文章の中で、簡潔明瞭な短文と、修飾構造や多層構成で複雑な構造の長文を使い分けることも、一つの修辞技法であるといえます。今回は、長文、短文の使い分けを見ていきましょう。
三 文の長短
同じ意味を、長い文で表現することも、短い文で表現することもでき、異なる文の形式にはそれぞれ異なる修辞効果がある。文の長短を文型の上から言うと、長文は一般に形体が長く、構造の複雑な文である。短文は一般に形体が短く、構造の簡単な文である。文の長短には明確な区分がある訳ではなく、あくまで相対的に言ってのことである。
(一) 長文
長文は一般に三つの表現形式があり、一つ目は修飾語の多いもの、二つ目は連合構造のもの、三つ目は分句の構造がいくつかの階層に分かれているものである。例えば:
(1) 魯迅是文化戦線上,代表全民族的大多数,向着敵人衝鋒陷陣的最正確、
最勇敢、最堅決、最忠実、最熱忱的空前的民族英雄。
・衝鋒陷陣 chong1feng1xian4zhen4 [成語]突撃をかけて敵陣を陥れる。戦いの勇ましいさま。正義のために戦うこと。
・熱忱 re4chen2 真心がこもっている
(2) 中国的革命的文学家藝術家,有出息的文学家藝術家,必須到群衆中去,
必須長期地無条件地全心全意地到工農兵群衆中去,到火熱的斗争中去,
到唯一的最広大最豊富的源泉中去,観察、体験、研究、分析一切人,
一切階級,一切群衆,一切生動的生活形式和斗争形式,一切文学和
藝術的原始材料,然后才有可能進入創作過程。
・出息 chu1xi 前途。見込み
(3) 没有問題,現階段的中国革命既然是為了変更現在的殖民地、半殖民地、
半封建社会的地位,即為了完成一個新民主主義的革命而奮斗,那麼,
在革命勝利之后,因為粛清了資本主義発展道路上的障碍物,資本主義
経済在中国社会中会有一個相当程度的発展,是可以想像得到的,也是
不足為怪的。
例(1)の賓語は複雑な修飾語である。例(2)の全文は一連の連合構造で構成されている。例(3)は幾重にも階層の重なる複文である。これらいくつかの状況が時にいっしょに結合することがある。
これらの長い文は、書面語で多用され、特に通常は政治論文、科学技術論文等の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的複雑であるため、表現上精緻で周密であるという特徴がある。例えば例(1)の中の一連の修飾語は魯迅の特徴を精緻で周密に表現している。これらの文は長いけれども、階層の振り分けが明快で、文の区切りも多いので、長文の中に短文があり、文と文の間隔は異なっているが趣があり、読んでみると文の勢いが流れるようで、読むのに骨が折れるとか言いにくいとかいう感じがしない。
(二) 短文
短文は一般に次の三つの状況にある。一つ目は簡単明瞭に事物を叙述、描写している。二つ目に口語を如実に記録している。三つ目に緊張して興奮した気持ちや断固として肯定する口ぶりを表す。例えば:
(4) 我家是佃農。祖籍広東韶关,客籍人,在湖広填四川時,遷移四川
儀隴県馬鞍場。世代為地主耕種,家境是貧苦的。和我們来往的朋友也
都是老老実実的貧苦農民。
・佃農 dian4nong2[発音に注意]小作農
・祖籍 zu1ji2 原籍
・客籍 ke4ji2 (“原籍”に対する反対語)寄寓先の戸籍
・湖広填四川 hu2guang3tian2si4chuang1 清代に広東、広西、江西、福建の住民を、戦乱が続き人口が減少していた四川に移住させた政策を言う。“湖広”というのは、当時の行政管轄単位で、広東、広西、湖南の一部、江西を統括。
(5) 六月十五那天,天熱得発了狂。太陽剛一出来,地上已経像下了火。
一些似雲非雲似霧非霧的灰气低低地浮在空中,使人覚得憋気。
一点風也没有。祥子在院子里看了看那灰紅的天,喝了瓢涼水就走出去。
・憋気 bie1qi4 息が詰まる
・瓢 piao2 [量詞](瓢箪を縦二つに割って作った)ひしゃく一杯の
(6) 剛剛吃過饅頭,小晩来了。艾艾拉住小晩的手,第一句話就是:
“羅漢銭丢diu1了!”“丢diu1就丢diu1了吧!”“気得我連飯也吃不下去!”
“那也値得生気?我看那都算不了什麼!在着能抵什麼用?
聴説你爹你媽跟東院里五奶奶去給你找主儿去了。是不是?”
“咱哪里知道那老不死的為什麼那麼愛管閑事?”“咱們這算吹了吧?”
“吹不了!”“要是人家説成了呢?”“成不了!”“為什麼?”“我不干!”
“由得了你?”“試試看!”正説着,外辺有人進来,両個快停住。
・羅漢銭 清朝康煕年間に鋳造された康煕通宝という銅銭の別称。銅の質が良く、作りが美しいことから、民間ではこれを吉祥、幸福の象徴とし、お年玉や嫁入りする娘に持たせたり、愛の証として男女で交換したりする習慣があった。
(7) 今天,這里有没有特務?你站出来!是好漢的站出来!你出来講!
凭什麼要殺死李先生?殺死了人,又不敢承認,還要誣蔑人,説什麼
“桃色事件”,設什麼共産党殺共産党,無耻啊!無耻啊!這是某集団的
無耻,恰是李先生的光栄!也是昆明人的光栄!
・誣蔑 wu1mie4 中傷する
例(4)は簡単明瞭な叙述である。例(5)は簡潔かつ洗練された景色、事物の描写である。例(6)は人物の対話で、全体が明快で、生き生きとした短文である。例(7)は演説のことばで、感情が激昂し、文は剛健で力がある。
これらの短文は、多くは口語で使われ、特に通常は文学作品の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的簡単であるため、表現は生き生きとし、明快で力強い。
特に取り上げないといけないのは、政治論文の中に短文を挿入すると、たいへん良い表現効果が期待できることである。例えば:
(8) 你們是打敗了。你們激怒了人民。人民一斉起来和你們拼命。人民
不歓喜你們,人們斥責你們,人民起来了,你們孤立了,因此你們打敗了。
(9) 我們必須向一切内行的人們(不管什麼人)学経済工作。拜他們
做老師,恭恭敬敬地学,老老実実地学。不懂就是不懂,不要装懂。
不要擺官僚架子,鑚進去,几個月,一年両年,三年五年,総可以学会的。
・架子 jia4zi 威張った態度。/官僚架子:官僚風
・鑚 zuan1 研鑽する
政治論文の中で短文を使うと、長い文がもたらす冗長なゆったりしたリズムを打ち消し、読む人に活発で生き生きとしているように感じさせる。文章の力が増し、読む人に結論がはっきりして言葉がてきぱきしている(“斬釘截鉄”zhan3ding1jie2tie3という成語がある)ように感じさせ、読んだ後、気持ちがすっきりする。したがって政治論文では多くの場所で長文と短文が組み合わせて使われる。
(三) 長文と短文の連用
長文には長文の用途があり、短文には短文の用途がある。どちらの文の形式を使うかは、表現する内容により決定される。短文は簡潔明瞭であるので、多くの人は文章や段落の開始や終わりには短文を用いたがる。なぜなら、開始が明快で分かりやすく書かれている方が、人を引き付けることができるからである。終わりが結論が明快で言葉がてきぱきしている方が、読む人に深い印象を与えることができるからである。一方、長文は含まれる意味が豊富で、叙述が周到で抜けが無く、長編の文章の中心となる内容を叙述するのに適している。一篇の文章、文章の一つの段落が単純に短文や長文ばかりで構成されるケースは稀である。思想が豊かで多彩で、感情が波乱や起伏に富むことをより良く表すため、一般に長文と短文は臨機に入り混じって使われる。例えば:
(10) 這時候,太陽従東山頭上收走了最后一片光亮、西山辺的火焼雲也
在変着顔色,先是朱紅,后是桔紅,過了一会儿,又変成了杏黄,浅黄,
最末変成灰白,接着就了。
・杏黄 xing4huang2 だいだい色
短文を出だしに持ってくると、人眼をひき、中心が突出し、読者の注意を惹き易い。中間には長文を用いると、理論や論証を周密で事細かく説明することができる。最後に短文を使うと、結びが肯定的で力強くなる。もちろんこれは一般的な状況について言っていて、あらゆる文がこうした決まり切った構造が当てはまる訳ではない。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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三 文の長短
同じ意味を、長い文で表現することも、短い文で表現することもでき、異なる文の形式にはそれぞれ異なる修辞効果がある。文の長短を文型の上から言うと、長文は一般に形体が長く、構造の複雑な文である。短文は一般に形体が短く、構造の簡単な文である。文の長短には明確な区分がある訳ではなく、あくまで相対的に言ってのことである。
(一) 長文
長文は一般に三つの表現形式があり、一つ目は修飾語の多いもの、二つ目は連合構造のもの、三つ目は分句の構造がいくつかの階層に分かれているものである。例えば:
(1) 魯迅是文化戦線上,代表全民族的大多数,向着敵人衝鋒陷陣的最正確、
最勇敢、最堅決、最忠実、最熱忱的空前的民族英雄。
・衝鋒陷陣 chong1feng1xian4zhen4 [成語]突撃をかけて敵陣を陥れる。戦いの勇ましいさま。正義のために戦うこと。
・熱忱 re4chen2 真心がこもっている
(2) 中国的革命的文学家藝術家,有出息的文学家藝術家,必須到群衆中去,
必須長期地無条件地全心全意地到工農兵群衆中去,到火熱的斗争中去,
到唯一的最広大最豊富的源泉中去,観察、体験、研究、分析一切人,
一切階級,一切群衆,一切生動的生活形式和斗争形式,一切文学和
藝術的原始材料,然后才有可能進入創作過程。
・出息 chu1xi 前途。見込み
(3) 没有問題,現階段的中国革命既然是為了変更現在的殖民地、半殖民地、
半封建社会的地位,即為了完成一個新民主主義的革命而奮斗,那麼,
在革命勝利之后,因為粛清了資本主義発展道路上的障碍物,資本主義
経済在中国社会中会有一個相当程度的発展,是可以想像得到的,也是
不足為怪的。
例(1)の賓語は複雑な修飾語である。例(2)の全文は一連の連合構造で構成されている。例(3)は幾重にも階層の重なる複文である。これらいくつかの状況が時にいっしょに結合することがある。
これらの長い文は、書面語で多用され、特に通常は政治論文、科学技術論文等の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的複雑であるため、表現上精緻で周密であるという特徴がある。例えば例(1)の中の一連の修飾語は魯迅の特徴を精緻で周密に表現している。これらの文は長いけれども、階層の振り分けが明快で、文の区切りも多いので、長文の中に短文があり、文と文の間隔は異なっているが趣があり、読んでみると文の勢いが流れるようで、読むのに骨が折れるとか言いにくいとかいう感じがしない。
(二) 短文
短文は一般に次の三つの状況にある。一つ目は簡単明瞭に事物を叙述、描写している。二つ目に口語を如実に記録している。三つ目に緊張して興奮した気持ちや断固として肯定する口ぶりを表す。例えば:
(4) 我家是佃農。祖籍広東韶关,客籍人,在湖広填四川時,遷移四川
儀隴県馬鞍場。世代為地主耕種,家境是貧苦的。和我們来往的朋友也
都是老老実実的貧苦農民。
・佃農 dian4nong2[発音に注意]小作農
・祖籍 zu1ji2 原籍
・客籍 ke4ji2 (“原籍”に対する反対語)寄寓先の戸籍
・湖広填四川 hu2guang3tian2si4chuang1 清代に広東、広西、江西、福建の住民を、戦乱が続き人口が減少していた四川に移住させた政策を言う。“湖広”というのは、当時の行政管轄単位で、広東、広西、湖南の一部、江西を統括。
(5) 六月十五那天,天熱得発了狂。太陽剛一出来,地上已経像下了火。
一些似雲非雲似霧非霧的灰气低低地浮在空中,使人覚得憋気。
一点風也没有。祥子在院子里看了看那灰紅的天,喝了瓢涼水就走出去。
・憋気 bie1qi4 息が詰まる
・瓢 piao2 [量詞](瓢箪を縦二つに割って作った)ひしゃく一杯の
(6) 剛剛吃過饅頭,小晩来了。艾艾拉住小晩的手,第一句話就是:
“羅漢銭丢diu1了!”“丢diu1就丢diu1了吧!”“気得我連飯也吃不下去!”
“那也値得生気?我看那都算不了什麼!在着能抵什麼用?
聴説你爹你媽跟東院里五奶奶去給你找主儿去了。是不是?”
“咱哪里知道那老不死的為什麼那麼愛管閑事?”“咱們這算吹了吧?”
“吹不了!”“要是人家説成了呢?”“成不了!”“為什麼?”“我不干!”
“由得了你?”“試試看!”正説着,外辺有人進来,両個快停住。
・羅漢銭 清朝康煕年間に鋳造された康煕通宝という銅銭の別称。銅の質が良く、作りが美しいことから、民間ではこれを吉祥、幸福の象徴とし、お年玉や嫁入りする娘に持たせたり、愛の証として男女で交換したりする習慣があった。
(7) 今天,這里有没有特務?你站出来!是好漢的站出来!你出来講!
凭什麼要殺死李先生?殺死了人,又不敢承認,還要誣蔑人,説什麼
“桃色事件”,設什麼共産党殺共産党,無耻啊!無耻啊!這是某集団的
無耻,恰是李先生的光栄!也是昆明人的光栄!
・誣蔑 wu1mie4 中傷する
例(4)は簡単明瞭な叙述である。例(5)は簡潔かつ洗練された景色、事物の描写である。例(6)は人物の対話で、全体が明快で、生き生きとした短文である。例(7)は演説のことばで、感情が激昂し、文は剛健で力がある。
これらの短文は、多くは口語で使われ、特に通常は文学作品の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的簡単であるため、表現は生き生きとし、明快で力強い。
特に取り上げないといけないのは、政治論文の中に短文を挿入すると、たいへん良い表現効果が期待できることである。例えば:
(8) 你們是打敗了。你們激怒了人民。人民一斉起来和你們拼命。人民
不歓喜你們,人們斥責你們,人民起来了,你們孤立了,因此你們打敗了。
(9) 我們必須向一切内行的人們(不管什麼人)学経済工作。拜他們
做老師,恭恭敬敬地学,老老実実地学。不懂就是不懂,不要装懂。
不要擺官僚架子,鑚進去,几個月,一年両年,三年五年,総可以学会的。
・架子 jia4zi 威張った態度。/官僚架子:官僚風
・鑚 zuan1 研鑽する
政治論文の中で短文を使うと、長い文がもたらす冗長なゆったりしたリズムを打ち消し、読む人に活発で生き生きとしているように感じさせる。文章の力が増し、読む人に結論がはっきりして言葉がてきぱきしている(“斬釘截鉄”zhan3ding1jie2tie3という成語がある)ように感じさせ、読んだ後、気持ちがすっきりする。したがって政治論文では多くの場所で長文と短文が組み合わせて使われる。
(三) 長文と短文の連用
長文には長文の用途があり、短文には短文の用途がある。どちらの文の形式を使うかは、表現する内容により決定される。短文は簡潔明瞭であるので、多くの人は文章や段落の開始や終わりには短文を用いたがる。なぜなら、開始が明快で分かりやすく書かれている方が、人を引き付けることができるからである。終わりが結論が明快で言葉がてきぱきしている方が、読む人に深い印象を与えることができるからである。一方、長文は含まれる意味が豊富で、叙述が周到で抜けが無く、長編の文章の中心となる内容を叙述するのに適している。一篇の文章、文章の一つの段落が単純に短文や長文ばかりで構成されるケースは稀である。思想が豊かで多彩で、感情が波乱や起伏に富むことをより良く表すため、一般に長文と短文は臨機に入り混じって使われる。例えば:
(10) 這時候,太陽従東山頭上收走了最后一片光亮、西山辺的火焼雲也
在変着顔色,先是朱紅,后是桔紅,過了一会儿,又変成了杏黄,浅黄,
最末変成灰白,接着就了。
・杏黄 xing4huang2 だいだい色
短文を出だしに持ってくると、人眼をひき、中心が突出し、読者の注意を惹き易い。中間には長文を用いると、理論や論証を周密で事細かく説明することができる。最後に短文を使うと、結びが肯定的で力強くなる。もちろんこれは一般的な状況について言っていて、あらゆる文がこうした決まり切った構造が当てはまる訳ではない。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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