうか)。

この「甘さ」は、「下町情緒」を求めてぶらつく「観光客」にも共通しているのね。
「下町情緒」などは御ショーバイの手段と割り切って受けとめないと、本当の「下町的なるもの」に達することはできないでしょう(最近、多少流行気味の「江戸しぐさ」なるものにも、この御ショーバイを感じる)。