中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

秦の始皇帝陵の考古学上の新発見

2009年10月16日 | 中国史
今回は考古学の話題である。

秦始皇陵園出土王子頭骨 有望模擬秦始皇
[訳]秦の始皇帝の陵墓地区から王子の頭骨が出土、秦の始皇帝のシミュレーションができるのではないかと期待される
2009年10月12日 出典:《華商報》

 自上世紀50年代,考古人員開始対陵園進行考古調査和勘探。
 [訳]1950年代から、考古学者は陵墓に対する考古調査と遺跡の探査を開始した。
 ● 勘探 kan1tan4 地下資源を調査する。探査する
 *1950年代、と言う場合、「上世紀50年代」という言い方をする。  

 この半世紀、発見された大型の建造物の遺構は十数か所、大型の陪葬坑、陪葬墓、墓の建設者の墓は600余り、出土文物は五万件、というから、大変なスケールである。 
 今回、秦の始皇帝の陵墓地区の出土品116件が展示された。

 記者邀請秦兵馬俑博物館副研究館員王芸掲開這些“精品”背后一個個神秘故事。
 [訳]記者は秦兵馬俑博物館の副研究館員の王芸yun2にこれら「選り抜きの出土品」の背後の神秘的な物語のひとつひとつを明らかにしてもらった。
 ● 掲開 jie1kai1 本を開ける。明らかにする

【銅の矢じりで射殺された王子】

 在116件展品中,唯一一件插銅鏃的顱骨引起了不少人的関注。
 [訳]116件の展示品の中で、銅の矢じりが突き刺さった頭がい骨が唯一、多くの人の注目を集めた。
 ● 鏃 zu2 矢じり
 ● 顱骨 lu2gu3 頭がい骨

 王芸説,該顱骨出土于陵園外城的上焦村。在上焦村考古人員共発現了17座陪葬墓。這些墓主人都是秦朝惨遭殺害的王子和公主,他們去世時大多僅有一二十歳。 
 [訳]王芸によれば、この頭がい骨は陵園の外城の上焦村で出土した。上焦村で、考古学者は全部で17基の陪葬墓を発見した。これらの墓の主は秦朝で惨殺された王子や王女であり、彼らはこの世を去る際、多くが僅か十~二十歳であった。

 此次展出的顱骨則可能為一王子在玩耍時,惨遭射殺。因為該顱骨的下顎骨向前凸出,表現出十分痛苦和驚恐的模様。根据目前的科技水平,人們可根据顱骨来模擬王子生前的模様,而王子与秦始皇必定有相似的地方,也可模擬出秦始皇的模様。
 [訳]今回展示された頭がい骨はおそらく、ひとりの王子が遊んでいる時、無残にも射殺されたのだろう。なぜならこの頭がい骨の下顎の骨が前に向って突き出されているからで、たいへん苦痛で恐怖にかられた様子が表れている。現在の科学レベルでは、人々は頭がい骨から王子の生前の様子をシミュレーションすることが可能であり、王子と秦の始皇帝はよく似たところがあったはずなので、秦の始皇帝の様子もシミュレーションできるかもしれない。
 ● 玩耍 wan2shua3 遊ぶ
 ● 下顎 xia4he2 下顎

 秦二世胡亥称帝登基后,将秦始皇的小王子和小公主們一一捕殺,有的被斬首示衆,有的被射殺。17座墓葬的発現,也為人們証明了2000多年前的那些血案。目前,少部分墓葬已被発掘,出土了不少文物精品,其中一件張口鼓目的銀蟾蜍,極其珍貴;還有一枚“栄禄”的印章,王芸推測可能当時有王子名叫“栄禄”。
 [訳]秦の二世の胡亥が皇帝を称して即位して後、秦の始皇帝の王子、王女はひとりひとり捕えられ殺され、中には斬首され公衆の面前に晒されたり、弓矢で射殺された者もいた。17基の墓の発見は、人々に2000年余り前のこれらの殺人事件を証明することでもある。現在、一部の墓は既に発掘され、多くの文物の逸品が出土している。その中に口を開き目をふくらませた銀のヒキガエルがあり、極めて貴重である。また、「栄禄」と彫られた印章があり、王芸は当時、王子の名が「栄禄」と呼ばれたのではないかと推測する。
 ● 登基 deng1ji1 即位する
 ● 墓葬mu4zang4 墓。古墳
 ● 血案 xue4an4 殺人事件
 ● 蟾蜍 chan2chu2 ヒキガエル
 ● 極其 ji2qi2 きわめて

【文官俑は袖手俑と改名された】

 在陵園発掘中,曽在K0006号坑中出土了8尊頭戴長冠,低眉,腰挂削及砥石(磨刀石)的立姿陶俑。在古代“削”就是小刀,用以刮掉竹簡上的字,専家推測,這些陶俑的作用是皇上如果有什麼旨意,他們馬上就会拿出竹簡,記載下来,如果写錯則立即会用“削”刮掉重写。
 [訳]陵園の発掘で、嘗てK0006号坑で8体の頭に長い冠を被り、眉毛が低く、腰に「削」と砥石をぶら下げた立ち姿の陶俑が出土した。古代の「削」とは小刀のことで、竹簡の文字を削って消すのに用いられた。専門家の推測では、これらの陶俑の役割は、皇帝が何か指図があれば、彼らは直ちに竹簡を取り出し、書き残し、もし書き間違えば直ちに「削」で削り消し、書き直すことであった。
 ● 尊 〔量詞〕大砲や仏像を数える。門、体。
 ● 砥石 di3shi2(=磨刀石mo2dao1shi2) 砥石
 ● 頷首 han4shou3 うなずく

 這些陶俑的発現一改以往兵馬俑皆“武”的模様,被人称為“袖手文官俑”。然而,這次在展出時却隠去“文官”字様。這是為何?王芸解釈説,在K0006号坑中,除了袖手俑外,還有御手俑,還有馬、車、銅鉞。文官俑的叫法引起了很大争議,也有人将其認為是司法人員,但都没有確定。這些陶俑不是武将,是不是文官難以確定,在此次展出中,因其双手均籠于袖中,故称其為袖手俑。
 [訳]これらの陶俑の発見はこれまでの兵馬俑は皆「武」の身なりであるというのを一変させ、「袖手文官俑」と呼ばれるようになった。しかし、今回の展示では「文官」の文字は隠し去られた。これはどうしてか?王芸の解説によれば、K0006号坑の中に、袖手俑の他、御者俑、馬、車、銅の鉞(まさかり)があるからである。文官俑の呼び方は大きな論争を巻き起こし、司法官ではないかと考える人もいるが、確定はしていない。これらの陶俑が武将でなければ、文官かどうかは確定し難く、今回の展示では、その両手を袖で覆っていることから、「袖手俑」としている。
 ● 模様 mu2yang4 容貌。格好。身なり
 ● 袖手 xiu4shou3 手を袖の中に入れていること。懐手。 
 *転じて、自ら手を下す労をいとい、何もしないこと
   →〔成語〕袖手傍観 手をこまねいて見ている
 ● 御手 yu4shou3 御者
 ● 鉞 yue4 まさかり
 ● 籠 long3 覆う。包む

【14面のさいころでどうやって遊ぶのか】

 在衆多文物中有一件小玩意——石博煢(qióng),与今天的骰子十分類似,却有14面,它出土于何処,是干什麼的呢?
 [訳]多くの文物の中に、小さなおもちゃ、石博煢がある。今日のさいころとたいへん似ているが、14面ある。これはどこで出土し、何に使われたのだろうか。
 ● 玩意 wan2yi4 おもちゃ
 ● 骰子 tou2zi さいころ

 秦の始皇帝はその陵園に内城と外城を作り、殿寝(御霊所)には正殿、偏殿があった。殿内には青石が敷かれ、たいへん凝っていた。正殿は始皇帝の霊魂が主に居るところであり、偏殿は霊魂が休息し遊ぶ場所であった。石博煢は偏殿で出土し、秦始皇が遊ぶためのものであった。このさいころは14面で、各面に一個の字が刻まれており、そのうち一面に「驕」、一面に「酉艮」、それ以外の12面には、順番に1から12までの数字が刻まれていた。

 専門家は、石博煢はさいころの雛型である可能性があると推測するが、14面のさいころをいったいどうやって遊ぶのか、またどのように進化発展して今日の6面になったのかは、知る由も無い(不得而知)。

【秦陵の第一の鼎は百戯俑の中に身を隠している】

 “鼎”在古代属于礼儀器物。在這116件(組)文物中,号称秦陵第一大鼎竟和雑耍陶俑一起組合展出,譲人疑惑。
 [訳]「鼎」は古代には儀礼をする器物であった。この116件(組)の文物中、秦陵第一の大鼎と称しながら、意外にも寄席演芸の陶俑といっしょに展示され、腑に落ちないように思われた。
 ● 雑耍 za2shua3 寄席演芸

 該大鼎号称秦陵第一大鼎,也是目前秦陵出土的唯一一個青銅大鼎,重約200多公斤。王芸解釈説,大鼎出土于百戯俑。百戯俑坑目前出土了10余件陶俑,陶俑挙止神態各異個個滑稽可笑。在衣着上,全部赤裸上身,有的還有“啤酒肚”,腰間系着小裙子,為当時雑耍打扮。縁何将有礼儀象征的大鼎埋于百戯俑坑?王芸推測説,秦始皇統一后,十分貶低原国家的礼儀,将鼎置于百戯俑坑。
 [訳]この大鼎は秦陵第一の大鼎と称し、また現在秦陵で出土した唯一の青銅の大鼎であり、重さは200キロ余りある。王芸の説明によれば、大鼎は百戯俑の坑内で出土した。百戯俑坑ではこれまで10数体の陶俑を出土し、陶俑の挙止ふるまいや表情は各々異なり、それぞれ滑稽で可笑しい。上着を着ている者、上半身が裸の者、中には「ビール腹」の者や、腰に小さなスカートをはいた者もあり、当時の寄席芸人の扮装をしている。何の由縁で儀礼の象徴である大鼎が百戯俑坑に埋められたのだろうか。王芸の推測によれば、秦の始皇帝の統一後、元の国の儀礼がたいへん低く評価され、鼎を百戯俑坑に置いたのではないか、ということである。
 ● 挙止 ju3zhi3 挙止。ふるまい
 ● 神態 shen2tai4 表情や態度。顔色
 ● 貶低 bian3di1 人に対する評価や物の値段を下げる

【金が無く罰金が払えず、陵墓の造営で弁済する】

 秦の始皇帝の陵墓建設の際、大量の建設労働者が日夜働き、多くの人がそのため陵園に葬られた。考古学者は陵園で多くの陵墓建設者の墓を発見した。これらはどういう人たちで、どのような由縁でここで働くことになったのだろうか。

 王芸説,修陵人共有三種人:一種是当時的工匠;一種是当時的囚犯,這些都可従一些囚所用的工具中看出;還有另外一種人則是“以工抵帳”的人,這部分人都是違反了当時的規章制度,需要罰款,但又無銭交罰款,没銭就被征来修陵,据史料記載,当時一個工是8銭,如果吃飯的話是6銭。
 [訳]王芸によれば、陵墓建設に三種類の人がおり、ひとつは当時の工匠である。ひとつは囚人であり、これらは拘禁に用いる工具から見てとれる。もうひとつは「労役で債務を弁済する」人で、こういった人は当時の規則や制度に違反し、罰金を払う必要があるが、金が無く罰金が払えず、金が無いので徴用されて陵墓の建設に来たのであり、史料の記載によれば、当時ひとりの工賃は8銭で、食事付きの場合は6銭であった。
 ● 抵帳 di3zhang4 債務を弁済する
 ● 規章制度 gui1zhang1zhi4du4 規則や制度。広く法律一般をいう

【石鎧甲坑の中は木の床板が敷かれていた】

 在展覧中,厚重的石盔甲、石頭盔引人駐足,這些鎧甲是当時戦士們所穿的嗎?
 [訳]展示の中で、重厚な石の甲冑、石の兜が人を引きつけ、足を止めさせた。これらの鎧は当時の戦士達が身に着けたものだろうか?
 ● 盔甲 kui1jia3 甲冑(かっちゅう)
 ● 頭盔 tou2kui1 兜(かぶと)
 ● 引人駐足 yin3ren2zhu4zu2 人を引きつけ、足を止めさせる 
 [類]引人注目 yin3ren2zhu4mu4 人目を引く;引人入勝 yin3ren2ru4zheng4 人を引きつけ夢中にさせる
 ● 鎧甲 kai3jia3 鎧(よろい)  

 王芸解釈説,此次展出的石鎧甲出土于石鎧甲坑,属于陪葬品,并們所穿戴。与其他陪葬坑底部鋪設青石不同的是,石鎧甲坑内均鋪有木地板,根据石鎧甲坑発現時的状態,這些鎧甲都是呈放射性,推断石鎧甲坑可能為甲衣庫,還有一件馬甲(馬穿的盔甲)。
 [訳]王芸の説明によれば、今回展示された石の鎧は石鎧甲坑より出土したが、陪葬品であり、人が身に着けるものではない。他の陪葬坑底部に青石が敷かれていたのと異なり、石鎧甲坑の中は木の床板が敷かれ、石鎧甲坑が発見された時の状態では、これらの鎧は放射状に置かれており、石鎧甲坑はひょっとすると鎧兜の倉庫であったのではないかと推断され、その他、馬の防具(馬が身に着けた甲冑)も一件あった。

 1974年、秦の兵馬俑坑の発見は世界を震撼させた。昨日、世界の八番目の奇跡と称えられる「秦の兵馬俑」は発見55周年を迎え、博物館の徽章が作られた。

 昨日、“秦兵馬俑発現35周年暨(ji4)秦兵馬俑博物館開館30周年紀念大会”(秦兵馬俑発見35周年、及び秦兵馬俑博物館開館30周年記念大会)が開催された。

 在紀念大会上,秦始皇兵馬俑博物館正式発布了館徽,該館徽将兵馬俑進行几何抽象,転化為点線面,毎一個俑被概括為圓点,集体的俑構成了面,衆多圓点類似于兵馬俑的方陣,而圓点則被一条弧線籠罩,弧線象征着広博的蒼穹和連綿起伏的驪山,也是博物館1号坑陳列大庁穹頂的象征。点陣外形設計酷似帝陵封土,又暗指兵馬俑博物館為秦始皇帝陵博物院的部分。
 [訳]記念大会で、秦始皇兵馬俑博物館は館徽(徽章)を公表した。この館徽は兵馬俑を幾何、抽象化し、線と面に変え、俑(土偶)のひとつひとつを円で概括し、集団の俑は面を構成し、多くの円は兵馬俑の陣形に似せ、円は一本の弧線で覆われ、弧線は広い大空と連綿と起伏する驪山を象徴し、また博物館1号坑の陳列ホールのアーチ型の屋根を象徴する。格子の外形の設計は始皇帝陵の封土に非常に似ていて、又暗に兵馬俑博物館は秦始皇帝陵博物館の一部分であることを指している。
 ● 蒼穹 cang1qiong2 青空。大空

 秦始皇帝陵博物院院徽同時公布,院徽将秦始皇帝陵封土外形和小篆“秦”字以及弩箭弓形完美融為一体。小篆是秦文化中最典型的符号,頂部的弧線象征着広博的蒼穹和連綿的驪山同時也是秦始皇帝陵外形的象征。中間的図案既取自秦瓦当的紋飾,又突出体現了秦軍強弓硬矢的軍隊特点,成為秦軍事文化的符号。
 [訳]秦始皇帝陵博物院の院徽が同時に公表され、院徽は秦始皇帝陵の封土の外形と小篆の「秦」の文字と弩(ど)の弓矢の形の美しさを一体に融合させている。小篆は秦文化の最も典型的な符号であり、頂上の弧線は広い大空と連綿とした驪山を象徴すると同時に、秦始皇帝陵の外形の象徴でもある。中間の図案は秦の瓦の紋様から採るとともに、秦軍の弓矢の能力に優れた軍隊の特徴を表しており、秦の軍事文化の印となっている。
 ● 小篆 xiao3zhuan4 (しょうてん)漢字の書体。大篆を基に書写に便利なように簡略化した書体で、秦の李斯が整理したもの
 ● 弩 nu3 (ど)弓の一種。弓より強力な武器
 ● 瓦当 wa3dang1 (がとう)軒瓦の先端の、模様や文字が刻まれている部分

 今年6月13日より、秦俑一号坑第三次発掘が開始され、4か月近くの作業の結果、戦車二乗(sheng4 4頭の馬で引く兵車1台を一乗といった)、軍馬8頭、陶俑20件余り、及び大量の車の一部、青銅製の兵器等が出土しており、発掘作業は現在も継続中とのことである。


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