写真は、“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)
みなさん、あけましておめでとうございます。
2012年の第1回は、沈宏非のエッセイから、“吃豆腐”(豆腐を食べる)をお届けします。
「豆腐を食べる」という表題にもかかわらず、いきなり瞿秋白が出てきて意表を突かれまずが、革命家の瞿秋白や孫文と豆腐の関係、というのも、非常に興味深いものです。それでは、読んでいきましょう。
■[1]
( ↓ クリックいただくと、中国語原文が表示されます)
・結尾 jie2wei3 終わり。最後の段階。
・従容就義 cong2rong2 jiu4yi4 従容として(落ち着き払い)、正義の為に死ぬ(敵に殺される)。
・糾葛 jiu1ge2 もつれ。もめごと。いざこざ。
・捉摸 zhuo1mo2 推し量る
・禅机 chan2ji1 禅僧が説法する時、暗示や比喩で教義を伝える秘訣。
1935年5月23日、瞿秋白は彼の臨終の絶筆である《多余的話》(余計な話)で、このように最後の結びとして言っている。
「さらば、この世の全てよ!最後に……ロシアのゴーリキーの《四十年》、《クリム・サムギンの生活》、ツルゲーネフの《ルーヂン》、トルストイの《アンナ・カレーニナ》、中国の魯迅の《阿Q正伝》、茅盾の《動揺》、曹雪芹の《紅楼夢》、皆もう一度読んでみる価値がある。中国の豆腐もたいへん美味しいものだ。世界で第一。さらば!」
4週間後、瞿秋白は福建の長汀の中山公園、涼亭の前で、高らかに《インターナショナル》を歌い、落ち着き払い、自らの命を絶った。
《紅楼夢》以外は、ゴーリキーも、ツルゲーネフも、トルストイ、そして魯迅、茅盾も、当時は皆非常に革命の象徴であった。けれども、豆腐って、最後はどうして豆腐なんだ?
「不幸にして歴史のいざこざに巻き込まれた」職業革命家、瞿秋白の当時の本当の心境は、我々の世代には推し量ることが難しいが、半新半旧の中国式の文人として、60年余り後の世で、私がここに更なる「余計な」話をしても許してもらえそうだ。そしてそれは豆腐に限ってのことだが。
瞿秋白の故郷、常州が“皮蛋豆腐”(ピータン豆腐)を出して有名である他は、私はこれまで、豆腐と瞿秋白個人、及び1931年から1935年までの中国革命の情勢についての何らかの特別な意義を考証することができなかった。けれども、私はずっとこう思っている:中国の全ての日常食品の中で、ただ豆腐だけが一種の存在主義的な性格を持っている。中国式の食事であれ、中国式の言語環境であれ、豆腐はいずれでも一種の日常的で、清貧で、ありきたりの出自の象徴で、またそれが仏門で使われることから、日常の他に幾分、禅宗の奥義の色彩が含まれる。
《菜根譚》にはこう書かれている:有尽の身躯を看破すれば、万境の塵縁自ずからやむ。 悟りて無壊の境界に入れば、一輪の心月、独り明らかなり。麦飯、豆羹の淡き滋味、箸を放つところ、歯頬にはなお香し。「鳥に心を驚かせ」「花にも涙を濺ぐ」。此に熱き肝腸を懐い、如何に領取するを得ん、冷風の月。
■[2]
・弦外之音 xian2wai4 zhi1 yin1 [成語]言外の意味。
・門客 men2ke4 昔、権勢ある家の食客。居候。取り巻き。
・方士 fang1shi4 方士。神仙の術を行う道士。
・塩鹵 yan2lu3 にがり
・煉丹 lian4dan1 道士が辰砂などを練って、不老長寿の丹薬を作ること。
・字号 zi4hao4 店名。屋号。
・演変 yan3bian4 比較的長い間に、進展変化する。
・妖里妖気 yao1liyao1qi4 あだっぽくて、淫らなさま。妖艶なさま。
やはり豆腐である。もっと想像できないのは、金聖嘆が打ち首にされる前に、「フカヒレとアワビを同時に食べると、おおよそ燕の巣の味のようになる」というようなことが言えたのだろうか。
(瞿秋白の死後)60年余りが経ち、《紅楼夢》がおそらくまだ読まれている他は、残っているのは豆腐である。誰も「中国の豆腐は、世界で第一」という言葉の言外の意味を理解することはできないだろう。正に、《多余的話》の「序に代えて」で嘆いている通りである。「我を知る者は、我が心が憂うと謂い、我を知らざる者は、我が何を求めんかと謂う。」やはりひとまず、豆腐を食おう。
一般に信じられているのは、豆腐の製法は、最も早くは、戦国時代に既に現れた(清代・汪汲の《事物原会》を参照)と言われるが、検証してみるべき記録として、漢の文帝の時代(紀元前160年頃)、淮南王・劉安(劉邦の孫)とその食客達が編纂した《淮南子》がある。《本草綱目》にまた言う:「豆腐の製法は、淮南王・劉安が始めたものである。」伝えられるところでは、豆腐はすなわち、劉安と方士達が今の安徽省寿県の八公山で大豆、にがりなどを練って丹薬を作っている時、予想外に得られた副産物であった。だから、豆腐は実は「農業副産品」や「副食」に分類すべきではなく、「薬副産品」と称されるのが正しい。
豆腐が劉安の後、間もなく「薬」の屋号から「健」の屋号の付く平民の食品に変化していったが、仔細に考えてみると、多くの中国の日常の食品の中で、豆腐は実はあまり「中国」的なものではなく、たいへん「化学」的な妖艶な物質である。劉安とその「製薬集団」は皆、儒家として死んだので、ここからは豆腐の本性の中にある種の強烈な反儒教の衝動があると断言することはできないが、古今の祭祀、儀式の中には厳格な決まりがある:すなわち、決して豆腐を用いてはならないと。
■[3]
・匪夷所思 fei3yi2 suo3 si1 [成語]一般の人の思いもよらない。常軌を逸していて、一般の人には想像もできない。
・瞠目結舌 cheng1mu4 jie2she2 [成語]目を見張り、口がきけない。呆気にとられて、ものが言えない。
・搶険 qiang3xian3 応急修理する。
・面目全非 mian4mu4 quan2fei1 [成語]様子がすっかり変わってしまう。見る影もなく変わり果てる。
・比附 bi3fu4 比べものにならないものを、強いて比べる
・顫巍巍 chan4wei1wei1 年寄りが、よろよろ歩くさま。
・不一而足 bu4yi1 er2zu2 [成語]一つだけではない。一度だけではない。
豆腐自身の誕生の過程での濃厚な化学的な雰囲気を除き、その72種類の、普通の人には思いもよらない変身の方法は、もっと人を呆気にとらせる。豆腐の製作過程は、一つ一つが驚きの連続で、先ず、石膏と豆乳が最初の親密な接触をし、本当の豆腐がまだ形成されない初期の段階で、「豆腐脳」という美味が、応急修理的に出現し、白いどろりとした液体を煮詰めていくと、表面に形成される薄い膜は、完全に姿を変えて湯葉となり、豆腐を四角に切って竹かごに並べ、一晩凍らせた後、陽の光で乾燥させれば、これは凍み豆腐(高野豆腐)になる。この他、水豆腐、干豆腐、油豆腐、黴豆腐、豆乳、豆干、臭豆腐(腐乳)……。凡そこれらから、食べ物、飲み物とは全く関係のない言葉を連想させられざるを得ない:それは「妖術」である。
豆腐が美味しいのは、それが固より清潔で、やわらかく、爽快で、滑らかであることの他、とりわけ、その本は形が無いものが様々な形になり、本は味の無いものが様々な味を吸収することができるという、この巧妙な絶技にある。
例えば、清貧な豆腐は、いつもそれを用いて、油っぽくて美味しいが、どうしようもなく俗っぽい肉と比べられ、或いは、いつもある種の曖昧な肉感を付与される。実は、四角い豆腐の外形とそのふわふわよろよろした姿を想像してみさえすれば、その淫らな意味合いは避けて通れないことが信じられるだろう。いわゆる「白きこと、玉の如し。なめらかなこと、凝脂の如し」、いわゆる「滋味は鶏豚に似たるも、鶏豚には此の美無し」と、一つだけではないのだ。
■[4]
・畢生 bi4sheng1 一生。終生。
菜食をしている者にとっては、豆腐とその様々な加工品は、肉類の最高の代用品である。精進料理の素火腿(ハム)、素鮑魚(アワビ)、素鶏、素鴨の類は、何れも豆腐で作られている。それゆえ、豆腐を食べ飽きた菜食主義者をちゃんと世話するのは、相当に難しい。道理で、香港の「功徳林」のコック長・潘義康が嘗て感慨深げにこう言ったものだ:「精進料理を作るのに、最も難しいのは、見かけが肉類と似た材料を捜すことだ」と。真に経験から出た話である。
孫中山(孫文)先生は革命家で、医師でもあったが、終生菜食を提唱した。「孫文学説」には、度々菜食の利点が述べられている。「それ、菜食は延年益寿の妙法であり、既に今日の科学家、衛生家、生理学家、医学家の共に認めるところである。中国の菜食者は、必ず豆腐を食すべし。豆腐は、実に植物中の肉料なり。この物は肉料の功あり、しかも肉料の毒無し。」
孫中山の革命思想、医学知識、及びその菜食主義の主張は、おそらく日本から来たものであろう。仏教が盛んに行われて後、歴代の天皇は皆、肉食の禁止の法令を発した。以来、明治5年になって、天皇が徳川家の手から引き継いだ、1200年の長きに亘り続いた「肉食禁止令」を解除したのは、「洋務」、つまり西洋の力を借りた近代化を行うためであった。私が推察するところ、日本の豆腐も異常に発達しているだけでなく、今日また中国という豆腐の故郷の市場を争いに来ることができるのは、おそらく歴史上の長期の肉食禁止と無関係ではあるまい。
肉感的な「豆腐脳」の他、広西・梧州には、おからで作った有名な軽食、“黴豆腐”、またの名を“広西猪肝”(豚のレバー)がある。私はこの“猪肝”を食べたことはないが、実際のところ、ある種の同性愛的な、或いは両刀使い的な匂いがする。
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
( ↑ 徳林の“素食”(精進料理))
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(新疆の羊の丸焼き)
さて、羊肉を食べることの功能は分かりましたが、それには一つ、難問があります。そう、あの独特の臭いです。この臭いに、どんな対処方法があるのでしょうか。
そして最後に、羊好きの沈宏非先生は、羊の丸焼きを注文、思う存分堪能します。
■[1]
( ↓ クリックすると、中国語原文が表示されます)
・待見 dai4jian4 好む
・臊 sao1 動物臭い。獣臭い。
・汚穢 wu1hui4 不潔である
・採擷 cai3xie2 摘み取る
“燥熱”以外に、羊肉が漢人に好まれないのは、あのきつい動物臭があるからである。上海の方言では、こうした料理の臭いのことを“羊臊臭”、「羊臭い」と言われる。
肉の供給が十分でなかった時代には、たとえ獣臭くても、鼻をつまんででも、羊肉は食べなければならなかった。それと同時に、獣臭を恐れる人たちはずっと獣臭との戦いを止めなかった。最も初期の獣臭を取り除く方法は、《呂氏春秋》によれば、「火で以てこれを制御する。時にすばやく、時にゆっくり、臊(獣臭さ)を去り膻(生臭さ)を除き、必ずこのようにして調理する」とある。
東方の羊食大国として、インド人も羊臭さを恐れる。カレーの発明は、「獣臭さを除く方法」を探究して生み出された副産物と言われる。仏教伝説では、「汚れている」ので豚は食べず、牛はシャカムニ仏の乗り物であるので、食べてはならず、ゆえに羊肉(または鶏)が主要な食肉となったようである。けれども羊肉は生臭く、調理が難しく、しばらくは食べることができなかった。シャカムニ仏はこのことを知り、内心たいへん同情し、それで人々に香りと辛味を含んだ樹木、樹皮、草の根を使って羊肉を調理するよう教え導いた。人々は、これらの調理を経た羊肉を食べて、思わず“kuri”(インド語で「たいへん美味しい」、或いは「No.1」の意味)と叫んだ。これがすなわち、カレー(curry)の由来である。
インド人より更に羊臭さを恐れる中国人は、カレーを発明はしなかったが、私たちの手には、同様に樹木、果実、樹皮、草から摘み取られた漢方薬が、しっかりと握られていた。しかしながら不幸なことに、あまりに多くの薬材が羊臭さを覆い隠すと同時に、羊肉の美味までも徹底的に封殺してしまった。この他、羊がまだ羊肉に変わる前に羊臭さを摘み取ってしまう「科学的」な方法を発明した人もいる。羊にビールを注ぎこむことで、この方法で羊臭さを大幅に弱めることができると言われる。
■[2]
・聞風喪胆 wen2feng1 sang4dan3 [成語]うわさを聞いただけで肝をつぶす。
・可貴 ke3gui4 貴ぶべき。称賛すべき。
私はずっとこう信じている:袁枚が後世の追従者の模範となることができたのは、たいへん大きな程度、彼の飲食における開放的な態度と関係がある、と。彼は《随園食単》の中で、こう書いている:「牛、羊、鹿の三つの家畜は、南方の人がふだん食べる物ではない。それゆえ調理法を知らないといけない。」彼の“雑牲単”に挙げられている羊肉のメニューは、羊の頭、蹄、煮凝りから、羊の内臓のスープ、羊肉の煮込み、羊肉の細切り炒め、更には羊肉の焼き物に到るまで、「穴をあけた胡桃を加え、生臭を取り去る」という羊肉の煮込みの「古法」を紹介しているが、全体的に見て、多くが鶏のスープ、香草、さいの目に切った筍、甘酒、胡椒、刻み葱、米酢などのありふれた味付けで、別段、特別に強力な獣臭さを除く措置も取っていない。とりわけ、称賛し難いのは、南方人として、袁枚が今日に至るも一般の南方の獣臭さを惧れる人たちが、そのうわさを聞いただけで肝をつぶすという「羊の焼き物」を記載していることである。「羊肉を大きな塊に切り、重さは五から七斤くらい、これを鉄の叉で刺し、火の上で焼く。味は果たして甘くサクサクしていて、宋の仁宗が夜中にふとこれを食べたいと思ったのも頷ける。」
■[3]
・黙黙無聞 mo4mo4 wu2wen2 [成語]名前が世に知られていないこと。無名であること。
・悶騒 men1sao1 見かけは沈着冷静を装っているが、内に熱い想いを包含している人。
・哨 shao4 軍隊が見張りや偵察のために設けた立哨場所。
・訛鬼食豆腐 e2 gui3shi2 dou4fu 鬼に誤って豆腐を(人間の肉と思って)食べさせる。広州の俗語で、「相手の言うことが信用できない」の意味。
羊臭さを厭がるかどうかは、確かに民族や個人の間で差があるが、羊肉が美味であるか否かについて言えば、私は、羊臭さは羊肉の分けることのできない一部であり、したがって獣臭さを除く処置は実際、あまり力を入れてやり過ぎない方が良く、ちょうど良い頃合いが良い。
しかし、「美食天国」と称され、ずっと「羊城」の美名を頂いている広州は、漢方薬を食べて育てられ、したがって獣臭さや生臭さが除き尽くされた海南の「東山羊」以外は、本物の「臭い羊」を食べようと思っても、長い間、それは天に昇るよりも難しいことだった。羊肉をメインにしているレストランも若干はあるにせよ、酒楼、食品店の林立する羊城に在っては、秘密の「見張り場所」で、人知れず「想いを内に秘めて」いるに過ぎない。どうか広州の漢人よ、少しは羊臭さにも触れてほしい。これを捧げ持つのは「鬼に豆腐を食わす」より難しいだろうから。
■[4]
・博格達 bo2ge2da2 パゴダ(pagoda)の音訳。卒塔婆、仏舎利塔のこと
・閑言砕語 xian2yan2 sui4yu3 [成語]くだらない話。
幸い、我ら中華は土地が大きく物産が豊富で、各省、市の間には少なくとも羊肉の流通上の貿易障壁は無い。私のような羊きちがいにとって、遂に雲が開き、月の明かりが見える日がやって来た。天河時代広場のそばの「博格達美食楽園」こそ、羊きちがい達の楽園である。馬肉、鹿肉、アカシカの肉は傍で待っていなさい。すぐ主題に入ろう。羊、羊のモモ肉のローストをください。羊の丸焼きとその臭いところをください。それ以外は結構。思いっきり楽しむ前に、一点覚えていてほしい:熱の力で羊肉の臭みを炙り出して後、酒はより一層羊肉のあちらの効き目を誘発することができる。年代物の紹興酒は悪くない選択だが、「博格達」のワイン・リストには、嬉しいことに、トルファン産の「楼蘭干紅」が載っている。私個人の経験では、これは最も良い国産の赤ワインである。惜しいことに産地から直接西方に輸出されるので、北京、上海、広州では見かけるのが難しい。西域の赤ワインは羊肉の最良のパートナーである。このように言うのは根拠がある:「羊を料理し牛を屠ることを、しばらくは楽しみとする。この後には当然、三百杯の酒を痛飲するのだから。」どうして豚でもなければ鶏でもないのか。原因は李白が漢人ではないからで、当然、羊臭さも恐れない。
くだらない話はさて置き、涼しい季節に入り、また、羊肉を食べるのに良い季節となった。寒い夜、レストランの部屋を予約し、羊の丸焼きを一匹、羊きちがいを7、8人連れて行き、お供は「楼蘭干紅」、部屋の入口を閉め切って、ナイフを振り上げ、大いに食べよう。羊肉を食べると、あそこも元気もりもり、この楽しみは尽きることがない。
(「博格達美食楽園」の羊の丸焼き)
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
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今回は、羊を取り上げます。日本人はあまり羊を食べないので、中国に行って火鍋を食べ、街角の羊肉の串焼きを見ると、羊は中国では一般的な食べ物のように思いますが、実は中国でも、羊肉のあの独特の臭みは敬遠されるそうです。それでは、沈宏非は羊をどう考えているのでしょうか?
前半は先ず、中国文化と羊の関わり、そして羊肉の効用について、述べています。
■[1]
( ↓ クリックすると、中国語原文が表示されます)
・豕 shi3 豚
・畜 chu4 禽獣。主として家畜を指す。
・饌 zhuan4 ごちそう
・鳳毛麟角 feng4mao2 lin2jiao3 [成語]鳳凰の羽毛と麒麟の角。極めて得難い人や物のたとえ。
・天壤之別 tian1rang3 zhi1 bie2 天と地の違い
・倒数 dao4shu3 後ろから数える
・早八輩子 zao3 ba1bei4zi “八輩子”は何世代にもわたる長い時間のこと。大昔。
・羊大為美 yang2 da4 wei2 mei3 《説文解字》の説明で、「羊の大なるを“美”という」とある。
・乏善可陳 fa2shan4 ke3chen2 言うべき良いこと、優れた点が何もない
・干鳥 gan1niao3 ののしりのことば。
・楷模 kai3mo2 模範
・羊毫筆 yang2hao2bi3 白ヤギの毛を使って作った筆。羊やヤギの毛は軟らかく、墨をよく吸うので、滑らかで力強く、豊かな文字を書くことができる。
《三字経》は既に明確に私達にこう告げている:「馬牛羊、鶏犬豚、この六つの獣は、人が飼っているものである。」漢語文化の中で、“美”“鮮”“吉祥”など重要な概念が皆、羊と関係があるとしても、私はまた次の事を発見した:漢族の人間も羊を飼うが、羊を食べることはあまり好きではない、或いは、羊の肉を食べるということからは、終始、力が湧いてこない。
各地の漢族のごちそうの中で、羊肉を中心にするのは、実際、鳳の羽や麒麟の角を得ようとするようなもので、極めて珍しい。西北、東北、華北一帯の漢族住民の羊肉料理は、中原や東南沿海地域一帯よりも豊富であるが、それは主に少数民族の飲食の影響を受けたからである。資料によれば、中国には現在、羊が約2億匹おり、世界でも羊の生産大国であるが、食用の羊の開発はたいへん遅れており、現在国内の一人当たり平均の羊肉消費は2.5キロで、これと他の肉類とは天と地の違いがある。(一人当たり平均の肉の消費量は45キロで、それには鶏、アヒル、ガチョウ、豚、牛、羊が含まれる。)
これと同時に、中国の羊の牧畜業は世界の先進レベルとは大きな隔たりがあり、ヤギの平均体重は11キロしかなく、世界でも後ろから数えて二番目である。たとえ、私たちが地球上の全ての羊を食べる民族の中でも早く、大昔に既に「羊の大なるを“美”という」という確固とした道理を悟っていたにもかかわらず。
これと同時に、私たちは羊の総合開発、例えば、羊毛、羊の皮、更には羊の胎盤の物質の類に到るまで、とりたてて言うべきことが何も無く、遂には心の中でいつもこう思うようになった:こうなったら、羊を飼ったところで、どうなるものでもない。歴史上あの有名な羊飼いの孤独な姿は尚、神に忠節を誓う道徳的模範の意味があるが、羊の毛の筆もあまり使う人は多くないのだから。
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・肤浅 fu1qian3 学識や理解が浅い。不十分である。皮相的である。
羊の問題では、中国もアジアで孤立している訳ではなく、日本は更にそれを上回り、それ以上の国は無いだろう。彼の国には「羊羹」と呼ぶお菓子があるにもかかわらず、羊とは全く関係が無い。村上春樹によれば、日本は江戸幕府末期まで一匹の羊もいなかったに違いないと思われる。彼は《羊をめぐる冒険》の中でこう書いている:「今日でも、日本人は羊に対する理解が極めて浅い。要するに、歴史上から見て、羊という動物は、一度も生活面で日本人と関係を持ったことがない。羊は国によってアメリカから導入され、飼育され、そして打ち捨てられて顧みられなくなった。これが羊である。戦後、オーストラリアとニュージーランドとの間で羊毛や羊の肉が自由に輸入できるようになったので、そのため日本では羊の牧畜は利益を見込むことができなくなった。羊があまりかわいそうだと感じないのは、言ってみれば、これは日本の現代そのものであるからだ。」
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・維京人 wei2jing1 ren2 バイキング
・按部就班 an4bu4 jiu4ban1 [成語]物事を進めるのに、一定の順序に従う。段取りを踏んで事を進める。
・執着 zhi2zhuo2 執着する。
・建制 jian4zhi4 機関や軍隊の編成。行政区画などの制度。
「帝国時代」というゲームをしたことがある人なら皆知っているだろうが、北欧のバイキングであれ、モンゴル人であれ、中国人であれ、日本人であれ、イギリス人であれ、最も古い暗黒時代には、必ず村落の住民を男女に関わらず動員し、真面目に羊を捕え、飼育し、それを屠らなければならなかった。こうしてはじめて、他に遅れをとることがなくなり、他の部族から殴られることがなくなり、「地球の住民」から除籍されることがなくなる。全てがこうして一定の順序に従い盛んになり、発達してきたのである。
もちろんこれはゲームに過ぎず、あなたが歴史の原著に執着し、100%忠実な「中国」を代表するゲーマーであるなら、従順な綿羊を捕まえず放っておいて、専ら人手を組織しあの強暴なイノシシを包囲して捕えようとするだろうか。実際、漢民族は少なくとも人口の上の隆盛、発達、組織編成や制度面の進化、モデルチェンジで、豚肉の他、当然羊肉からも離れられないが、ただ私たちは羊に対する活動の重点が、千年以上にも亘って、「如何に食用の肉が不足している状況下で、羊肉を浪費することなく、しかも羊肉を食べる時に引き起こされる種々の危害を避けるか」の解決案を検討することに著しく偏ってきたのである。
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・致力 zhi4li4 力を注ぐ。努力する。
・温中去函 “温中祛寒”の間違いと思われる。“温暖中焦,祛其寒邪”のことで、“中焦”とは、脾臓、胃を指す。つまり、脾臓や胃を温め、悪寒や胃の病気を取り除くこと。
・立竿見影 li4gan1 jian4ying3 [成語]効果が直ちに現れる
社会進化の一般の規律から見ると、一つの民族の特定の食物の選択、つまり何を食べ何を食べないかということは、その民族の狩猟採集時代の栄養状況と生態環境に関係する。しかし、漢民族の情況について見ると、何を食べ何を食べないかという問題は、更に余分に、哲学的な考慮が存在する。陰陽五行の原則に対応し、羊肉は五行中の火に属し、五臓中の主たる心で、五色は赤、五味は苦に属し、五嗅は焦に属す。総じて言うと、羊は容貌は従順だが、その肉は極めて気性の激しい危険な食品なのである。
したがって、中国の歴史上、羊肉の開発に力を尽くしたのは、通常、料理人ではなく、医者であった。孫思邈は羊肉に対し最も良く研究し、羊肉はうまく使うと、大いに気や血を補い、脾臓や胃を温め、悪寒や胃病を除き、正を養い邪を取り除く。どうか孫医師の書いた「羊肉スープ」の処方を見てほしい。羊肉、茯苓(ぶくりょう)、黄耆(おうぎ)、生姜、甘草、独活、肉桂、人参、麦冬、生の地黄、棗(なつめ)。主に婦人の産後や病後の咳、腹痛、虚弱、風邪気味で、症状が回復しない情況を治癒する。
私が敢えてこう保証する:ご婦人がこのたいへん苦い、古方に則った羊肉スープを一碗飲めば、羊肉への辛さが必ずや自分の病気の痛さを超越するだろう。もちろん、成年男子は必ずしもそうは感じないだろうが。漢方医の指摘によれば、男性のあそこの悩みは、冬に羊肉を食べれば、しばしば強い壮陽作用が得られ、たちまち効果が現れるだろうと。
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・満目 man3mu4 目に見える限り。
・瘡痍 chuang1yi2 瘡蓋のまだできていない、口のあいた傷。創痍。
・燥熱 zao4re4 本来の意味は、乾燥した熱さ。漢方では、“燥火”ともいう。症状は、目の充血、歯の腫れ、喉の痛み、耳鳴り、鼻血、空咳、かっ血。
・暴躁 bao4zao4 怒りっぽい。苛立つ。
・挨 ai2 我慢する
・另当別論 lingdang1 bie2lun4 以前の見方や結論は正しいかどうか分からないので、もう一度別に議論しなければならない。
・血性 xue4xing4 不屈な気性。気概。
・剽悍 piao1han4 剽悍(ひょうかん)である。勇ましい。
・陡然 dou3ran2 突然に
漢民族の飲食文化は羊肉に対して慎重な態度を取ってきた。それは主に羊肉の「性甘にして、大いに熱す」(《本草綱目》)による。特に嶺南地区(つまり、広東、広西地方)の広大な肉食者について言えば、羊肉というものは、ひと口食べれば容易に「のぼせ」を生じ(漢方で言う“上火”)、人は一度のぼせると、口臭が止まらず、満身創痍となり、悪くすると、万病を引き起こすことになる。
中国人だけでなく、羊肉の大好きなイギリス人は遅くともヴィクトリア時代には羊肉の「乾いた熱さ」(“燥熱”)の道理を理解していた。《じゃじゃ馬馴らし》の中で、ペトルーキオは妻に言った:おまえに言っているんだよ、ケイト、そいつはもう焦げてしまっている。それに、医者も以前、羊肉は食べるな、と言っていた。というのも、羊肉は食べると脾臓や胃を傷つけ、気持をいらいらさせるからだ。私たち二人の気性は元々怒りっぽいのだから、やはり少々空腹を我慢して、こんな焦げた肉は食べないでいよう。」
知るは一時のことだが、食べるかどうかは別の問題だ。まだ科学的に証明されていないが、私は、羊肉は人に“燥熱”を起こさせると同時に、食べる者に荒々しい気性をもたらす。中国の西北、東北一帯の食羊民族は、体格や体力が穀物を主食とする中原や東南沿海地域の人々よりはるかに勝っているだけでなく、性格もずっと勇ましい。
日本では、「肉食禁止令」が1200年の間続けられ、明治5年以前は、日本人は羊肉も食べなかった。しかし日本は明治維新後、突然凶暴になり、真珠湾でも「トラ、トラ、トラ」と叫びはしたが、それは決して「羊、羊、羊!」を食べたからではなく、集団で羊肉同様「荒々しい」性格を持つ牛肉を食べるようになったからである。
■[6]
・酒保 jiu3bao3 酒屋の店員
・叵耐 po3nai4 我慢ならない。許せない。
・価 jie(軽声)数詞の後につき、語調を整える
・明摆着 ming2bai3zhe 目の前に並べてあるかのように、明らかである。
荒くれ者、例えば黒旋風の李逵は、羊肉を食べ出すと尚更命知らずとなった。《水滸伝》第三十七回「及時雨は神行太保に会い、黒旋風は浪里白条と闘う」で、宋江は李逵、戴宗の二人に会うと、心から喜び、共に潯陽江の畔の「琵琶亭酒館」に行くと、飯を食った。何杯か酒を飲むと、宋江はこの時、「辣魚湯は酒の酔いを醒ますのに最も良い」と思った。魚湯(魚のスープ)が来ると、李逵は先ず宋江が「本当に美味しくない」と思っていた魚湯とスープの中の塩漬けの魚を手で直接すくい上げ、「骨もろともいっしょに噛み砕いて食べてしまった。」その後、「ちゃんと羊肉だけ売るよ、牛肉は売らないよ」と呼ばわっていたその店の店員に怒って言った:「こんな無礼は許せない。騙して私に牛肉ばかり食べさせ、羊肉は売らずに私に食べさせないなんて!」羊肉がテーブルに持って来られると、「李逵はそれを見ると、何も聞かずに、大きな塊を掴んで、夢中で食べ出し、あっという間に、この三斤の羊肉は無くなってしまった。」
李逵は荒くれ者だが、このことは彼が美食家になることを妨げはしないようだ。彼は漢字の偏や旁を分解する方法を多少は知っていたようで、明らかに、“魚”に“羊”を加えると、“鮮”の字になる。
(この項続く)
【原文】沈宏非《食相報告》四川人民出版社2003年4月より翻訳
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久しぶりに、沈宏非のグルメ・エッセイを紹介したいと思います。お題は、食べ物の皮や殻について。これは、おそらく、中国人の大好きな瓜子(クワズ)、つまり西瓜やヒマワリの種を炒ったものを食べながら、着想を得たのではないかと思います。食べ物に付いている皮や殻は食べられない。かといって、これを予め剥いて売ったら、瓜子の美味しさは半減してしまうだろう。どうしてか。
それでは、以下に全文を見ていきましょう。
■[1]
( ↓ クリックすると、中国語原文が表示されます)
・脾 pi2 脾臓。
厚いものもあれば、薄いものもある。軟らかいものもあれば、硬いものもある。私たちの日常の食べ物メニューに入れられている大部分の食物には、皆外側に一層の殻がある。軟らかいものはそれを皮と呼ぶ。たとえ麦や米といった最も基本的な食物も、例外ではない。
相対的に「肉」や「核」を摂取目的とする飲食行為から言うと、皮や殻の存在は論理上の抵抗を意味している。脾臓や殻は元々、動植物が生存、或いは自らを保護するために与えられた道具である。人類の立場に立てば、皮や殻は飲食の障碍であるだけでなく、食物の一部分でもある。明らかに、こうした二面性は火の発明と調理の進歩によって決定された。人類以外の大部分の捕食者は、一部の霊長類哺乳動物と木の実を食べることを善くする鳥類を除いて、皆食物の皮や殻を取り除いたり、それを加工して食品にする技術手段を持っていない。
たとえ人類が、皮を剥き、皮や殻を加工する技術が絶えず進歩したとしても、皮や殻を持った食物は次々に現れて尽きることがない。けれども、皮や殻は文化の上でのあの反文明、或いは「非礼」の潜在意識は依然としてそれをまき散らし、消し去ることができない。正式な宴席で、あまりに多く皮や殻の付いた食物が出され、間違いなく宴席の格式を下げている。賓客が自ら手を動かして皮や殻を除くというのは、尚更避けるべきことである。自らの手で上海ガニの殻をはずすあの瞬間の愉悦については、私は嘗て「アリババが宝物の隠された洞窟を開いた」ことになぞらえたことあるが、それでも大多数の高級レストランでは、蟹の殻は慇懃に事前に取り去られている。
■[2]
・貪婪 tan1lan2 貪婪(どんらん)な。貪欲な。
・周扒皮 zhou1 ba1pi2 高玉宝の小説《半夜鶏叫》に出てくる悪徳地主で、本当の名は周春富(“扒皮”は「皮をはぐ」ことだが、「暴利をむさぼる」という意味もある)。常雇いの作男(“長工”という)は決まりでは朝は鶏が鳴くと起床して労働を始めることになっていたので、鶏の鳴き声を真似て、作男たちにまだ夜中の内から働かせた。
・喜聞楽見 xi3wen2 le4jian4 [成語]喜んで見聞きする。人々に歓迎されること。
・愛不釈手 ai4 bu4 shi4shou3 [成語]大切にしていて、手放すに忍びない。
・味同嚼蝋 wei4 tong2 jiao2la4 [成語]蝋を噛むような味だ。味もそっけもない。
・乏味 fa2wei4 味気ない。面白味がない。
・咬牙切歯 yao3ya2 qie4chi3 [成語]切歯扼腕(せっしやくわん)する。恨み骨髄に徹する。
・恨不得 hen4bude 何かをしたくてならない。じれったい。もどかしい。
・齦 ken3 齧る
・血肉之躯 xue4rou4 zhi1 qu1 血の通った肉体
・逓 di4zeng1 少しずつ増やす
ピーナツ、くるみの類の値段の安いものは、市場では皮を剥いたものが高い。ピーナツは殻を剥かないといけないだけでなく、ピンク色の内側の皮も取らないといけない。私は小学校に行っていた頃、ある年、毎週木曜の午後に南京東路の有名な揚州飯店へ行って、集団労働に参加したことがある。内容は、ピーナツの皮を剥くことだった。アルバイトの熟練工の見方に立てば、ピーナツの実を一粒一粒きれいに皮を取り除くのは、利益に貢献し調理上の必要に因るというよりもむしろ、文化上の洗礼、更には割礼とさえ見るべきであろう。そして、皮を剥く、或いは殻を取り去る手段は多少、暴力的、貪欲的な色彩を帯びている。小地主の“周扒皮”は鶏の鳴き真似をして、法律で決まった仕事時間を人為的に前倒しにしたことで有名で、同時に他人の剰余価値を搾取する快感を味わった。
これに比べ、皮や殻は煮ても軟らかくならず、たとえ軟らかくなっても簡単には飲み込めず、風味については尚更問題にもならない。
殻は食べることはできないが、私たちがものを食べる時に、殻はその存在が、その存在が無くなる過程がたいへん重要な一場面に変わることがある。とりわけ、干した木の実類を食べる時がそうである。例えば、私たちが大好きで、手放すことのできない西瓜やヒマワリの種(つまり“瓜子”、クワズ)、胡桃、ピスタチオの類は、それを私たちが「美味しい」と感じるのは、その半分が殻を剥く楽しみに関係している。お店で高値で売られている殻無しの“瓜子”や胡桃の剝き身は、一つの工程を省くことができるが、食べてみると面白みに欠け、味もそっけもなく、面白味がないことといったら、まるで序言を読み終わらないうちに誰が犯人か分かってしまう推理小説のようだ。
ある人を骨の髄まで怨んでいる時、私たちは切歯扼腕して言う:「あいつの肉を食べ、血を飲み、骨を齧り、あいつの皮膚の上で寝てやりたい。」こうした表現方式は、表面上は一つの血の通った肉体を、生理構造の上から分解してやる過程と完全に一致するが、実は文明から野蛮へとだんだんと逆方向に向かっていることを表していて、絶えず積み重なっている憤慨を表わしている。
■[3]
・佛跳墻 fo2tiao4qiang2 福建名物の高級スープで、その匂いにつられ、坊さんが垣根を飛び越えて来るほど美味しい、という面白い名前が付いている。
・登基 deng1ji1 即位する。
・醇厚 chun2hou4 においや味に厚みがある。こくがある。
・魚皮花生 yu2pi2 hua1sheng1 厦門名物のスナック菓子で、ピーナツの周りに米粉の衣をまぶしてローストし、甘辛い味付けをしたもの。米粉の中に魚皮の粉末を混ぜて風味付けしたので、この名がある。
・生魚 sheng1yu2 “烏鱧”wu1li3、俗称“黒魚”と呼ばれる。ライギョ(雷魚)。
・鯇魚 huan4yu2 ソウギョ(草魚)。
私たちの飲食や調理の経験では、ある種の皮や殻は、敷いて寝ることもできれば、食べることもできる。どちらになるかは、基本的には、それらの強靭さと味によって決まるのである。
豚の皮は最もよく見る食品である。単純に豚の皮で作られた大衆化された美食といえば、先ず挙げられるのが中国北方の“肉皮凍”、皮の煮凝りである。こうしたゼラチン状の食物は、北方のレストランでは多くが前菜か、酒の当てとして出される。作り方は、豚の皮を鍋に入れてざっと煮て、それを拡げて冷ましてから細長く切り、再び調味料(塩、花椒、八角、醤油、及び葱、生姜、ニンニク等)を加えて、肉の皮が金色を帯びた赤色になるまでよく煮ればよく、後は静かに固まるのを待つ。
東坡肉(トンポー肉)に皮を加えなかったら、色彩的に肉の層の美観を損なうというのは些細な事で、それにより、口当たりのしなやかさと軟らかさの対比と、それによりもたらされる快感が失われるのは、大きな問題である。一方では豚三枚肉の上層として、豚皮はゆっくりととろ火で煮込まれながら、絶えず下層へ染み通るゼラチン質こそ、東坡肉の美味しさの重要な部分である。
明らかに、豊富なゼラチン質によって豚皮は喜ばれ、佛跳墻、フカヒレといった高級料理でも、豚皮の補佐無しには成り立たない。もちろん、王業成就後の即位式では、既に搾り取られてカスカスになった豚皮はとっくに人々の間に消えてしてしまっている。淮揚湯包(スープ入り包子)や上海生煎包(焼き小龍包)の美味しさは、尚更豚皮の煮凝りの餡の中での滅私奉公に頼っている。煮凝りの分子密度が高く、熔点が高いので、包子が十分に蒸されると、小麦粉の皮と餡が一方では豚皮のゼラチン質の一部を吸収し、同時に包子の空洞の中にこくのあるスープをかもし出す。烤乳猪(子豚の丸焼き)に至っては、食べるのはその皮の部分である。いわゆる“花皮乳猪”というのは、その表面が火で溶けているのか、それとも文化の“化”なのか、よく分からない。
広東人は皮を食べる専門家で、魚の皮についての知識があるので、その料理は“魚皮花生”に止まらない。順徳の伝統的な前菜、“爽滑魚皮”は広東人の魚皮料理の傑作である。ライギョかソウギョの皮をざっと煮て、生姜、葱を加え、生臭を消したら食卓に出せる。調味料として生姜、おろしニンニク、胡麻油、醤油、酢を加える。これをお粥に付けたら、とってもHappy!
■[4]
・口腹之欲 kou3fu4 zhi1 yu4 飲み食いに対する欲望
・植皮 zhi2pi2 皮膚の移植をする。
・無影無踪 wu2ying3 wu2zong1 [成語]影も形もない。跡形もない。
私たちは、既に殻付きの木の実を殻を剥きながら食べる楽しみについて議論したが、実は、天然の皮、殻以外に、人類は自分自身の飲み食いへの欲望や、ゲーム心理から、天然を真似て人工的、後天的な食物の皮、殻を作り、「皮を描く」仕事に従事してきた。
人為的な「皮付き」の食品とは、例えば包子、餃子、ワンタンなどである。人造の「殻付き」食品は、つまり缶詰めに他ならない。実は、大多数の缶詰めの食品は決して美味しくない。けれども、これらの不味い缶詰めを開く為、私たちはどれだけの数の奇妙な工具を発明し、改良してきたことだろうか。こうした努力の目的は、単に缶詰めを開いてその中の「内容」を得るだけであれば、説得力はおそらくまだ不十分だろう。「開ける」、「開封する」ということ以外に、この過程や儀式の中で得られる無上の楽しみも考慮に入れないといけない。
順徳の大良で始まり、西関の「文信」から広まり、盛んになった、有名なデザート、“双皮奶”は、売り物はその二層の薄い「牛乳の皮膜」である。これを作るのに、“双皮奶”の製造はたいへん煩雑である。先ずとろ火で牛乳に砂糖を加えて煮溶かし、三つの小碗の中に分けて入れる。冷却後得られる第一層は、牛乳が凝固してできた皮膜である。その後、つまようじで牛乳の皮膜の一角を持ちあげ、皮膜の下の液体の牛乳は別の大きな碗に移し、牛乳の皮膜が小さな碗の底に残るようにする。次に、割ってほぐした卵と大碗の中の牛乳を混ぜ合わせ、再び第一層の牛乳の皮膜が残っている三つの小碗に注ぎ入れ、蒸籠に入れてよく蒸すと、第二層の皮ができ、皮膚の移植手術はようやく完成である。
こうした精巧な「人造革」以外に、もう一つ、動物の殻があり、元々食べられない物だが、あくまでもそれを使ってもう一度「殻の中から外に引きずり出す」という、幾分か猛獣の真似をして獲物を捉える過程を再現している。例えば、十分な大きさのホラ貝の中をほじくり出して空にし、身を包丁で叩いて細かくし、細かく切った豚肉と様々な調味料といっしょに混ぜ合わせた餡でもう一度殻の中に詰めたものを煮て、最後に殻ごと皿に盛る。この方法がもたらす美味とその形式が呼び起こす快感は、本質的にローランド・バルテスのストリップショーとたいへん似ていて、大切なのは「如何に脱ぐか」を中心とする「脱ぐ」過程であり、一旦すっかり脱いでしまったら、その意義もそれにつれ跡形もなく消えてしまう。
■[5]
・挑逗 tiao2dou4 思わせぶりな態度をしてからかう。欲しがる物を見せてじらす。
・挑衅 tiao2xin4 挑発する。けんかを売る。
・茂 mao4 豊富でりっぱである。書籍の宣伝文句で“図文并茂”(挿絵も文章も内容豊か)という表現を使う。ここでは、これをもじっている。
・包扎 bao1za1 包む。
・企及 qi3ji2 及ぶ。
・去粗取精 qu4cu1 qu3jing1 [成語]かすを除いて精髄を取り出す
・去偽存真 qu4wei2 cun2zhen1 [成語]偽物を取り去って本物を残す
・油然 you2ran2 感情が自然にわき起こるさま。
皮や殻の先天的、或いは非先天的な存在は、食べる者に対する挑戦というより、むしろそれがこのゲームに多くの面白味を添えていると言うべきだろう。それはちょうど、魚を食べることを面倒くさがらない人は皆、魚の骨を、相手をわざとじらしているのだと思い、決して喧嘩を売っているとか、妨害しているとは考えない。それと同時に、リンゴの皮を剥くことも一つの技能となり、人に見せる絶技と成り得る。
こういう遊びの精神は、しばしばそれに関係する人に潜在意識の上で知性と感性のどちらも豊富でりっぱだという気持ちにさせる。もし「包んで、それを解く」を基本モデルとする快感体験が感性の及ぶ極致とするなら(例えばグリム兄弟の《白雪姫》の中で、こう書かれている:王様は“卵の殻を剥くように”、白雪姫の脚の絹の靴下を脱がせました)、知性の面では、皮や殻を剥いて最後に食べられる肉や身を得るこの過程が、滓を除いて精緻を取り出し、偽物を取り去り本物を残し、ここからあちらへ、表面から中へと進む認識と実践の一般法則に完全に符合していて、ある種の直線的な快感が自然とわき上がってくるのである。
経験的には、毎回正確に、皮や殻の中身は忠実に私たちの指が伸びてくるのを待っていて、「殻の外が中に入ろうとし、殻の中が外に飛び出そうとする」ような盲目的な混乱は永遠に生じ得ないとしても、認識から言うと、「剥離」の結果はしばしば虚無に向かう。銭鐘書先生のもう一つの未完の長編小説《百合心》、この題名は、フランス語の成語の“lecoeurd'artichaut”から採ったものだが、その意味は、人の心は百合の球根のように、一枚一枚剥がしていくと、最後にはただ虚無だけが残るというものだ。
皮や殻の存在は、容易に私たちにこう信じさせる:真相はいつも覆い隠されているもので、「神秘のベール」は私たち自身の手で開けることができ、そうして真相は白日の下にさらされるのだと。けれども、推理小説で名高い日本の作家、安部公房は、嘗てドブガイという典型的な有殻動物を借りてこのように書いた:「実際、こいつは本当に貝の殻のようだ。こいつを叩けば叩くほど、こいつは固く殻を閉ざし、こいつを取り出す方法は何もない。無理にこじ開けると、こいつは死んでしまうだろう。だからどんな方法もない。ただこいつが自分で口を開けるのを待つしかない。」
【原文】 沈宏非 《食相報告》 四川人民出版社 2003年4月より翻訳
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久々に、中国グルメについて、雲郷の《雲郷話食》の中から一篇、取り上げ、読んでみたいと思います。
炸醤麺(ジャージャー麺)というと、東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズのエッセイで、盛岡のジャジャ麺の話が出てきますが、本家ではどうやって作っていたか、見てみましょう。
■[1]
( ↓ クリックしてください。中国語原文が見られます)
・轡頭 pei4tou2 くつわ。くつわと手綱。
・出一口気 chu1 yi1kou3qi4 憂さ晴らしをする。“一口気”は怒りの意味。
・烈性 lie4xing4 気性が激しい。
・打賭 da3 du3 賭けをする。
□ 《三国志演義》の中で劉備が呉でこう言った:「北人は馬に乗り、南人は船に乗る。」孫権がそれを聞いて納得がいかず、直ちに馬に飛び乗ると、鞭を一撃し、手綱を放った。あたかも南人が憂さを晴らしたようで、これもちょっとした南北の争いと言えるものであった。このことから、私はまた別のことを思いついた。つまり、「南人は米を食べ、北人は小麦の麺を食べる」ということである。もちろん、このことも絶対化はできない。そうでないと、気性の激しい人は賭けを始めかねず、それもよろしくない。北京人は麺を常食しているので、私はここに《燕山麺賦》を書くこととしたのである。晋の人、束皙の著作に《餅賦》がある。実は、《餅賦》も《麺賦》である。《餅賦》に、次のような句がある。
真冬は寒さが厳しく、夜明けに会うと、鼻水が凍りつき、霜は口の外にへばりつく。飢えを満たし、寒さによる震えを解くには、熱いかけそばが最もよろしい。
“湯餅”と言っているのは、熱いタンメンのことである。言っていることの意味は、冬の早朝、寒くて鼻水が出て、吐く息が冷たい。こういう時には、一杯の熱々の汁麺を食べれば、最も飢えを凌ぎ寒さを消し去ることができる、ということである。昔の人の発想はたいへん実質的で、またたいへん庶民的である。決して朝っぱらから羊の肉のしゃぶしゃぶや、オックステール・スープを食べようとはしない。実質から出発しているから、書かれたものも良い文章となっている。いわゆる“湯餅”とは、今で言うソバである。古人の“餅”は、広く麺食のことを言う。今日でも、子供が誕生日に麺を食べることを、雅な言い方で“湯餅会”と言い、“湯麺会”とは言わないのも、同じ道理である。
■[2]
・申 shen1 上海の別称
・饞 chan2 口がいやしい。食いしん坊である。
□ 北京で生まれ育ち、長く上海に住んでいると、友人たちとよもやま話をしていると、よく昔の北京のことを聞かれ、自然と北京の食べ物の話になる。ある年、新聞に日本の小川大使が炸醤麺(ジャージャー麺)が好きだという記事が載ってから、何人かの親しい人が、「炸醤麺はどのようにして食べたらよいか」とか「炸醤麺はどのようにして作るのか」という類の質問をするようになった。そして私もしばしば炸醤麺のことを思い出すようになると、食べたくてたまらなくなる。これも「故郷の味が恋しい」と呼べるかもしれない。
■[3]
・菜碼 cai4ma3 麺類に添えたり混ぜたりする具のこと。
・麸子 fu1zi ふすま。小麦を粉にする時に出る皮のくず。
・三伏 san1fu2 夏の酷暑の期間で、初伏(夏至の後の第3の庚(かのえ)の日)、中伏(同、第4の庚の日)、末伏(立秋後の第1の庚の日)を総称して三伏と言う。或いは、三伏中の末伏の日を言う。
・醤園 jiang4yuan2 味噌や醤油の醸造元、或いは販売店。
・炒勺 chao3shao2 杓子状のフライがえし。
・咝咝 si1si1 “咝”というのは擬声語で、風を切るひゅうひゅうという音、空気が細いところを通るすうすうという音を表す。ここでは、油が煮えたぎるじゅうじゅうという音。
□ 炸醤麺は北京の人の普段の食事で、その内容は、炸醤、麺、具の三つに分けられる。炸醤は簡単に言うと肉味噌で、さいの目に切った豚肉入り、挽き肉を使ったもの、“木犀”(かき卵のこと)入りに分けられる。味噌は大豆から作った“黄醤”か、小麦のふすまから作った甜麺醤で、三伏の日に陽に晒した良い豆板醤(トウバンジャン)を使わなければならない。味噌は田舎では自分の家で作るが、北京では店から買う。例えば、名店の天源、六必居など大きな店のものなら尚更良い。味噌を炒める時は植物性の油を用い、一番良いのは胡麻油で、その次が落花生油である。鍋を火にかけ、火は強火でなければならず、黒い煙が噴き出したら、ネギ、生姜の刻んだもの、豚肉のさいの目切りか挽き肉を入れ、予め水で濃さを調整した味噌を同時に鍋に入れ、フライがえしで攪拌しながらしばらく炒めたら、鍋から出してどんぶりの中に盛る。食卓に出せば、どんぶりの中で、真ん中が味噌で、周囲は澄んだ油が覆っている。江南の“響油鱔shan4絲”(タウナギの細切りの油漬け)と同様、食卓に出した時、じゅうじゅうという音がするのが良い。油の煮えたぎる音とともに、しばし鼻を突く香りが押し寄せ、自然と皆さんの食欲を掻き立てる。
■[4]
・抻面 chen1mian4 練った小麦粉の塊りを両手で引き伸ばしながら何回も折り畳んで作った手打ちうどんのこと。“抻”とは引き伸ばすこと。“切面”(練った小麦粉を平たく延ばして切り揃えたうどん)と区別して言う。“拉面”とも言う。
・和 huo2 こねる。
・悠 you1 空中で揺り動かす。
・擰 ning2 両手で物体の両端を握って、相反する方向へひねる。ねじる。
・韌 ren4 強くてしなやかである。粘り強い。腰のある。
・掐 qia1 摘み取る。
・撈 lao1 水中からすくい上げる。
・二葷舗 er4hun1pu4 豚肉やその内臓の料理だけを商う屋台。
□ 味噌の次は麺を説明しよう。炸醤麺には“拉麺”を使わないといけない。またの名を“抻麺”と言い、俗に“大把条”と言う。捏ねた軟らかさ硬さの適当な小麦粉を使いる。まな板の上で捏ね、捏ねて一定の硬さになったら、その両端を持って、空中で引っ張りながら、上下に揺り動かし、引っ張って伸ばしたら、再び両端を併せて、揺すぶり、ねじり合わせる。このような動作を何回か繰り返し、再び併せて引っ張ると、1本が2本になり、2本が4本になる……、そして数え切れない本数になったら、腰のある、細い麺になっている。麺を湯を沸かした鍋の前に持って行き、両端を切り落とすと、麺を鍋の中に入れる。鍋の湯が湧きたったら、冷水を加える。そして再び沸騰したら、麺は湯だっている。熱い麺をすくい上げ、冷水の中で水通しし、それからどんぶりに盛る。これを麺批と呼ぶ。このような手打ち麺は、自ずと小さな飯屋や屋台で商うもので、これより大きなちゃんとしたレストランでは、炸醤麺は売らない。小さな飯屋の見習いの小僧は先ず麺を打つのを覚えた。当時は拉麺のできる人はたいへん多く、別に絶技でも何でもなかった。一般の家では、拉麺のできる人はあまりおらず、1本1本引き伸ばしたので、“小刀麺”と呼ばれた。明代の劉若愚の《酌中誌》に言う:「月初めの5日の日のお昼……過水麺(水通しした麺)にニンニクを付けて食べた。ザクロの花やヨモギの葉を眺めた。」蓋し、“過水麺”とは唐の人が言う“冷淘”であろう。もし熱い麺が好きなら、いわゆる「かま揚げ」で、直接鍋からすくい上げればよい。
■[5]
・焯 chao1 野菜をさっと茹でる。
□ 麺の他、具が必要である。つまり、何の調味料も加えず、ただ生の野菜を切っただけのきゅうりの細切り、だいこんの細切り、水で茹でたモヤシなどである。食べる時に、麺の上に肉味噌、味噌を炒めた時の油、具をかけて混ぜ合わせる。食べると麺は腰があって滑らかで、味噌は良い香りがし、具は新鮮で、美味しく、本当にその味わいは無限である。《京兆地理誌》に言う:
炸醤麺は、都・北京周辺の多くの家で食べられた。田舎に旅行で行くと、簡単な食事の中でも最も安いものであった。
最も普通の日常の食事であるので、尚更なつかしく思い出されるのだろう。飯屋の中でも、炸醤麺で有名なのは、阜成門外の通りの北側の虾米居であった。この店はうさぎの肉の干し肉でも有名だった。小さな飯屋で、屋台のような店に過ぎない。
【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月
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