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🎥 ゴジラvsコング が新日プロレスとコラボ 202106

2021-06-11 20:01:00 | 🎬 映画、TV

「ゴジラvsコング」が新日本プロレスとコラボ、獣神サンダー・ライガーが迎え撃つ
     映画ナタリ より221年6月11日
「ゴジラvsコング」が新日本プロレスとコラボ。獣神サンダー・ライガーの指導のもと、ゴジラが新日本プロレスの入団テストを受ける映像がYouTubeで公開された。

 映像は未確認巨大生物が新日本プロレスの道場へ向けて東京湾を北上する様子から幕開け。大のゴジラ好きとして知られる獣神サンダー・ライガーが緊急出動を要請される。引退後初めてバイオアーマーに身を包んだという獣神サンダー・ライガーは新日本プロレスの入団テストとして、初代ゴジラを迎え撃つ。
実況はフリーアナウンサーの清野茂樹。入団テストの結果は映像で確認を(映画ナタリ)

このたび新日本プロレスのイベント「KIZUNA ROAD 2021」「SUMMER STRUGGLE 2021」とのコラボも決定。レフェリーのレッドシューズ海野が、ゴジラVSコングのビッグマッチを裁く様子を表現したポスターも用意された。このビジュアルは6月14日よりイベント会場や闘魂SHOP、ゴジラ・ストアなどに掲出される予定だ。

アダム・ウィンガードが監督を務めた「ゴジラvsコング」は7月2日より全国ロードショー。獣神サンダー・ライガーとレッドシューズ海野によるコメントは下記に掲載した。

⚫︎獣神サンダー・ライガー コメント
 ゴジラが新日本プロレスに入団できるかどうかというテストを行ないました! ライガー対ゴジラのリングでの異次元対決をぜひ見て頂ければと思います!

⚫︎レッドシューズ海野 コメント
 こんな試合をさばいたことなかったです! ゴジラとコングのバトルが究極すぎて、死ぬかと思うくらい命と魂を削ったレフリングでした。

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📘 生物を自在に改変し、人工生命体を作る驚異の科学を手にした人類の向かう先は 『合成生物学の衝撃』202106

2021-06-11 18:23:00 | 📗 この本

生物を自在に改変し、人工生命体を作る驚異の科学を手にした人類の向かう先は 『合成生物学の衝撃』(須田 桃子)
  本の話  より  210611   伊与原 新

『合成生物学の衝撃』(須田 桃子)文春文庫
「ペイル・ブルー・ドット」という名で知られる一枚の写真がある。暗闇に数本の光の筋のようなものがあり、その中に「青白い点」がぽつんと写っている。

 その薄暗い小さな点は、地球だ。今は太陽圏の外へ出て星間空間を飛行しているNASAの宇宙探査機「ボイジャー1号」が、一九九〇年に太陽系の縁から我々のほうを振り返るようにして撮影した。その距離、約六〇億キロメートル。現在のところ、もっとも遠い場所から撮られた地球のポートレートである。

 撮影を提案したのは、NASAの惑星探査計画において指導的役割を果たした惑星科学者、カール・セーガン(一九三四~一九九六)。彼はこの写真を引き合いに出しながら、天文学は人に謙虚さを教える学問である、と説いた。広大な宇宙の片隅に浮かぶこのちっぽけな点の上で、人類は自分たちを何か特別な存在だと思い込み、際限のない欲望に駆られて争いを続けてきたのだ、と。

 天文学が謙虚さを学ばせる学問ならば、生命科学は人間の傲慢さについて考えさせる学問かもしれない。本書はその最良のテキストであると同時に、素晴らしくスリリングな読み物でもあるという、稀有な科学ノンフィクションである。

 タイトルにある「衝撃」の二文字は、決して大袈裟ではない。「合成生物学」という研究分野は、遺伝子の工学的な改変だけにとどまらず、人間が一から合成したゲノムを持つ新しい生命体を作り出すという驚くべき試みまでをもすでに成功させているのだ。その「ミニマル・セル」なる生命体がチューブの中で増殖していくさまに、著者の須田桃子氏は「驚嘆と同時に、かすかな戦慄も覚えずにはいられない」と述べている。私を含む読者の多くが本作を通じて抱く感想は、この言葉に尽きるのではないだろうか。

 本書では、「ミニマル・セル」の誕生を一応のゴールに据え、一九九〇年代初頭から加速度的に進展してきた合成生物学の成果を追っている。舞台はおもにアメリカだ。須田氏は客員研究員としてノースカロライナ州立大学に約一年間滞在し、その最前線を取材したという。この分野の立役者やキーパーソンへのインタビューがふんだんに盛り込まれていることが、本作を緊迫感にあふれたルポルタージュにしているのだろう。彼らの生の声、そこに須田氏が読み取る感情の数々は、科学者のもつ「人間くささ」を見事に浮き彫りにしている。

 大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した『捏造の科学者』を拝読したときも感じたことだが、的確で淀みない科学的記述に、生々しく臨場感にあふれた取材時の描写が良質なサスペンスのように織り混ざり、ページをめくる手を止めさせない。読者は知らぬ間に研究の「現場」へといざなわれているのだ。科学が人間の営みであることをこれほど強く再認識させてくれる書き手は、須田桃子氏をおいて他にないと思う。

 さて、そろそろ中身に踏み入っていこう。まず押さえておかなければならないのは、合成生物学の研究者たちに通底する(であろう)精神だ。それを象徴するスローガンが、作中で何度か引かれている。「自分で作れないものを、私は理解していない」。二〇世紀を代表する物理学者の一人、リチャード・ファインマンの言葉である。つまり、彼らの目的はあくまで「生命を理解する」ことであって、「生命を作り出す」ことはその手段に過ぎないというわけだ。

 私も小説の中で、登場人物の科学者に「目的のためには、手段を選ばない。これは研究をやる上で一番大事なことだ」という台詞を言わせたことがある。かつて地球惑星科学の研究者であった私自身、この考え方を是としてきた。手段を限定すると、その手段によって実現可能なものへと研究の中身が変質し、当初の目的を見失ってしまうことが往々にしてあるからだ。

 しかし、この台詞に不穏な響きを感じるのもまた当然のことだと思う。その手段が人々や社会に害をなす可能性のあるものだったらどうするのか。ましてやそれが一人歩きしてしまったら。かの有名な「怪物」を生み出してしまった科学者フランケンシュタインも、もともとは「生命の原理」に迫ることを目的としていたのだ。

 そこで考えるべきは、現代の合成生物学における「怪物」は何か、ということになる。言い換えれば、私たちを戦慄させるものの正体だ。須田氏は本書で三つの大きな問題を提起している。

 一つは、ゲノムに人間の手が加えられた生物が生態系に与える影響である。とくに、第三章で語られる究極の遺伝子編集技術「CRISPR-Cas9」を「遺伝子ドライブ」という現象に組み込んだときの効果は劇的だ。遺伝子を改変した個体を少数、自然界に放つだけで、何世代かのちには集団のすべての個体にその遺伝子が伝わるのである。この技術を用いれば、伝染病を媒介する生物や、その土地の固有種をおびやかす外来種を根絶やしにすることもできる。しかし、こうした介入によって何かまずいことが起きているとわかったときには、もはや手遅れだろう。自然が長い時間をかけて選び取った絶妙なバランスの生態系を取り戻すことは、おそらくできない。

 二つ目の問題については、第四章から第七章にかけて詳細に検討されている。合成生物学の軍事目的での使用だ。この分野が生物兵器の開発に近接していることは想像に難くないだろう。しかし、須田氏も述べているように、軍民に両用できる「デュアルユース性」は、合成生物学や原子核物理学に限らず、あらゆる科学技術が内包している。

 一見戦争とは無縁に見える地球惑星科学とて、例外ではない。私は以前、太平洋戦争において日本軍がアメリカ本土に向けて放った「風船爆弾」を題材にした短編小説を書いた。この気球兵器を開発したのは、生物兵器の研究でも知られる陸軍登戸研究所。秘密裏に始まった開発の背景には、気象学上の重要な進展があった。高層気象台初代台長、大石和三郎によるジェット気流の発見である。欧米に先駆けたこの知見がなければ、太平洋を横断する気球兵器を軍部が着想することはなかったであろう。他にも、塹壕や陣地の位置決定に地質学者が関わった例、ソナーによる潜水艦探知ができない水温躍層の調査に海洋学者が駆り出された例などがある。

 第四章で旧ソ連の生物兵器開発が紹介されているように、戦時下や冷戦下においては、科学者が半ば強制的に体制に組み込まれていった。現代の民主国家でも有事となれば同じようなことが起こり得るだろうが、平時においても研究者と体制とをつなぐ鎖は皆無ではない。須田氏が指摘する、研究費を通じた科学者の「飼いならし」である。とくに、米国の合成生物学分野には、国防総省の「DARPA(国防高等研究計画局)」から巨額の予算が流れているという。

 これに関して、須田氏が遺伝子ドライブ研究の先駆者、ケビン・エスベルトにおこなったインタビューは実に印象深い。彼は当初、国防総省からの研究費は受けないと明言していたのだが、その方針を翻し、DARPAのプログラムに応募した。その理由を問われたエスベルトは、自身の変節を「倫理的な選択」だとし、「(遺伝子ドライブ研究に)防衛予算を使えば、その分、爆弾やミサイルへの投資を少なくできる」と述べたという。須田氏も言うように、詭弁に思える。詭弁であるがゆえに、かえって人間くさい。

 当たり前のことだが、科学者とて生身の人間だ。ときに妥協と言い訳をしながらアカデミアを生き抜こうとしている。好奇心と同様に、欲望や保身、虚栄心や嫉妬から逃れられないという点でも、市井の人々と何ら変わるところはない。私は科学の世界に物語を見いだす者として、そんな彼らに惹きつけられる。彼らの人間くささこそが科学を生み出し、そこにダイナミズムを与えてきたと信じている。しかし、そうであるからこそ、科学者の理性にすべてを負わせるのは危険なのだ。

 結局のところ、「怪物」を暴走させないためには、社会全体の理性を総動員するしかないのだろう。私たちは、この知識と技術の先には何があるのかと、科学者に問い続けなければならない。科学者は、そこに想像力を尽くして人々に伝え続けなければならない。その誠実さを持たない科学者は、いずれ自分の首を絞めることになるだろう。人々の信頼なくして、科学に自由はない。

 須田氏が第八、九章で提起する第三の問題は、さらに根源的だ。そもそも人間が、生命の進化を操っていいのか。ホモ・サピエンスという種だけのために、他の種のゲノムを書き換えたり、新たな種を作り出したりする権利はあるのだろうか、という問いである。さらに合成生物学は、我々人間の生殖の原理をも大きく変え得る。優れた遺伝子ばかりを与えられたデザイナーベビー。生物学的な親なくして生み出される人間。臓器を提供するためだけに作られる生命体──。

 今の我々にとっては、タブーとも思えることばかりだ。しかし、社会の規範が科学の流れを押しとどめたことは、かつてなかったのではないか。逆に、新たな知識や技術が人々の倫理や規範を変えるということは、これまでにも起こってきた。農耕の始まりが食料の備蓄を可能にし、平等が尊ばれていた社会に貧富の差が生まれたように。産業革命が人々に無限の消費をうながし、それを悪とする価値観が消えてしまったように。

 合成生物学の大きな流れによって、私たちはまた何かを得て、何かを失うのだろう。ただし今度の変革は、生物としての人類のあり方を根底から覆す苛烈なものになる。全世界が持ち得るすべての理性を発揮し、傲慢さと向き合わなければならない。可能な限り合意を形成し、流れのスピードと方向をどうにかコントロールしなければならない。さもなくば我々は皆激流に飲み込まれ、後には何も残らないということになるのではないか。

 冒頭で紹介したカール・セーガンは、地球外知的生命探査に尽力したことでも知られている。作家としての顔も持ち、異星人との接触を描いたSF小説『コンタクト』はハリウッドで映画化もされた。人類をちっぽけで無知なものと強く意識していたセーガンは、宇宙のどこかにいる「大いなる知性」に教えを請いたいという切なる願いを、その小説に込めたのだろう。

 高度に発達した地球外知的文明は、生命の本質に関わるこうした試練を幾度となく乗り越えてきたに違いない。ならば私も彼らに訊いてみたい思いである。私たちが向かう先には、いったい何が待っているのですか、と。

〈参考文献〉カール・セーガン『惑星へ』朝日新聞社、一九九六年
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🚶‍♀️…右48.6km↩️ 🚶‍♀️…槙島農地…宇治橋 210611

2021-06-11 18:04:00 | 🚶 歩く
🚶‍♀️…右岸河川敷…同48.6碑↩️
 忘れ物を取りに帰る,で行先変更
🚶‍♀️…右岸堤防道…宇治川高架橋…槙島農地(郡…幡貫⇆門口←北内→槙島公園:槙島城碑…用水路沿)…誓澄寺…宇治川左岸沿…左岸堤防道…宇治橋迂回路…宇治橋…右岸堤防道…>
🚶‍♀️12328歩

🌤:陽射し隠れるも暑いが風が心地よく
槙島農地を初歩き:この辺りが昔は城跡…
織田信長と足利義昭の戦い(1573)の…
史跡らしくない今では全くの農地。
ここのから更に西側には地名に城跡らしきものが…



槙島公園にある槙島城碑

誓澄寺横の半夏生

誓澄寺



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