goo blog サービス終了のお知らせ 

中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の修辞: 二重否定、問いかけ、反語

2011年01月10日 | 中国語
 前回は、倒置法を見ましたが、今回は二重否定、及び設問形式(問いかけ、及び反語)による文意の強調です。

                        二 句式(文型)の変化

 前項では、語順の変化を利用し、文の形を変化させることで同様の意味を表すことについて述べた。本項で述べるのは、虚詞や語調を利用し、異なる文型(句式)を作って同様の意味を表すことについてである。今、下記の五つの文を比較してみよう:

     (1) 他看完了這本小説。
     (2) 他把這本小説看完了。
     (3) 這本小説被他看完了。
     (4) 他不得不看完這本小説。
     (5) 誰説他没看完這本小説?

 例(1)は一般の陳述文である。例(2)は例(1)と異なり、その重点は述語動詞の上に置かれ、“看完了”が強調されている。例(3)の重点は動作の受動者である主語の上に置かれ、“這本小説”が強調されている。例(4)、例(5)は、例(1)とは異なり、これらの語気はたいへん強く、否定文の形式は採っているが、強い肯定文である。例(4)は動作の主体者(“施動者”)が受動的で、無理やりやらされているという点が強調されている。例(5)は第三者に対する詰問(“反詰”fan3jie2)という形で主体者の行為を強調している。以下にいくつかの文型について説明したい。

(一) 否定文の形式

 同じ意味でも、肯定文の形式を使うこともできるし、否定文の形式を使うこともできるが、これら二つの文の形式は文のニュアンスが異なる。例えば:
   (6) 這孩子漂亮。
   (7) 這孩子不丑。

 この二つの文は基本的に同じ意味である。例(6)の語気は肯定の意味が強く、例(7)は否定文の形式を用いて、意味は軽い。一般的に、否定文は比較的婉曲で、意味がやわらかく、肯定文のように直截的(“直截了当”zhi2jie2liao3dang4)ではない。例えば心から一人の人を助けたいと思っている時、私たちは“你這様做是不対的”と言う。そうすると“你這様做是錯誤的”と言うよりもやわらかく、婉曲で、相手も受け入れやすい。

 しかし、二重否定を使うと、語気がたいへん強くなることがある。例えば:
   (8) 従前線回来的人説到白求恩,没有一個不佩服没有一個不為他的精神
    所感動。晋察冀辺区的軍民,凡親身受過白求恩医生的治療和親眼看過
    白求恩医生的工作的,無不為之感動。

 例(8)の“没有一個不佩服”は、“毎個人都佩服”ということであり、“没有一個不為他的精神所感動”は、“毎個人都為他的精神所感動”ということである。“無不為之感動”は“人人都為之感動”の意味である。二重否定は語気がたいへん強い。というのは、二重否定は例外が無いことを表し、その他の可能性を排除するという意味であり、語意が重く、一般の肯定文より更に断固として力強い。

  注意する必要があるのは、いくつかの二重否定の文の語気は単純な肯定文に比べ多少婉曲なところがあることである。例えば:
   (9) 人家都説你是個厚道人,你不会不幇忙的

・厚道 温厚である。親切である

   (10) 我不是不借給您,我也実在没有多余的銭。

 例(9)の“你不会不幇忙的”は、単純肯定文では“你会幇忙的”である。例(10)の“我不是不借給您”は、単純肯定文では“我是要借給您”である。このような二重否定文は単純肯定文のように肯定的で力強くはなく、語気はやや婉曲的である。

 もちろん三重否定や、もっと多くの多重否定も存在する。否定文の形式はたいへん表現力があるけれども、否定の回数が多過ぎると、意味の正確な伝達に影響を及ぼし、ひどい時には話の意味を正反対に取られかねない。例えば:
   (11) 別的同学都在為実現四個現代化用功,我怎麼能勧阻孩子別那麼刻苦呢?

 例(11)の“勧阻”は“不譲”の意味である。“不譲孩子別刻苦”はつまり“譲孩子刻苦”ということである。文中に“怎麼能”があり疑問の語気を表しているのに、一方後ろでは反対に“譲孩子刻苦”と言っている。つまり、話している内容が言いたい内容の反対の意味になってしまっている。後段の“阻”を削除するか“別”を削除するかすべきである。

 中国語にはいくつか習慣的な表現方式を形成するものがあり、例えば“好不容易”と“好容易”、“好不熱閙”と“好熱閙”、“差点没死掉”と“差点死掉”は、表す意味は全く同じであり、これらは否定文と見做してはならない。

(二) 設問文の形式

 説問文の形式は、語気の変化を利用してことばの表現効果を増すものである。これは陳述文とは異なり、陳述文が比較的平穏でおだやかなのに対し、設問文は語気が強く、躍動感がある。単純な疑問文と異なり、疑問文が、疑いがあって問い、その目的が相手に回答を出させることにあるのに対し、設問文は、疑いが無いけれども問い、心中では既に確かな見解があり、相手の回答は必要とせず、ことばの技巧を用いて修辞効果を強める方法である。これは故意に問いを設け、その後で自分で回答するか、或いは解答を出さずに読者に考えさせて理解させるという文の形式である。設問は提問(問いかけ)と反問の二つに分けることができる。

1.提問 (問いかけ)

 この形式を使う目的は、以下の文を提示し、読者の注意を促すことである。これは自問自答の方式を採り、先ず自分が問題を提起し、その後自ら解答を出す。例えば:
   (12) 什麼最可貴?
       独立自由最可貴。
       什麼最痛苦?
       民族奴役最痛苦。

   (13) 什麼是路?就是没路的地方践踏出来,従只有荊棘的地方開辟出来的。

・践踏 jian4ta4 踏む。踏みつける
・荊棘 jing1ji2 イバラ

 人々はある道理を述べる時、直接叙述し説明するという方法は取らず、先ず読者の前で一つの問題を投げかけ、これが読者の思索を引き起こし、注意を喚起し、矢も盾もたまらず(“迫不及待”という成語がある)読み進ませ、直ちにこの問題を解決しようとさせる。このような後で作者が提出する答案は、作者が述べたいと思っている観点であり、それが自然と眼の前に現れたなら、人に与える印象は鮮明で深刻なものとなる。

 時には文章を鮮明で躍動的で、波打ち起伏のあるものにするため、先ず反面から質問を投げかけ、その後で正面から問いかけ、先ず反面の質問を否定し、その後で正面の答案を差し出すことがある。例えば:
   (14) 這個渾身是胆的好漢,這個以沉着出名的英雄,這個鋼鉄鋳成的人,
     感覚到一種没有経験過的孤単、害怕。他因為周囲都是屍体而害怕?
     不,躺在屍体堆里,這不是第一次也不是第十次。他是感到死亡臨近而害怕?
     不,他不是第一次也不是第十次戦勝死亡。対啦,這是因為離開了部隊!

・孤単 gu1dan1 孤独

   (15) 莎士比亜雖然“劇聖”,我們不大有人提起他。五四時代介紹了
     一個易卜生,名声倒還好,今年介紹了一個肖,可就糟了。至今還有人
     肚子在発脹。
       為了他笑嘻嘻,辨不出是冷笑,是悪笑,是嬉笑嗎?并不是的。為了
     他笑中有刺,刺着了別人的病痛麼?也不全是的。列維它夫説得很分明:
     就因為易卜生是偉大的疑問号(?);而肖是偉大的感嘆号(!)的縁故。

 時には内容の表現の要求により、連続して問いかけ最後に一つの答を出し、それにより文章の勢いを強めることがある。或いは問い答えをしつつ、一つ一つ分析し、一歩一歩深く入り込み、人を引き付け夢中にさせる(“引人入勝”という成語がある)ことがある。
   (16) 為什麼鶏蛋能够gou4転化為鶏子,而石頭不能転化為鶏子呢?
     為什麼戦争与和平有同一性,而戦争与石頭却没有同一性呢?為什麼
     人能生人不能生出其他的東西呢?没有別的,就是因為矛盾的同一性
     要在一定的必要的条件之下。缺乏一定的必要的条件,就没有任何的
     同一性。

   (17) 一切種類的文学藝術的源泉究竟是従何而来的呢?
     ……有人説,書本上的文藝作品,古代的和外国的文藝作品,不也是
     源泉嗎?……人類的社会生活雖是文学藝術的唯一源泉,雖是較之
     后者有不可比擬的生動豊富的内容,但是人民還是不満足于前者而
     要求后者。這是為什麼呢?……

 例(16)は続けざまにいくつかの問題を投げかけ読者に考えさせ、その後にそれに代えて答案を持ち出しており、印象が鮮明で、またいくつかの疑問文が集中して並べられているので、言語構造も比較的整っていて、読んでみるとたいへんリズミカルで力がある。
 例(17)はこの一節の中で、段階を追って問題を提起し、それぞれの段階で分析を加え、それぞれがつながり合い、文芸と生活の関係の分析がたいへん明確で、このようにすると文章の論理性と説得力を強めることができる。

 実際にこの修辞技法を使う時、提起する問題が明確となるよう注意しなければならない。提起する問題を明確にすることで、論点を際立たせるために条件を作り出し、文章の発展のために道筋を拓いてくれる。難解で内容のはっきりしない問題提起では、観点のあいまいな、人に何を言っているのか分からないものしか残せない。言語形式から見ると、問いかけ文は一般に比較的簡潔である。問題が多く、一言では言い表せない場合は、問いかけの数を増やし、続けざまに問いかけることができる。

2.反語

 提問(問いかけ)とは異なり、反語は問いかけるだけで答えない。これは設問の形式を通じ、人々の思考を促し、人々に自分自身で回答を出してもらうのである。実際には、反語の回答は、既に暗に問いかけの中に含まれている。例えば:
   (18) 太陽従早到晚,把它的光和熱照在毎一個角落従不吝惜,従不偏袒,
     従不計較報酬,它那様大公無私,那様一心一意地為人民発射光和熱;
     這是何等寛闊的胸懐!如果有了這様的胸懐,還有什麼容不下的東西呢?
     還為什麼不能聴取別人的意見并改正自己的缺点和錯誤呢?

・偏袒 pian1tan3 片方の肩を持つ。えこひいきをする
・計較 ji4jiao4 計算する。勘定する。

   (19) 如果説貪汚和浪費是極大的犯罪,浪費和摧残人才不是更大的犯罪嗎?

 上で挙げたような反語は、しばしばある問題を充分に論述した後、すぐ後に一つの反語文が続けられる。文章の勢いから言うと、弁論を行う時、反語文の矛先は聞く者に最も強く感じさせる。理屈から言うと、論点、論拠が十分に合理的である前提で、反語を使うと、語気は更に肯定的で強くなり、観点は更に明確で疑いの無いものになる。また、反問の後は回答をせず、読者自身に体得させるので、人に深く考えさせ、文章の説得力を強めることができる。

 また例えば姚雪垠《李自成》で:
   (20) 衆人的看法是有根据的:第一,朝廷遅遅不打算給張献忠正式職銜;
     曾伝説要給他一个副将銜却没有発給関防,更不曾発過粮饟xiang3。這不是
     硬逼着张献忠重新下水麼?第二,張献忠日夜造軍器,天天練兵,收積粮食,
     最近従河南来的災民中招收一万多人。這不是明顕地準備起事?第三,
     張献忠才駐扎谷城時節,確実不妄取民間一草一木,后来偶尓整治几個
     為富不仁的土豪,但并不明張旗鼓。近来公然向富戸征索粮食和財物,
     打傷人和殺人的事情時常出現。這難道不是要離開谷城麼?……

・職銜 zhi2xian2 役目と肩書。“職”は役目、“銜”は肩書のこと。
・関防 guan1fang2 官庁で用いる長方形の公印(公文書の偽造を防止するために用いる)
・粮饟 liang2xiang3 軍人、兵士に対する給与(食糧と金銭の意味)
・下水 xia4shui3 [比喩]悪事を働く
・招收 zhao1shou1 試験などによって募集すること。ここでは私兵を募ること
・駐扎 zhu4zha2 駐在する。駐屯する。
・妄取 wang4qu3 みだりに取る。勝手に取る。

 ここではいくつかの面の事実から、張献忠が近いうちに決起するであろうといううわさが根拠のあるものであることを論証している。作者は一つの事実を並べる毎に、反語文を使って詰問し、否定的な文の形式を用いて肯定的な意味を表し、作者の論断の説得力を強めている。

 反語は前の文で十分に論述した上で詰問するので、反語文は十分な論証の必然の結果、もしくは弁論の継続・深化である。したがって、反語を使う時には、合理的で根拠のある論述のもと、理屈に合った反問でなければならない。こうしてはじめて、反語の力を示すことができ、そうでないと、的無しで矢を射るようなもの(“無的放矢”wu2di4fang4shi3という成語がある)で、要点がつかめず(“不着辺際”bu4zhuo2bian1ji4という成語がある)、文章の力を弱めてしまうことになる。

 時には問いかけと反語が結合して使われることがある。前段は問いかけで始まり、後段は反語で回答を暗示する。例えば:
   (21) 有人問:你対牛差差和孟祥英的婆婆、丈夫,都写得好像有点不恭敬,
     難道不許人家以后再転変嗎
        答:孟祥英今年才二十三岁,以后毎年開労働英雄会都要続写一回,
     誰変好誰変壊,你怕明年続写不上去嗎?

   (22) 朋友們,当你聴到這段英雄事迹得時候,你的感想如何呢? 你不覚得
     我們的戦士是可愛的嗎? 你不以我們的祖国有着這様的英雄而自豪嗎?

 ここで、前段の問いかけは論議の導入の役割があり、読者の注意を促し、続いて後段の反語で回答を暗示し、強い口調で問いかけることで、文章の語気を強めている。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国語の修辞: 語順の変化による表現技法

2011年01月05日 | 中国語
 あけましておめでとうございます。今年もいっしょに中国語を勉強し、表現力を高めましょう。
 今回は、語順の変化による表現技法です。これは、主に倒置法の利用による意味の強調ですが、ひと口に倒置法と言っても、主語と述語の倒置、修飾語と中心語の倒置や、詩では各句の句末で韻を踏むための倒置もあります。

                        第五節 文型(句式)の選択

 中国語の表現手段は様々である。数多の語句を選択できるだけでなく、無数の文型を構成することができる。多様に変化する文型により、私たちは正確に、細密に、鮮明に、生き生きと思いを伝え、広大な天地を切り拓くことができる。私たちが思想や感情を如何に効果的に表現できるか、その鍵は各種の表現様式の正確で適切な選択である。

                            一 語順の調整

 中国語は形態の変化が乏しく、語順は重要な意味を持っている。語順は重要な文法手段であり、重要な修辞手段である。中国語では、一般的には語順は比較的固定されている。語順の並び方が良くないと、意味の正確な表現を損なうことになる。時には、一部の語順を弾力的に変えてやることで、ことばの表現効果を増すことができる場合がある。

 中国語の修飾語と中心語の順序は比較的単純で、一般的には、修飾語が前、中心語が後ろである。修飾語と中心語は偏正関係の“詞組”(“短語”ともいう)を構成する。しかし、偏正詞組の修飾語の前に更に修飾語がある場合、階層の異なる修飾語どうしの間にも語順の問題が発生する。語順の並べ方が良くないと、意味の正確な表現に影響することは同様である。

 中国語で、一般に語順は固定されているが、表現上の必要から、基本的な意味が変わらないことを前提に、語句の順序を変えて、文の修辞効果を高めてやることがある。こうして語順を変えられた文は、倒置文(“倒装句”)或いは“変式句”と呼ばれる。

 このような文には以下の特徴がある:1.基本的な意味は変わらず、ただ、重点が強調され、情態に変化がある。2.文法上の関係には変化が無く、語句の位置の上で前後の順序が異なるが、文の構造上の関係は変わらない。3.語順の変化は、しばしば音の強弱(ストレス)、語調、ポーズなどを伴い、表現効果を強める。

1.主語と述語の倒置
   (1) 安息吧
      敬愛的周総理!

   (2) 小心点,老人家!

2.修飾語と中心語の倒置
   (3) 他們応該有新的生活,為我們所未経生活過的

   (4) 你已経替中国人民鋪好了道路,用你的血

3.偏正複文の分句の倒置
   (5) 他忍受着,不管是怎様的痛痒

   (6) 正義是殺不完的,因為真理永遠存在
  
 述語を主語の前に置いたり、中心語を修飾語の前に置いたり、正句を偏句の前に置いたりするのは、特別な表現上の必要のためである。それは先ず、文中のある成分を強調するためである。これら語句の語順の倒置は、述語、修飾語、分句を強調する働きがある。次に状況の上での必要からである。例えば、感情が高まったり、情勢が緊迫している時、しばしば最初に最も相手に注目してほしい語句から話をすることがあるが、このような文は自然の倒置になる。例(2)がそうである。最初に相手に“小心点”と注意を促し、その後相手に呼びかけている。文芸作品の中でこのような文の形式は人物の情態を生き生きと描写する手助けになる。また、時には長い語句を短くするため、長い修飾語を中心語の後ろに移し、いくつかの並列の成分を構成させることがある。例えば、柯岩《啊,春天!》で:
   (7) 請揚起你的風帆,
      帯着我的思念
      往復蘇的大地上飛翔吧,
      為了去温暖
      毎一顆還在冬眠的種子
      為了去迎接
      那碧緑的、碧緑的
      成熟的夏天……

 時には詩で韻を踏むため、語句の順序をひっくり返すことがある。例えば、郭小川《刻在北大荒的土地上》で:
   (8) 継承下去吧我們后代的子
      這是一筆永恒的財産 ―― 千秋万古長
      耕耘下去吧未来世界的主
      這是一片神奇的土地 ―― 人間天上難

・耕耘 geng1yun2 耕耘(こううん)。→比喩的に用いることが多い。



【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国語の修辞: 対比、示現、双関

2010年12月23日 | 中国語
 今回は、二つの相対する事象を描くことで、互いが引き立て合い、意味を際立たせる“対比”、眼の前の状況に触発され、実際には眼の前に存在しない事物を、生き生きと真に迫って描写する“示現”、発音や意味の上の連想から、一つの語句に二つの事象の意味を持たせる“双関”についてです。

                    四 生動(表現を生き生きさせる)

(三)対比


 対比は、文を鮮明で生き生きとさせるための良い方法である。私たちはことばを使う時、二つの相対する事物をいっしょに叙述描写することで、互いを映し合い、互いが引き立て合い、読む人にことのほか目もさめるばかりの鮮明さを感じさせる。

 魯迅がうまいことを言っている。
  “優良的人物,有時候是要靠別種人来比較、襯托的,例如上等与下等,好与壊,雅与俗,小器与大器之類。没有別人,即無以顕出這一面優,所謂‘相反而実相成’者,就是這。”
(優れた人物は、時には別の種類の人間と比較し、際立たせなければならない。例えば、上等と下等、良いのと悪いの、優雅なのと低俗なの、器の小さいのと大きいの、の類である。他の人物では、この面で優れた人はいない、いわゆる「互いに相反しているようで、実は互いに成り立たせ合っている」というのがこれである。)[①]

[注①]魯迅 《論俗人応避雅人》

 魯迅のこの話は対比の手法を専門に言ったものではないが、対比の本質的な特徴を指摘している。

   (32) 這班官儿們,黒眼珠只看見白銀子,句句話忠君愛民,様様事禍国殃民

・禍国殃民 huo4guo2yang1min2 [成語]国民と人民に災いをもたらす

   (33) 一個是那様
       黒得像紫檀木
       一個是那様
       白得像棉絮
       一個多麼舒服
       却在不住地
       一個多麼可怜
       却要歓楽的歌。

 例(32)は姚雪垠が《李自成》の中で対比の手法を使って明末の腐敗した官吏を描いたもので、鋭い洞察力がある。例(33)は白人の家の女中がその家の令息に仕える情景を描いたもので、対比の手法によって階級の圧迫と民族の圧迫というテーマを鮮明に突出させて反映している。

 王夫之は《薑斎詩話》の中でこう言った:
 “以楽景写哀,以哀景写楽,一倍増其哀楽。”
 (楽しい情景により悲しみを描き、悲しい情景により楽しさを描けば、その哀楽を倍増させることができる。)
 詩の中で表現しているのは、正にこの境地である。

 対比は叙述文の中で常用されるだけでなく、景色の描写、雰囲気をかき立てる上でも、たいへん有用である。例えば:
   (34) 冬季日短,又是雪天,夜色早已籠罩了全市鎮。人們都在灯下匆忙,
    但窗外很寂静。雪花落在積得厚厚的雪褥上面,聴去似乎瑟瑟有声
    使人更加感得沉寂

・籠罩 long3zhao4 すっぽり覆う
・瑟瑟 se4se4 風が吹く音

 魯迅はここで、雪の音によりあたりのひっそり静まった様子を表現した。いわゆる“動中有静”(動中静有り)はこのような境地を指している。これは正に対比が生み出した芸術効果である。

  対比は事物が鮮明で突出していることを反映するだけでなく、作品を活発で生き生きとさせ、変化に富んだ文章にする。文の筋書きやことばを前後に配置した上で、対比を使って文に変化を持たせることができる。例えば:
   (35) 頭髪梳得光
       臉上搽cha2得香
       只因不生産,
       人人説她髒zang1

・搽 cha2 (おしろいなどを)つける。塗る
・髒 zang1 汚い

 作者が先ず彼女をきれいだと褒めたのは、後に彼女を批判するためである。先ず彼女の身づくろいが美しいことを言うことで、彼女の内面の醜さを際立たせている。対比が強烈で、含蓄があり、詩の組立ては起伏がありおもしろい。

 対比は必ずしも相対立する事物ばかりではなく、時には互いに一致する事物であることもある。例えば:
   (36) 龍華千載仰高風,
       烈士身亡志未終,
       墻外桃花墻里血
       一般鮮艶一般紅

   (37) 大姐姐把大碗餃子放在承緒面前,用胸前囲腰擦擦手,生気地説:
     “你也太把我小看了!我是風吹雨打長大的,六月的日頭晒大的;
     不是売糖人吹来的。你是苦蔓wan4上結下的我也是苦海里泡大的
     ……為革命,你能漂洋,我也能過海你能越岭,我也能翻山
     只要是你能到的地方,我就能陪你!”

・漂洋過海 piao1yang2guo4hai3 はるばると海を渡る
・翻山越岭 fan1shan1yue4ling3 [成語]何度も山を越える

 このような対比では、前の例文は引き立たせることに重きを置き、後の例文は比較に重きを置いている。何れも、対比させ、引き立たせる役割がある。

(四)連想

 人々はことばを使う時に、眼の前の状況を契機として、別の状況や事物と結びつけ、二つの異なる状況や事物を一つにし、文が表現する意味をより鮮明に突出させ、イメージの躍動感を増加させる。ここで想像力、“連想”が必要になる。連想はイメージと切り離すことができず、それは、実際には思考をイメージする方式である。連想を文の上で表現する方式は、主に“示現”と“双関”である。

 “示現”とは、眼の前の状況に触発され、実際には眼の前に存在しない事物を、生き生きと真に迫って描写する(成語で“活霊活現”huo2ling2huo2xian4と言う)ことで、ことばの躍動感を増加させる手法である。

  “示現”の文例:
   (38) 我在這里吃雪,正是為了我們祖国的人民不吃雪。他們可以坐在
    挺豁亮的屋子里,泡上一壺茶,守住個小火炉子,想吃点什麼就做点
    什麼。

・豁亮 huo4liang4 広々として明るい

   (39) “在家時你干什麼?”“幇人拖tuo1毛竹。”我朝他寛寛的両肩
     望了一下,立即在我眼前出現了一片緑霧似的海,海中間,一条
     窄窄的石級山道,盤旋而上,一個肩膀寛寛的小伙,肩上墊dian4了
     一塊老藍布,扛了几枝青竹,竹梢長長的拖在他后面,刮打得石級
     嘩嘩作響,……這是我多麼熟悉的故郷生活啊!

・毛竹 孟宗竹

 “示現”の手法を使うことで、読む人がその景色を見、その音を聞いているように感じさせる。例(38)は中国人民志願軍戦士が祖国の人民の幸福な生活の情景を想像することを通じて、最愛の人の崇高な思想信条を表している。例(39)は眼の前の若者の話から、故郷の生活が懐かしく思い起こされ、人物の感情を具体的なイメージを付けて再現され、行間に作者の深い思いがにじみ出ている。

 “双関”はことばの助けを借りて、発音や意味の上の連想から、一つの語句に二つの事物の意味を持たせる修辞手法、掛け言葉である。しばしば、文の上で言っている意味の他、暗に別の意味を含んでいる。例えば:
   (40) 老梁歪着脳袋看着儿子,怎麼這麼不順眼?啊,対了!眼鏡!
     他呼地伸出手,扯下儿子的眼鏡,叭地摔到地上:“這玩藝儿叫你
     看不清!”

・不順眼 bu4shun4yan3 目障りである。
・眼鏡 =墨鏡、太陽鏡。サングラス
・玩藝儿 (軽くけなした意味)もの。やつ。

   (41) 黄浦江上有座橋,
       江橋腐朽動揺
       江橋揺
       眼看要垮kua3掉!
       請指示,
       是拆還是焼?

・垮kua3 壊れる。崩れる。

  例(40)の“看不清”は、文字の上ではかけているサングラスが見えにくいことを指すが、実は悪い思想、考えが前進する方向を見えにくくさせ、道を誤らせる、と言っているのである。これは、語句の意味を借りてできた“双関”である。
 例(41)で、“江”、“橋”、“揺”は、文字の上では黄浦江に架かる橋が既に古くなってぐらぐらしていることを言っているが、実は江青、張春橋、姚文元の一味を指している。これは語句の音を借りてできた“双関”である。

  “双関”は時に含蓄があり婉曲的で、読む人に真意が言外にあることを感じさせることがある。時にユーモアやふざけた表現を使い、笑いの中に闘争の矛先が垣間見えることがある。

【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国語の修辞: 誇張と反復

2010年12月21日 | 中国語
 今回取り上げる修辞技法は、文意を強調するための表現で、誇張と反復の二つです。数字を使った成語も誇張表現に含まれます。

                 四 生動 (表現を生き生きさせる)

(二) 強調

 一つの事物を強調しようと思うと、人々はしばしば誇張の手法を用いる。つまり客観的な事実を超えたことばを使ってその事物を大げさに表現し、読む人に突出した印象を与えるようにする。

 通常見られるのは程度の誇張である。例えば:
   (15) 龍江人常説,這里的土,插根筷kuai4子都会発芽

   (16) 這后生平時不声不響,只是蒙着頭工作。可是火起来也有股子牛脾气,
    不会転弯,説的話能衝倒墻

・后生 若者
・不声不響 声をたてずに黙って。こっそりと。
・蒙 meng1 ぼうっとする
・股子 [量詞]力や臭気などを形容する
・牛脾气 頑固で強情な性質

   (17) 一個人要是自私,処処考慮個人的利害,個人的得失,個人的生死,
    那他就会前怕狼,后怕虎,樹叶掉下来也怕砸za2了脳袋,永遠也不会
    変成英雄。

・砸za2 (重いものが他のものの上に)落ちる。当たる。

   (18) 車廂里凡是插得下一根針的地方,都擠満了人,就連過道、
    門旮旯ga1la2、厠所,以致于行李架上也都塞満了人。

・擠 ji3 (人や物が)ぎっしり詰まる。込み合う
・旮旯 ga1la2 隅

 程度の誇張はある側面から別の事物へ拡大、或いは縮小する。或いは事物を極度に強、大、高、長の方向に話をする。或いは逆に事物を極度に弱、小、低、短の方向に話をする。

  ある事物の程度を大げさに誇張するため、数詞を利用して表現する場合がある。中国語では、数詞は実際の数を表さない場合があり、“三”以上はしばしば数の多いことを表し、“三”以下はしばしば数の少ないことを表す。いくつかの成語はこのよう構成されている。
 例えば、“三思而行”、“四通八達”、“十悪不赦”、“百煉成鋼”、“千言万語”は数のたいへん多いことを言う。逆に“略知一二”、“一毛不抜”、“一星半点”は数のたいへん少ないことを言う。

・三思而行 三思ののちに行う。熟考の上実行する
・四通八達 道が四方八方に通じている
・十悪不赦 shi2e4bu4she4 極悪非道で許すことができない
・百煉成鋼 百度鍛えて鋼になる。鍛錬に鍛錬を重ねてりっぱな人になる譬え。
・千言万語 非常に多くの言葉の形容。口を酸っぱくして。

・略知一二 多少は知っている
・一毛不抜 yi1mao2bu4ba2 髪の毛一本抜くのさえ惜しむ。ひどくけちである譬え。
・一星半点 ほんのわずかばかり。ちょっぴり。

例えば:
   (19) 真把人困死了。将来勝利回国,我非睡它個八天八夜不行!

   (20) 但這回她没考工廠回来,当天只従竇堡鎮北面五里的関村走到家,
    她渾身没二両勁了。

 前例の“八天八夜”は何日も寝ないでがんばらないといけない、と数の多いことを言い、後者の“二両勁”は全身の力をさして使うことなく、と数の少ないことを言い、何れも程度の上での誇張をしている。

 もうひとつは、時間の上での誇張である。これは主にふたつの事物の関係を表す。生活の中で前後に起こった二つの事物について、後に起こった事物をわざと先に起こった事物の前に言い、読む人の印象を深める。こうした誇張を“超前誇張”と呼ぶ場合がある。例えば:
   (21) 還没喝到嘴里心就酔了

   (22) “放心,回頭見!”劉鉄柱話音還在人已不見

 当然先に酒を飲んだ後酔っぱらうのだが、ここでは酒を飲む前に酔っぱらったと言っている。話声が止んでから人はいなくなるのに、ここでは話声はまだするのに人がいなくなったと言っている。このように書くことで、読む人の印象は鮮明になる。

 誇張された文は文学作品の中でよく用いられる。これは、普通に描写するよりも読む人の印象が強く鮮明になるからで、人々の想像力を駆り立て、芸術的に感化する。 誇張は必ず真実を基礎とし、事物の本質を把握してそれを突出させなければならないが、現実の生活から離脱して、ひたすら奇怪さや荒唐無稽を追い求めてはならない。“大躍進”時期(1958年から数年間)の“民歌”は豊作の情景を描写する時、芸術的な誇張を低俗な大風呂敷に変質させてしまい、たいへん悪い影響をもたらした。

 魯迅は、誇張は“誠実”でなければならないとし、こう語った。
 “要確切地掲示事物或人物的姿態,也就是精神。”
(的確に事物や人物の姿形、つまり精神を取り出して見せなければならない。)[①] 
 そうしてこそ、私たちは誇張を使って文を磨き鍛える際に、“夸而有節,飾而不誣”(誇張しても節度があり、飾っても事実無根では無い)[②]ようにすることができるのである。

注①: 魯迅《漫談“漫画”》
注②: 劉勰《文心雕龍・夸飾》

 時には、文や文中のある成分を反復させることで、強調の目的を果たすことができる場合がある。

 一般的に言うと、文章を書く時は簡潔を追求し、重複を避けなければならない。しかし、一定の条件の元では、ある事物を強調突出させるため、その事物を重複して叙述し、ことばの表現効果を強める必要がある場合がある。例えば:
   (23) 已経聴得拉過回声。我派了人在那里看着,専等船靠了碼頭,
    就進報告。頂多再等五分鐘五分鐘

   (24) 她警覚地望望左右行人,放低了声音。“你是個共産党嗎?”
       “不是。”道静的声音更低了。她倒不是因為害怕,而是因為痛苦。
    “如果我能是個是個這様的人,我想,我会変成世界上最幸福、
    最快楽的人。可是,我不是……“
       “你会是的!”暁燕回過頭来厳粛地望着道静愁悶的臉色。
    “你会是的!我覚得你将来一定会是的

 上の例は何れも肯定の口ぶりを強調している。人々は話をする時、重点的なところは、相手が聞き洩らさないよう、たいてい反復して何度か話すことで、強調し、聞く者の印象を強める。

 強調の他、反復は人物のその時の情態を表すことができる。例えば、例(24)の“是個,是個”はこの人物が話をしている際の激昂する心情を表している。更に、別の例では:
   (25) 因為他喊的声音太大,吓得艾艾哆嗦suo了一下,一骨碌爬起来,
    瞪着眼問:“什麼事什麼事?”

・哆嗦 duo1suo 震える
・骨碌 gu1lu ごろりと転ぶ

   (26) 二諸葛一夜没有睡,一遍一遍念:“大怎麼還不回来
    大怎麼還不回来?”

 例(25)の反復は、艾艾が大声のため眠りを破られ、極度に緊張した様子を表す。例(26)の反復は、二諸葛が、小二黒が捕まった後、緊張してどきどきしている様子を表す。

 反復は音節を延長するので、長く続いて絶えない様子を表すことができる。例えば:
   (27) 他雖然和我們永別了,但是他永遠活着!他的事業,他的人品,
    他的詩句,永遠遠活在億万人的記憶中,永遠永遠

   (28) 殺敵勇士就這様拿起綉花針,変成了綉花姑娘。綉呵綉呵
    両条綉花手絹終于綉成了。

 このような文は深い感銘を与え、一語一語が人々に心の琴線に響く。

 この技法を更に拡大させて文章に活用し、文芸作品の中には、反復を利用して読者の印象を深め、人物の性格を描くのに使っているものがある。作者は人物を描く時、しばしば様々な工夫を凝らして最も人物の性格や気質を反映できることばを選択し、何度も反復させ、人物のイメージを鮮明に読者の眼前に出現させている。

 《祝福》の中で、魯迅は祥林嫂に何度も阿毛が狼に食べられた話をさせることにより、彼女が悲しみのあまり感覚が麻痺してしまっている様子や、彼女の心が受けた大きな傷を反映させている。
 《紅旗譜》の中の朱老忠にも、繰り返し“出水才見両腿泥”と言わせることで、中国農民の粘り強い戦いと、不撓不屈の英雄的な性格を表している。

 反復の中には必ずしも独立した言語成分が繰り返されるのではなく、ある語句が何度も出てくることで、強調作用がたいへん明確になっているものがある。例えば:
   (29) 黄河水入龍門,
       打浪飛,
       我将敵包囲,
       将敵粉砕。

   (30) 腰上纏的帕子,臂上纏的帯子,手槍上吊的墜子,大刀上挂的
    袱子,頭上戴的星帽子,前頭還拷得有血紅大旗,一身色,好不
    威風。

 反復の中には、文字の上では重複していないが、同義語を使用することで、意味の上の強調を表すのも、反復と見做すことができる。例えば:
   (31) 小桃蘭跳起来,用手指在臉上羞她:不害羞不臉紅,一个閨女家
    説些啥sha2?


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国語の修辞: 比喩によりイメージを際立たせる

2010年12月15日 | 中国語
 今回は、中国語の修辞技法として、比喩を取り上げます。

                  四 生動(表現を生き生きさせる)

 文を磨き鍛える(“錘煉”)には、更に表現が生き生きしている(“生動”)という要求を満足させなければならない。なぜなら、表現が生き生きした文でこそ人々を興奮させ、人々を感化し、共鳴させることができるからである。文の生き生きとしたイメージは、しばしば一定の修辞手法の活用と切り離すことができない。

(一) イメージ(形象)
比喩によりイメージを際立たせる

 文芸作品と政治論文は、しばしば一定のイメージを持ったことばを使って事の道理を説明する。その中で、最も幅広く活用するのは比喩である。

 比喩はたいへん良い表現作用を持っている。それは未知の事物を既に知っているものに変え、奥深い道理を分かりやすく説明する。例えば:
   (1) 一道閃電明亮,只見山北辺,白茫茫的雲海,就像几万匹馬向前
    跑着一様,順着丹江,一直往東滚gun3着。有几次風把雲塊推過来,
    玉山就像个大佛爺凸着肚子,把它又擋回去。点閃着,雷打着,風卷着
    雲,雨乗着風,整个天空上呀,就像個唱戯大舞台

   (2) 什麼叫“国粋”?照字面看来,必是一国独有,他国所無的事物了。
    換一句話,便是特別的東西。但特別未必定是好,何以応該保存?
    譬如一個人,臉上長了一個瘤,額上腫出一顆瘡chuang1,的確与衆不同,
    顕出他特別的様子,可以算他的粋。然而据我看来,還不如将這粋割去了,
    同別人一様好。

 例(1)はいくつかの比喩句を通じて、山地の雷雨の情景を大げさに表現し、山地以外の地域の人が読んでも、自分がその場にいるかのようであり、未知の事物を読む人の知っているものに置き換えて表している。例(2)では、魯迅が顔の上にできた瘤や額の上にできた瘡を例に使って“国粋”の悪いところを譬えた。奥深い道理を分かりやすく説明した例である。

 比喩はまた、抽象的な事を具体的に説明し、平板なことを生き生きと表現することができる。例えば:
   (3) 我們的文学藝術不愧為偉大時代的鏡子,同時也是我国人民従中
    吸取智慧和力量的生活教科書

   (4) 在今天,
      我用滚燙gun3 tang4的双手
      我摸着
      我們的
        紅旗――
           又一次把
           母親的
           衣襟
           牽動……
・滚燙gun3 tang4 非常に熱い

 例(3)は“時代的鏡子”、“生活教科書”ということばを用いて文学芸術を譬えたことで、内容が具体的になり、イメージが明確になった。例(4)は母親の中国服のおくみ(“衣襟”)を引っ張るという表現で赤旗を手でさすることを譬えたことで、思い入れが深まり、読む人を心の底から感動させる表現となった。

 比喩を使う時は、ぴったり当てはまり(“貼切”)、分かりやすく、鮮明で、ユニーク(“新穎”)であるかどうかに注意しなければならない。次のいくつかの文はよくない例である。
(但し、この基準は時代や環境により変化する。以下の例は、文を書かれた当時はそうだったかもしれないが、現代の日本で見ると、善し悪しの判断が変わるケースもある。)

   (5) 無数条淙淙流淌的小河就像大地上的脉搏一様在不停地流動着,
    跳動着。
・淙淙 cong2cong2 細い水の流れる音。さらさら
・流淌 liu2tang3 (液体が)流れる
・脉搏 mai4bo2 脈拍

   (6) 我今天買了只新式銥yi1金筆,様子跟潜水艇似的,頭尖溜溜的。
・銥 yi1 イリジウム。銥yi1金筆で、イリジウムを使った万年筆。
・尖溜溜 jian1liu1liu1 とがったもの、または鋭いものの形容。

   (7) 従走廊的那一頭,走出白求恩和奥布莱安,記者們像捕獲到野獣似地
    撲上前去,七嘴八舌問長問短,照相机的閃光閃爍着。
・撲 pu1 飛びかかる。突き進む
・七嘴八舌 [成語]多くの人が方々から口を出すさま。口々に言う
・問長問短 [成語]あれこれ尋ねる
・閃爍 shan3shuo4 (光が)ちらつく

   (8) 青年賽過趙子龍,壮年干勁比武松,老年本領超黄忠,婦女就像
    穆桂英
・賽 sai4 ~にまさる。~より優れる
・干勁 gan4jin4 (物事に対する)意気込み

 例(5)で“脉搏”は“跳動”(脈打つ)ものであるが、“流動”するものではないので、流れる“小河”の比喩としては不適切である。例(7)で、有名人の取材に記者が群がる光景に、“捕獲到野獣”という比喩を使うのは意味合いが違い、不適切である。
 例(6)と(8)は現在の日本で見ると、判断が異なるように思う。例(6)で“銥yi1金筆”、つまり万年筆の形の譬えとして、“潜水艇”は一般に見かけないので、比喩としては不適切としている。例(8)は譬えとなる人物が中国ではよく耳にする人物ばかりで、新鮮味が無いので、比喩として不適切としている。

 比喩が適当でないのは、主に作者が客観事物に対する観察が不十分で、事物の本質を把握しておらず、いいかげんに比喩を考え、手当たり次第に適当にことばをえらんだことで発生する。人によっては喩えを考える時に、考えすぎて、却って難解になってしまい、訳が分からなくなってしまう(“不倫不類”bu4lun2bu4lei4[成語]得体が知れない。似ても似つかない)ことがある。

 比喩を使った文を推敲する時は、文の前後の語句との組合せの関係にも注意すべきである。比喩の中で譬えられた物とその物の関係は適当であるが、その他の語句との組合せが不適当な場合は、文として不適切である。例えば:
   (9) 小河如飄動的綢帯。

   (10) 烈火般的熱情在天安門広場沸騰起来了。

 “小河如綢帯”、“烈火般的熱情”という比喩句は、内容的におかしくない。けれども、“綢帯”に修飾語“飄動的”が加わると、“綢帯”は空中を漂っているかのような意味合いとなり、この組合せで“小河”の比喩とするのは不適切である。同様に、“熱情”の後ろの述語は“沸騰起来”である。“熱情”は“沸騰”することができるが、“烈火般的熱情”となると、“沸騰”はできず、“燃焼”しかできない。

 人の思想感情を無生物や生物の上に注ぎ込み、それらを人と同じように描写する表現手法を“擬人”と言う。適切に擬人法で構成される文を使うと、イメージが生き生きとしたものになる。例えば:

   (11) 在節日里,
       我們的党
         没有
         在酒杯和鮮花的包囲中,
            酔意沉沉
       党,
         正揮汗如雨
            工作着――
         在共和国大厦的
            建筑架上!
・揮汗如雨 “揮汗成雨”hui1han4cheng2yu3 という成語を踏まえる。意味は、汗をふるうと雨になる。大勢の人がひしめく形容。

 賀敬之はここで“酔意沉沉”、“揮汗如雨工作”といった人の行為、動作を表す語句を使って共産党という政治団体を人格化した。これにより、文章全体に生き生きしたイメージが生まれ、読む人の印象が鮮明になるという効果を得ている。

 擬人法は大部分が描写的、叙述的で、人の行為や性状を表す語句を人以外の事物の上に置くことで、その物に人の思想感情を持たせている。また場合によっては人以外の事物に人のように話をさせ、その物に自分の感情を述べさせることがある。例えば:

   (12) 天色又開朗了,四周突然亮了起来,月亮衝出了雲囲把雲抛在后面
     直往浩大的藍空走去

   (13) 蚍蜉撼大樹,
       辺揺辺狂叫
        “我的力量大
       知道不知道?”
       大樹説
       “我知道
       一張報,両個校
       几個小丑嗷嗷叫。”
・蚍蜉 pi2fu2 オオアリ
・撼 han4 揺り動かす。揺さぶる
・小丑 xiao3chou3 道化。小人。
・嗷嗷 ao2ao2[擬声語]痛みや苦しみなどのためにあげる悲鳴や鳴き声。ううんううん、ひいひい。わあわあ

 擬人法は死んだものを生きたものに変え、感情の無いものを感情を持ったものに変え、読む者に生き生きとしたイメージを与える。擬人法は通常文芸作品の中で用いられ、叙述描写の文の中で用いられ、抒情的な意味がたいへん濃厚である。人の話しぶりを真似し、それに人の感情を持たせ、更に比喩文を敷き詰めて文にし、それを拡大して鳥や獣が語り出す童話や寓話にすることができる。

 擬人法は感情が高まった時のことばの表現方式であるが、使用する時は、自然で調和がとれているか注意しなければならず、わざとらしく([成語]矯揉造作jiao3rou2zao4zuo4)してはならない。

 擬人法は人以外の物を人と見做して書かれるので、表現する時はできるだけその事物自身の特徴に合うよう注意しなければならない。例えば:

   (14) 新水井,亮閃閃,
       好像姑娘汪汪的眼,
       看得玉米露牙笑
       看得地瓜渾身甜
       看得谷子垂下了頭
       看得高粱羞紅了臉
・汪汪 wang1wang1 水をいっぱいためているさま。
・渾身 hun2shen1 全身

 新しい井戸ができ、水がこんこんとわき出て、農作物が豊かに実る喜びを、少女のはつらつとした動作に譬えている。“玉米露牙笑”は、粒のきれいに揃ったとうもろこしが、少女がにっこり笑った時に見える健康な歯並びのように見える。“地瓜渾身甜”、“谷子垂下了頭”、“高粱羞紅了臉”何れも作物の特徴に合った譬えである。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする