中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】《雲郷話食》を読む: [火考]kao3白薯(焼き芋)

2011年01月28日 | 中国グルメ(美食)


 “烤kao3白薯”というのは北京の言い方ですが、皆の大好きな焼き芋。特に北京の焼き芋は、身が濃い黄色をしており、味が濃厚です。昔(20年くらい前)は、大きいのが一つ8毛くらいでしたが、今はいくらくらいするのでしょう?

■ 白薯,是最普通的東西,上海人叫山芋,浙江人叫番薯,山西人叫紅薯,潮州人叫番茨,有的地方還叫紅苕、地瓜,名字雖然多種多様,而東西却是一種。我懐念北京的白薯,尤其是北京的烤kao3白薯。

 さつまいも(“白薯”)はごく普通のもので、上海人は“山芋”と呼び、浙江人は“番薯”と呼び、山西人は“紅薯”と呼び、潮州人は“番茨”と呼ぶ。ある地方ではまた“紅苕”、“地瓜”と呼び、名前は多種多様であるが、ものは一つである。私は北京のさつまいもを懐かしく思う。とりわけ北京の焼き芋である。

■ “烤kao3白薯,真熱乎!”
 “栗子味儿的烤kao3白薯――”
 這熟稔的市声,縦使遠隔北京千里,也会時時在我耳辺回響。

・熟稔 shu2ren4 非常によく知っている

 「焼き芋、熱々だよ!」
「栗の味の焼き芋――」
 こうしたよく耳にしたもの売りの声は、北京から千里の彼方に居ても、時々私の耳元で響き渡る。

■ 那時売烤kao3白薯的人真多,街頭巷尾几乎到処可見。一只破缸,或一只破汽油筒,都可用来泥出一個烤白薯的炉子。火不要太旺,但時間要長,用的煤核儿不能太多。在炉膛的腰部,是一圈鉄絲網,生白薯分両層放在這圈網上烘烤kao3。炉面蓋一塊大鉄板,可以随開随合。一把長火鉗,打開炉蓋斜伸進去可以夾住烤kao3着的白薯,随時翻弄。夾出来用手掐一掐,如果軟了,便是烤kao3透了,就拍拍灰擺在炉盤上出售,不然便再放回去継続烘烤kao3。我常常想起那些整斉地堆放在炉盤辺上的白薯,像山郷人家用卵石堆的坎坷的短墻一様,那毎一小塊“卵石”,剥去它那灰黄的外衣,里面却充満了熱,充満了甜香,給人以甜蜜的温飽,正像烘烤kao3它的那位漢子一様的朴実 …… 单只這一点還不値得人回味嗎?

・街頭巷尾 jie1tou2xiang4wei3 [成語]街のあちこち。大通りや横丁。
・泥 ni4 (土や漆喰で壁などを)塗る
・火鉗 huo3qian2 =火剪 火挟み。火箸。
・翻弄 fan1nong4 ひっくり返す
・掐 qia1 (指先で)摘む。つねる
・透 tou4 十分である(動詞の補語として、動作が十分徹底していることを表す)
・卵石 luan3shi2 玉石
・坎坷 kan3ke3 (道などが)でこぼこである

 当時は焼き芋を売る人が本当に多く、街のあちこちで見ることができた。壊れた甕が一つ、或いは壊れたドラム缶が一つあれば、それを使って粘土を塗って焼き芋の竈(かまど)にすることができた。火力はあまり強くてはだめだが、焼く時間は長くなければならず、使う石炭の量はあまり多くてはいけない。竈の胴の腰のあたりは金網になっていて、生の芋は二層に分けてこの網の上で炙り焼きにする。竈の面は大きな鉄板で蓋をされていて、自由に開け閉めすることができる。長い火箸を、竈の蓋を開けて斜めに差し入れ、焼いている芋を挟んで、自由にひっくり返すことができる。挟んで取り出したのを指でつまんでみて柔らかければ、もう十分焼けているので、灰を落とすと竈の上の盆に並べて売る。そうでなければまた竈の中に戻して続けて焼く。私はこれを見るといつも思うのだが、きれいに竈の上の盆に並べられた芋は、山里の人が玉石を積んで作ったでこぼこの垣根のようで、その小さな「玉石」ひとつひとつが、外側の黄色っぽい灰色の上着をはぎ取ると、中は熱々で、甘く芳しく、食べる人に甘い満足感を与え、これを焼いた男のように飾り気がない……たった一個の焼き芋がこんなにも味わい深いのだ。

■ 北京的白薯烤kao3透了,剥去皮呈現出的肉是深黄的,作南瓜色,又甜又香,又糯又膩,入口即化,比起上海一帯的那種栗子山芋,是絶然不同的。幽燕苦寒,冬天早晨冷起来十分凛冽。記得上小学時,半路上花五大枚(五個当二十銅板)買一個烤kao3白薯,熱乎乎地捧着当手炉,一直到了教室以后,才慢慢地吃,又取暖,又果腹,其妙無窮,実是貧苦孩子的恩物啊!

・幽燕 幽(幽州)、燕(燕国)とも、北京付近の古名。
・凛冽 lin3lie4 身を切られるように寒い
・半路 ban4lu4 途中・銅板 tong2ban3 銅貨
・果腹 guo3fu4 満腹する

 北京のさつまいもが焼けたら、皮を剥いて現れる果肉は濃い黄色で、かぼちゃのような色をしている。甘く芳しく、もちもちしてねばねばし、口に入れるとすぐ溶けてしまう。上海一帯のいわゆる“栗子山芋”と比べると、はっきり別のものである。北京一帯は寒さが厳しく、冬の早朝の寒さは身を切られるようである。今でも憶えているが、小学校時代、通学の途中で大枚5枚(銅銭20個に相当)を払って焼き芋を一個買い、熱々を両手で捧げ持って手あぶりの代わりにし、まっすぐ教室まで持って行ってから、ゆっくりと食べた。暖を取れた上に、満腹になり、その効果はすばらしく、実に貧しい子供への神様の贈り物であった。

■ 《燕京歳時記》云:
 白菽(即薯)貧富皆嗜,不假扶持,用火煨熟,自然甘美,較之山薬、芋頭尤足済世,可方為朴実有用之材。

  《燕京歳時記》に言う:
 白菽(すなわち、さつまいも)は富賤にかかわらず皆が好み、何の助けも借りずに、弱火でじっくり加熱すれば、自然に甘くなり、山芋や里芋に比べ、更に世の中を救うものであり、質素で有用な食材である。

■ 《燕京歳時記》是名書,富察敦崇写的是好文章,一経品題,白薯亦身価十倍了。

・品題 pin3ti2 人物や作品の品定めをする

  《燕京歳時記》は名著で、富察敦崇が書いたのは良い文章で、一度高い評価を得るや、さつまいももその値段が十倍になった。

■ 烤kao3白薯之外,還有煮白薯,売者推一個独輪車,上有一個小炉子,架一口“四応”鍋,煮一鍋像蘿蔔般粗的紅皮麦茬的小白薯,買時小販信手従中撈一塊出来,在板上切切砕,放在一個粗碗中,再従鍋中盛一小勺粘乎乎的甜汁澆在上面,価銭比烤kao3的便宜,吃起来比烤的還好吃。

・麦茬 mai4cha2 麦の刈り株のことだが、ここでは麦の裏作にさつまいもを植えること。

 焼き芋の他、煮芋もあり、売り子は一輪車を押してくる。その上には小さなコンロがあり、「万能」鍋が取り付けてあり、大根のように太い赤い皮の、麦の裏作で植えたさつまいもを煮る。買う時には、売り子は手当たり次第に中からひと固まりをすくい上げ、まな板の上で細かく切ると、粗末なお碗に入れ、鍋から小さじに一杯、ねっとりした甘い汁をすくって上からふりかける。値段は焼き芋より安く、食べてみると焼き芋より美味しい。

■ 近人沈太《春明采風志》記云:
 白薯与山薬同類,山東人呼為紅山薬,都人冬令,多担鍋売此者,至鍋底帯汁者味佳。近又烤熟売者亦佳。

 近世の人、沈太の《春明采風志》の記述に言う:
 さつまいもと山芋は同類であり、山東人は“紅山薬”と呼ぶ。都では冬の間、鍋を担いでこれ売る者が多く、鍋に汁を入れて売っている方が味が良い。最近は焼き芋のよく焼けたのを売る者もあり、これも美味しい。

■ 据沈太記載,似乎早年間只有売煮白薯的,烤kao3白薯還是后来興起的,因手辺無文献,未及詳考。北京最講究吃麦茬白薯,就是夏天割完麦子,在麦子地里種的白薯,這様的白薯長的不大,但甜、香、膩三者俱備,有特殊風味。至于為什麼会如此,那是農藝学家研究的問題,我就無従回答了。

・無従 wu2cong2 ~する方法がない。~しようがない

 沈太の記述によれば、当初は煮芋だけが売られていて、焼き芋は後に始められたようだが、手元に文献が無いので、細かい考察はできない。北京で最もよく言われる麦の裏作のさつまいもというのは、夏に麦を刈り取った後、麦畑に植えたさつまいものことで、こうしたさつまいもは、あまり大きくならないが、甘さ、香り、ねっとり感の三つを備え、特別な風味がある。どうしてそうなるかは、農業技術の学者の研究の問題なので、私は答えようがない。

■ 値得欣喜的是,近年京滬両地,又有売烤kao3白薯的了。而煮白薯鍋底帯汁者却仍没有売的,対此只能不断地思念着了。

 喜ばしいことに、近年は北京と上海の両方で、また焼き芋売りが現れた。しかし煮芋の鍋に汁を入れたものはまだ売られていない。これは引き続き懐かしく思い続けるしかない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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