中国語で、文法上の最小単位は“詞”であり、これは通常、2音節、ないしは3音節である。一方、これを表す文字、すなわち漢字は単音節である。一つの漢字の音節構造は、声母(子音)+韻母(母音)+声調である。
声調は一般に語義を明確にする役割を持つが、音節の高低、昇降の変化をつけるため、その結果、ある意味で、音楽的な美しさを持たせている。この特徴を活かして、文の修辞技法としたのが、平仄(ひょうそく)である。
ただ、平仄の規則が生まれたのが、古代漢語においてのため、現代漢語とは、文の音韻構造に違いがある。このことが、現代の我々からみると、平仄をいささか分かりにくくしている原因である。しかし、現代文の修辞技法にも、一部、平仄の考え方は生きている。本稿では、現代文にも通じる、平仄について、説明を試みたい。
【1】平仄とは
客観的な聴覚と発音時の感覚の上で、私たちが以下の事実を受け入れるのは難しいことではない:
1. ある文字は発音の時、口を丸くし、発音する部分は力を緩めていて、発せられた音はゆったりして長く伸ばすことができる。一方、ある文字は発音の時、口をすぼめ、発音する部分に力が入り、発せられる音は短く、激しく、不明瞭である。(つまり、声母と韻母の異なった組合せにより作り出される)
2. 発音時に更に音の高低、アップダウンの違いがある。具体的に言うと、音の平らなもの、音が上がるもの、下がるもの、曲折したもの(すなわち声調の音の高さが異なるもの)がある。
平仄の区分は正にこうした客観的な存在の上に形成されている。平仄が合理的に配置された詩の文句は、読んでみると緩急が交互に現れ、高低の起伏があり、長短が結合し、弛緩と緊張が交錯し、音楽感が自然に生じる。さもなければ、舌が回らなかったり、息継ぎができなかったりで、読みにくく、また聞いて耳障りな文になってしまう。
平仄は古代の四声に相対して定められた。現代漢語の普通話の四声は陰平、陽平、上声、去声である。古代漢語が現代漢語に発展する中で、四声は既に大きく異なっている。けれども今日の四声と古代の四声は一つの血統が幾代にもわたり受け継がれてきたものである:古代の平声は今日の四声の陰平、陽平の二つの声調に分化した。古代の上声と古代の去声も、おおむね今日の四声の上声と去声に相当する。古代の入声の文字は消失し、いくつかの方言の中で、異なる程度に残されている。それでは、古代の入声はどこへ行ってしまったのか。それぞれ現代漢語の普通話の四声の中に移され、“入派三声”(「入声は三声に割り当てられた」。陰平と陽平は平声と通称され、これに上声と去声を加え、合わせて三声となる)と呼ばれる。このことが、今日の人々が平仄を識別するのに一定の困難さをもたらせている。
【2】古代の人々の音韻の探究と入声の成立
古代の四声は声調を指すだけでなく、古代の声母、韻母とも関係がある。古人は、漢字の音節は声母、韻母、声調の三つの部分で構成されることを研究、分析していた。例えば、唐代には漢字の代表的な声母が知られており、30の字母を制定し、宋代にはそれが増補されて36の字母となった。古代の音韻学者は更に発音の部位に基づき声母を唇音、舌音、半舌音、歯音、半歯音、牙音、喉音に分け、「七音」と称した。また発音の方法に基づき声母を全清、次清、全濁、次濁の四つに分けた。韻母について言うと、宋、元の音韻学者は韻頭の有無と類別から漢字の音韻構造を区別した。次第に“四呼”、“洪細”などの理論が形作られた。韻尾の違いにより、韻母を陰声韻、陽声韻、入声韻に分類した。古人は声調の区別と認識について、長期間の模索と蓄積を経て、斉梁の時、沈約らが四声を発見し、更にそれを自覚的に文学の創作に運用し、音律の美しさを形作った。明代の音韻学者は、四声をこう描写した。「平声は平らに言って低昴(音が下がったり上がったりすること)が無く、上声は高く呼ばわって猛烈に強い。去声ははっきりと物悲しく長く言い、入声は短く急いで終わる。」しかし、こうした描写は中国語の四声の実際を正しく表現しておらず、本当に正しく四声が認識されたのは、近代のことである。
入声について言えば、これは実は声調ではなく、一つの発音の方法である。他の三声が声調の高低、昇降の性質であるのと異なり、これは韻尾により確定する。伝統的に、入声はこう言われている:「入声は短く急いで終わる」。このことは、入声の文字は、b ,p ,g等の子音で終わることを指す。現代漢語の普通話には子音で終わる発音方法が無いので、昔の入声の読み方は、現代人には分かりにくい。私たちは今日では古音の読み方を正確に理解することはできないが、方言を通じて推測することはできる。 例えば広東語で、“白”は“bak”、“郭”は“guok”、“別”は“bit”で、語尾は何れも促音で終わるが、これが入声である。
入声は発音方法の範疇であるのに、この分類がどうして一千数百年もの間影響してきたのか。実は、四声を最初に発見し、運用をしたのが、南朝の沈約であったことによる。そのため、古代の四声の区分を“沈分法”という。沈約は江浙(今の江蘇、浙江両省)の人で、四声の規則を区分、制定する際には、当然入声のある呉地方のなまりが基礎になった。彼は声調を分類する時、一種類の短い音がやや特別であることを発見し、それらを一つの種類にまとめ、一つの声調とし、これを“入声”と称した。これが入声という文字の由来である。沈約は大学者で、大官僚であり、その影響力は大変大きかった。ましてや沈約は「天の時」「地の利」を得ていた。「天の時」とは、南北朝の時、経済の中心が次第に黄河流域から長江流域に移ったことを指す。「地の利」とは、広大な東南地区が沈約の後ろ盾となり、江南の才子が沈分法に対し同意しやすかったことを指す。更に後に歴代の王朝の“韻書”が何れも“沈分法”を採用した。このように一旦社会に認められた習慣となり、そのうえ支配層の認可があったことで、この分類が代々受け継がれることとなったのである。
(次回に続く)
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構造的に整った文、“整句”を使った修辞表現の三回目は“頂真”です。それと、これまで3回の応用として、整句と散句を結合させる“錯綜”の表現技法を取り上げます。
(三) 頂真
“頂真”は前後のいくつかの文の間で、同じ成分の語が前後の二つの句をつなげることにより、前句が受け渡したものを後の句が受けるようにする修辞手法である。それにより文の構造が緊密になり、語意がつながり合い、聞くとすらすら流れるように感じられる。“頂真”は大部分が後の句の最初の語が、前の句の末尾の語(言語成分)を受けたものである。こうした表現は、しばしば、物語の最初のところ、或いは話題を変える合い間のところで使われる。例えば:
(16) 有個農村叫張家庄,張家庄有個張木匠。張木匠有個好老婆,
外号叫“小飛蛾”。小飛蛾生了個女儿叫“艾艾”,……
(17) 碎瓦刨光了,是一堆新土;新土出清了,是一塊木板;
木板掲起来,是一個大瓦缸;把缸上的稻草拿掉以后,原是満満的一缸百米。
・刨 pao2 (くわ、つるはしなどで)掘る
・掲 jie1 (ふたなどを)とる。はがす。めくりとる
・瓦缸 wa3gang1 素焼の甕
時には物事の道理を説明する際にも、頂真を使って結論を導くことがある。例えば:
(18) 我們要改造民主風気,要改変文藝界的作風,首先要改変干部作風,
改変干部作風,首先要改変領導干部的作風;改変領導干部的作風,
首先従我們几個人改起。
(19) 這真是座活山啊。有山就有水,有水就有脉,有脉就有苗,
難怪人家説下面埋着聚宝盆。
・聚宝盆 ju4bao3pen2 いくら取っても尽きない宝物を盛った鉢。
頂真は物事の間のつながりに重きを置く。これを用いて物事を描写することで、物事の間の時間や空間をはっきりと説明することができる。これを用いて物事の道理や感情を述べることで、物事の間に内在する関係を述べることができる。聞く人に一目瞭然で、厳密で抜けが無いように感じさせることができる。頂真は言語形式の上では、前後の文のつながりが緊密で、文の形式も比較的均整がとれていて、読むと一つ一つの句が互いに連なり、明快ですらすら流れるようで、情趣が次々に湧いてくる。
(四) 錯綜
これまで、整句を使った修辞表現を見てきたが、“錯綜”は整句と散句の結合である。時には語句が平板で単調になるのを避けるため、本来であれば整句の文型で書けるものを、わざと長短不揃いにし、変化に富ませる。このような修辞手法を“錯綜”と呼ぶ。“錯綜”の構造は複雑である。以下の例文で見てみよう。
(20) 通紅的太陽照満天,
今天咱們多喜歓,
報了仇,伸了冤,
抬起了頭見青天,
千年的鉄樹開了花,
万年的磐石把身翻。
・伸冤 shen1yuan1 =申冤:冤罪をすすぐ。ぬれぎぬを晴らす
・鉄樹 tie3shu4 センネンソウ
・盤石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)
・翻身 fan1shen1 生まれ変わる。解放されて立ち上がる
(21) 看飛奔的列車,已駛過古長城的垜口,
窓外明月,照耀着積雪的祁連山頭……
・垜 duo3 塀の外や上に突き出た部分
(22) 她一説開了頭,許多受過害的人也都搶着説起来:
有給他們花過銭的,有被他們逼着上過吊的,也有産業被他們霸了的,
老婆被他們奸淫過的。
・上吊 shang4diao4 首をつる。首をくくる
・霸 ba4 奪い取る
・奸淫 jian1yin2 姦淫(かんいん)する。強姦する。手込めにする
(23) 我倒想起一个笑話:白人剛到非洲時,白人有《聖経》,人有土地;
過不多久,人有《聖経》,土地都落到白人手里了。
・聖経 sheng4jing1 聖書
(24) 射箭要看靶子,弾琴要看聴衆,写文章做演説倒可以
不看読者不看聴衆麼?
・靶子 ba3zi 的(まと)
例(20)の“把身翻”は、本来は前の句で構成された対偶句を受け、“翻了身”としても良いはずである。しかし作者はこの詩(歌詞)の押韻を考慮し、つまり詩を吟唱する時の特徴を活かし、“把身翻”と書くことにより、前の“天”、“歓”、“冤”と韻を踏ませている。これにより、最後の二行だけで対偶句を構成していたものが、その前の句とも連なり合い、全体で錯綜句となった。例(21)の二つの文は二つの事物を表しており、文型や構造は似通っているが、使われている詞組(短語)の構造が異なるため、言葉の調子が変化する面白さがあり、しかしその中に一定のリズムがあり、言語の“散”の中に意味の“整”が浸透し、ことばは自然で洒脱である。例(22)は意味の上では排比句であるが、錯綜句を使って表現している。これは強調すべきポイントが異なるために作られた錯綜句で、異なる文型をそれぞれの句で使うことで、強調すべきポイントを際立たせている。例(23)は、本来は前段と後段を同じ文型にしても良いところである。しかし、後段を“白人有了土地”とは言わず、“土地都落到白人手里了”と改めることにより、白人の侵略者の陰険で狡猾な本質を際立たせ、“土地”を強調することで、アフリカの人々の災難の根源の所在を明確にしている。例(24)は語気の転換により修辞効果を強めている。前半の二つの句は排比の陳述句であるが、後半は語気が一変し、反語文を使うことで、読者の思索と関心を促している。こうすることで、単純に排比句を三つ並べて陳述するより、文が生き生きとし、説得力が生まれる。
錯綜は文の構造の上では整句の中に散句が入り混じり、同質の文に変化を持たせ、文が単調平板になるのを回避し、ことばに変化を持たせ、文章の起伏を増加させる効果がある。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年
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(二) 排比
“排比”とは、いくつかの構造の似た語句を並列に並べて、関係する意味を畳みかけるように話していくという修辞手法である。
(10) 戈壁灘依旧那様蒼茫,天気依旧那様熾熱,風依旧那様猖狂。
可是,在那一塊塊大大小小的緑洲里,在那臨風揺曳的青沙帳里,
在那一大片連着一大片的庄稼地里,在那枝頭累累的果林里,
哪儿還能找到一点荒涼的影子呢?
・蒼茫 cang1mang2 見渡す限り青々としたさま
・熾熱 chi4re4 非常に熱い。灼熱の
・猖狂 chang1kuang2 勝手気ままに暴れ狂う
・揺曳 yao2ye4 揺らめく。揺れ動く
“排比”は語意の上で互いに関連し、それらは一般に同じ範囲、同じ性質の事物である。構造上はよく似たものが並列に並び、一般にある語句が重複している。数量的には、一般に三つ以上の言語成分から成り、言語成分は“詞組”(短語)、或いは句(分句)でなければならないが、場合によっては段落である場合もある。
“排比”の中の各言語成分は意味上の関係はそれぞれ異なる。あるものは、意味の上では並列である。例えば:
(11) 老郷們,男女老少仿佛从地底下鑚出来似的活動開了:
有的幇部隊碾打粮食;有的幇部隊焼飯;有的幇戦士們縫補衣服;
有的扛着槍四処巡邏;有的扛着担架,急急地奔走……
・碾 nian3 石臼でひく
・扛 kang2 担ぐ
・巡邏 xun2luo2 巡邏する。パトロールする
(12) 花花崗,是他們的刑場,是他們的戦場,也是他們挙行
那庄厳而高尚的婚礼的礼堂。
ここで時に異なる事物を列挙することがあり、異なる面には説明を加えることで、しばしば一つの事例から全体の概要を理解させる役割を果たしている。例(11)がそうである。時には一つの事物に対して、異なる角度から立て続けに説明することで、テーマを強調し深化させる効果を得ている。例(12)がそうである。どのような状況であっても、これらの間の関係は並列的である。
あるものは意味の上で順を追って展開(“逓進”)していく。排比句の間には意味の軽重、大小、前後の違いがある。これを“層逓”と呼ぶ人もいる。
(13) 在他革命的一生中,他是真正做到了有一分熱発一分光,
永不変色,永遠忠実于党,忠実于階級,忠実于人民。
(14) 第一個月,咱們娘娘有説有笑;第二個月来,咱們娘娘不苟言笑;
第三個月来,咱們娘娘不言不笑。
・不苟 bu4gou3 いいかげんにしない。おろそかにしない/不苟言笑:気ままにしゃべったり笑ったりしない
この時、範囲が次第に拡大したり縮小したりすることがある。例(13)では、範囲が次第に拡大している。また、時間が次第に経過したり前に遡ったりすることがある。例(14)では、時間が次第に経過している。どのような状況であれ、これらの間の関係は、“層逓”、つまり順を追った展開になっている。
言語形式の上で均整がとれるようにしたり、音声の韻律上、繰り返しの美を追求するため、文のレベルの排比では不十分な場合、段落の単位での排比に拡大させる場合がある。例えば:
(15) 有時丈夫対她説:“今晩開群衆会,你去参加吧!”她対他笑笑,
不説什麼,依然坐在灯下,仍然拿起針線来。
過不久,丈夫又対她説:“明天党支書作報告,你去聴聴!”
她対他笑笑,不説什麼,第二天照常托着洗衣籃子,照常到井辺去了。
不久,丈夫又対他説:“村里要辧個婦女識字班,你也去報名吧!”
她対他笑笑,不説什麼,仍旧低着頭,仍旧去做自己早已安排好的
三百六十天毎天該做的事。
段落の単位の排比は、散文や詩歌で多く用いられる。排比は、ことばが整い、話の筋道がはっきりし、読んでみると、色々な内容が入り混じっているようで実は均整がとれており、筋回しがきれいで、ゆらゆらと行きつ戻りつするような味わいがある。段落と段落の間が互いに受け継がれ呼応し、読む人の印象が鮮明となるだけでなく、情趣に満ちあふれているように感じさせる。上の例では段落の排比により、三つの状況を列挙し、良妻、呉淑蘭の善良でやさしい性格をありのまま描き出し、その姿形だけでなく話声まで伝わってきそうである。
排比の使用範囲は広く、排比と文章の表現力は密接な関係にある。排比は、時にいくつか典型的で代表的な事物を取り上げて用いることがある。典型を取り上げてそれを一般化してまとめることで、強い概括力が備わる。また時に詳しく、こと細かに道理を説くことがあり、道理を明晰かつ漏れなく説明することができる。事柄の叙述に用いると、整然と秩序立って、微に入り細をうがって述べることができる。物の描写に用いると、その声や色まで描き出し、生き生きとして今にも動き出しそうなほどである。もちろん、排比の主な機能は“壮文勢”(文の勢いを強める)[①]ことにある。文の形が整っており、一気呵成に畳みかけてくるので、読んでみると言葉が互いに連なってすらすら流れ、長江の流れのように一瀉千里の勢いがあり、文の格調は勇壮豪放、勇ましく美しい情景を描写するのに適している。
注①:陳騤《文則》
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年

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四 構造の整散
・整句:構造が同じか類似し、形式が揃っていて均整のとれた文
・散句:構造が異なり、形式がまちまちに入り混じった文
これまで取り上げた三つの形式は何れも“散句”で、文の構造としてはまちまちなものが入り混じっていた。言語中には、構造的に整った文で意味を表す場合もある。“整句”とは、いっしょに配列された一対、或いは一連の構造を同じくする、或いは類似した文である。構造が同じ、或いは類似しているので、形式上は見た感じが整っていて均整がとれている。このような文はしばしば形式美や音声美に富んでいる。
中国語の書面語の中では、“整句”が比較的好んで使われる。大多数の文では、“整句”と“散句”が入り混じって使われる。文学作品は固より文章の構造美が追及されるが、政治論文や科学技術論文でも同じように構造美を考えて書かれている場合がある。
(一) 対偶
一対の字数が同じで、構造が同じ語句を用い、同じ、或いは関連した、或いは反対の意味を表すことを“対偶”と言う。例えば:
(1) 万山逶迤馳奔馬,高天坦蕩走飛雲,他永遠永遠像巍巍太行山
聳立在我們面前。
・逶迤 wei1yi2 道や川がくねくねと続いているさま
・坦蕩 tan3dang4 広くて平坦である
・巍巍 wei1wei1 高くて大きいさま
・聳立 song4li4 そびえ立つ
ここで“万山”と“高天”は相対する名詞性の偏正詞組である。“逶迤”と“坦蕩”も相対する形容詞で、それぞれ前の名詞詞組のことを形容している。“馳”と“走”は相対する動詞、“奔馬”と“飛雲”は相対する名詞性の偏正詞組で、それぞれ前の動詞の賓語である。これら二つの語句は何れも七文字で、構造関係も完全に同一で、対偶句を構成している。
「字数が同じで、構造が同じ」というのは“対偶”の基本条件に過ぎない。「品詞がそれぞれ同じ」で「平仄が取れている」ならもっと良い。
“対偶”は両方の句にことばの重複が無いことが望ましい。多少のことばの重複があっても、「字数が同じで、構造が同じ」であれば、対偶と見做すことができる。例えば:
(2) 我們這儿也是好地方,牛羊遍野、駱駝成群,夏天的草原是一片碧琉璃,
冬天的草原是一片銀世界。
(3) 但是他,貝漢廷,驚奇而不泄气; 慕而不妬忌。
・泄气 xie4qi4 へこたれる
・妬忌 du4ji4 嫉妬する
対偶の一対の語句の表す意味が同じか類似しているものを“正対”と呼ぶ。例えば:
(4) 心血操碎,革命偉業似巍巍泰山振寰宇,
骨灰撤遍,総理恩情如滴滴雨露潤人心。
・寰宇 huan2yu2 全世界
(5) 尤其是白族同胞,几乎家家院内是繁花,戸戸門外有清流。
例(4)の二つの語句は周恩来総理の生前の功績と死後の願望を称えたもので、周恩来の革命のため、人民のため献身的に力を尽くし、死ぬまで懸命に努力した人柄を描写したものである。例(5)は家の中庭の中と戸外の景色から、白族同胞の住宅の自然の姿を描写している。これらの語句の内容は同じ、或いはよく似ている。
対偶の一対の語句が表す意味が相対し、反対であるものを“反対”と呼ぶ。例えば:
(6) 生当為人傑,死也作鬼雄。
寧作那筆直拆断的剣,不作那弯腰屈存的鈎。
・筆直 bi3zhi2 まっすぐな
(7) 敵人害怕静若懸剣,
人民信頼您穏如磐石。
・磐石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)。
“生”と“死”、“人傑”と“鬼雄”、“筆直拆断的剣”と“弯腰屈存的鈎”、“敵人”と“人民”、“害怕”と“信頼”、“静若懸剣”と“穏如磐石”は互いに相対している。“反対”の対比作用はたいへん鮮明である。これはしばしば二種の相反する語句をいっしょに組合せることで、互いに引き立てあい、表現を突出させることができる。“反対”をうまく使うには、反義語をよく理解し、うまく選択しなければならない。
対偶の一対の語句の表す意味が互いに関連し互いにつながるものを“流水対”と呼ぶ。例えば:
(8) 只恨人間多疫鬼,遂使中華失棟梁。
・棟梁 dong4liang2 元々は建物の棟木と梁のことであるが、そこから転じ、一国の重任を担って立つ人のことを言う。
(9) 発展体育運動,増強人民体質。
上の二つの例の対偶句は前後の句が受け継がれ、互いに連なっている。前句と後句は因果関係にあるか、或いは前句と後句が連貫関係にある。このような対偶句は、ことばの勢いが持続され、構造は均整がとれており、声に出して読んだ時、朗朗とすらすらと読め、耳に快い。
現代漢語では二音節の詞(意味を表し、文法的に独立して運用できる最小単位)が優勢だが、単音節詞も少なくない。このことは均整のとれた句式を作るための有利な条件となる。中国語はまた声調を有する言語であり、この特徴を活かして文中の平仄を整えることにより、文の組合せのリズムを鮮明にし、耳に快く聞いて感動するものとすることができる。
対偶は現代漢語の中で幅広く活用されている。[①]
注①:対偶の歴史は古く、《尚書》、《詩経》には多くの対偶句が見られる。後に対偶形式を主とした駢儷体が生まれ、その後の文言文に影響を与えた。中国古代の格律詩も、対偶形式を採っている。
文学作品のみならず、政治論文の中にも使用され、中には文章の表題に対偶が用いられている。例えば、《関心群衆生活,注意工作方法》、《丢diu1掉幻想,準備斗争》、《放下包袱,開動机器》などがそうである。いくつかの題辞にも対偶が用いられている。例えば、“提高警,保衛祖国”、“発展経済,保障供給”などがそうである。
多くのことわざ、格言も対偶形式で作られている。例えば、“把困難留給自己,把方便譲給別人”、“霜前冷,雪后寒”、“満招損,謙受益”などがそうである。対聯も対偶句である。新年や節句の度に、或いは冠婚葬祭の際、人々は対聯を貼る習慣がある。
作家の秦牧はこう言った:
“現在我們也貼春聯,但是誰想到‘歳月逢春花遍地,人民有党勁衝天’‘躍馬横刀,万衆一心駆窮白;飛花点翠,六億双手綉山河’之類的春聯,和古代的用桃木符辟邪有什麼可以相提并論之処呢!古老的節日在新的時代里是充満着青春的光輝了。”
(今も私たちは春聯を貼るが、「歳月は春になると花を至る所に咲かせる。人民は共産党があるとその力は天を衝く」「馬を駆け武器を持ち、人々は心を一つに貧困と無知を駆逐する。飛ぶ花は緑を引き立て、六億人民は手ずから山河を縫いあげる」といった春聯が、古代に桃の木で作った護符で邪気を掃うのと同日に論じることができようとは、誰が想像したであろうか!古くからの節句は新しい時代にも青春の輝きが満ちている。)
ここからも、対偶は今日も斬新な姿形が絶えず発展していることが分かる。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年

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三 文の長短
同じ意味を、長い文で表現することも、短い文で表現することもでき、異なる文の形式にはそれぞれ異なる修辞効果がある。文の長短を文型の上から言うと、長文は一般に形体が長く、構造の複雑な文である。短文は一般に形体が短く、構造の簡単な文である。文の長短には明確な区分がある訳ではなく、あくまで相対的に言ってのことである。
(一) 長文
長文は一般に三つの表現形式があり、一つ目は修飾語の多いもの、二つ目は連合構造のもの、三つ目は分句の構造がいくつかの階層に分かれているものである。例えば:
(1) 魯迅是文化戦線上,代表全民族的大多数,向着敵人衝鋒陷陣的最正確、
最勇敢、最堅決、最忠実、最熱忱的空前的民族英雄。
・衝鋒陷陣 chong1feng1xian4zhen4 [成語]突撃をかけて敵陣を陥れる。戦いの勇ましいさま。正義のために戦うこと。
・熱忱 re4chen2 真心がこもっている
(2) 中国的革命的文学家藝術家,有出息的文学家藝術家,必須到群衆中去,
必須長期地無条件地全心全意地到工農兵群衆中去,到火熱的斗争中去,
到唯一的最広大最豊富的源泉中去,観察、体験、研究、分析一切人,
一切階級,一切群衆,一切生動的生活形式和斗争形式,一切文学和
藝術的原始材料,然后才有可能進入創作過程。
・出息 chu1xi 前途。見込み
(3) 没有問題,現階段的中国革命既然是為了変更現在的殖民地、半殖民地、
半封建社会的地位,即為了完成一個新民主主義的革命而奮斗,那麼,
在革命勝利之后,因為粛清了資本主義発展道路上的障碍物,資本主義
経済在中国社会中会有一個相当程度的発展,是可以想像得到的,也是
不足為怪的。
例(1)の賓語は複雑な修飾語である。例(2)の全文は一連の連合構造で構成されている。例(3)は幾重にも階層の重なる複文である。これらいくつかの状況が時にいっしょに結合することがある。
これらの長い文は、書面語で多用され、特に通常は政治論文、科学技術論文等の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的複雑であるため、表現上精緻で周密であるという特徴がある。例えば例(1)の中の一連の修飾語は魯迅の特徴を精緻で周密に表現している。これらの文は長いけれども、階層の振り分けが明快で、文の区切りも多いので、長文の中に短文があり、文と文の間隔は異なっているが趣があり、読んでみると文の勢いが流れるようで、読むのに骨が折れるとか言いにくいとかいう感じがしない。
(二) 短文
短文は一般に次の三つの状況にある。一つ目は簡単明瞭に事物を叙述、描写している。二つ目に口語を如実に記録している。三つ目に緊張して興奮した気持ちや断固として肯定する口ぶりを表す。例えば:
(4) 我家是佃農。祖籍広東韶关,客籍人,在湖広填四川時,遷移四川
儀隴県馬鞍場。世代為地主耕種,家境是貧苦的。和我們来往的朋友也
都是老老実実的貧苦農民。
・佃農 dian4nong2[発音に注意]小作農
・祖籍 zu1ji2 原籍
・客籍 ke4ji2 (“原籍”に対する反対語)寄寓先の戸籍
・湖広填四川 hu2guang3tian2si4chuang1 清代に広東、広西、江西、福建の住民を、戦乱が続き人口が減少していた四川に移住させた政策を言う。“湖広”というのは、当時の行政管轄単位で、広東、広西、湖南の一部、江西を統括。
(5) 六月十五那天,天熱得発了狂。太陽剛一出来,地上已経像下了火。
一些似雲非雲似霧非霧的灰气低低地浮在空中,使人覚得憋気。
一点風也没有。祥子在院子里看了看那灰紅的天,喝了瓢涼水就走出去。
・憋気 bie1qi4 息が詰まる
・瓢 piao2 [量詞](瓢箪を縦二つに割って作った)ひしゃく一杯の
(6) 剛剛吃過饅頭,小晩来了。艾艾拉住小晩的手,第一句話就是:
“羅漢銭丢diu1了!”“丢diu1就丢diu1了吧!”“気得我連飯也吃不下去!”
“那也値得生気?我看那都算不了什麼!在着能抵什麼用?
聴説你爹你媽跟東院里五奶奶去給你找主儿去了。是不是?”
“咱哪里知道那老不死的為什麼那麼愛管閑事?”“咱們這算吹了吧?”
“吹不了!”“要是人家説成了呢?”“成不了!”“為什麼?”“我不干!”
“由得了你?”“試試看!”正説着,外辺有人進来,両個快停住。
・羅漢銭 清朝康煕年間に鋳造された康煕通宝という銅銭の別称。銅の質が良く、作りが美しいことから、民間ではこれを吉祥、幸福の象徴とし、お年玉や嫁入りする娘に持たせたり、愛の証として男女で交換したりする習慣があった。
(7) 今天,這里有没有特務?你站出来!是好漢的站出来!你出来講!
凭什麼要殺死李先生?殺死了人,又不敢承認,還要誣蔑人,説什麼
“桃色事件”,設什麼共産党殺共産党,無耻啊!無耻啊!這是某集団的
無耻,恰是李先生的光栄!也是昆明人的光栄!
・誣蔑 wu1mie4 中傷する
例(4)は簡単明瞭な叙述である。例(5)は簡潔かつ洗練された景色、事物の描写である。例(6)は人物の対話で、全体が明快で、生き生きとした短文である。例(7)は演説のことばで、感情が激昂し、文は剛健で力がある。
これらの短文は、多くは口語で使われ、特に通常は文学作品の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的簡単であるため、表現は生き生きとし、明快で力強い。
特に取り上げないといけないのは、政治論文の中に短文を挿入すると、たいへん良い表現効果が期待できることである。例えば:
(8) 你們是打敗了。你們激怒了人民。人民一斉起来和你們拼命。人民
不歓喜你們,人們斥責你們,人民起来了,你們孤立了,因此你們打敗了。
(9) 我們必須向一切内行的人們(不管什麼人)学経済工作。拜他們
做老師,恭恭敬敬地学,老老実実地学。不懂就是不懂,不要装懂。
不要擺官僚架子,鑚進去,几個月,一年両年,三年五年,総可以学会的。
・架子 jia4zi 威張った態度。/官僚架子:官僚風
・鑚 zuan1 研鑽する
政治論文の中で短文を使うと、長い文がもたらす冗長なゆったりしたリズムを打ち消し、読む人に活発で生き生きとしているように感じさせる。文章の力が増し、読む人に結論がはっきりして言葉がてきぱきしている(“斬釘截鉄”zhan3ding1jie2tie3という成語がある)ように感じさせ、読んだ後、気持ちがすっきりする。したがって政治論文では多くの場所で長文と短文が組み合わせて使われる。
(三) 長文と短文の連用
長文には長文の用途があり、短文には短文の用途がある。どちらの文の形式を使うかは、表現する内容により決定される。短文は簡潔明瞭であるので、多くの人は文章や段落の開始や終わりには短文を用いたがる。なぜなら、開始が明快で分かりやすく書かれている方が、人を引き付けることができるからである。終わりが結論が明快で言葉がてきぱきしている方が、読む人に深い印象を与えることができるからである。一方、長文は含まれる意味が豊富で、叙述が周到で抜けが無く、長編の文章の中心となる内容を叙述するのに適している。一篇の文章、文章の一つの段落が単純に短文や長文ばかりで構成されるケースは稀である。思想が豊かで多彩で、感情が波乱や起伏に富むことをより良く表すため、一般に長文と短文は臨機に入り混じって使われる。例えば:
(10) 這時候,太陽従東山頭上收走了最后一片光亮、西山辺的火焼雲也
在変着顔色,先是朱紅,后是桔紅,過了一会儿,又変成了杏黄,浅黄,
最末変成灰白,接着就了。
・杏黄 xing4huang2 だいだい色
短文を出だしに持ってくると、人眼をひき、中心が突出し、読者の注意を惹き易い。中間には長文を用いると、理論や論証を周密で事細かく説明することができる。最後に短文を使うと、結びが肯定的で力強くなる。もちろんこれは一般的な状況について言っていて、あらゆる文がこうした決まり切った構造が当てはまる訳ではない。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年

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