のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

私の考える死後の世界

2011年12月21日 23時59分00秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#11月21日に75歳で死去した落語家、立川談志さんのお別れの会が21日、東京都千代田区のホテルで開かれた。(MSN産経ニュースより)

見出しは付けてしまったが、
談志さんからは離れた話になることをお許し頂きたく。

いうまでもなく東日本大震災があった。
たくさんの人が亡くなった今年。
談志さんもそのひとり。

ちょっと深めに、でも構えることなく、
死について語ってみたいと思う。
主に死後の世界について。

霊界とか具体的な場所としての天国とかは信じていない。
でも漠然と「天国のようなもの」は信じている。
死後の世界があるとすれば、
残された人たちの心の中にあるものだと思う。
残された人の心に残れば、それは確かに存在するということ。
そこに確かに天国はある。
そんな感じ。

具体的な話をしよう。
母方のおじいちゃんとおばあちゃんは私が成人してから亡くなった。
思い出がたくさんある。
だから亡くなっても心の中に残っている。
深く深く。
おじいちゃんもおばあちゃんも私の心の中に残っている。
確かに存在している。
骨になって墓に入ってしまったかもしれないけれど、
今も私の中に確かに「居る」のである。
子どもは三人娘。
で、私は唯一の男孫。
だから随分可愛がられた。
ふたりともある意味偏屈な人間だったかもしれないけれど、
悪い思い出は皆無。
自分が死ぬという現実はイメージしづらいことかもしれないけれど、
私が死ぬということはおじいちゃんとおばあちゃんのそばに行くこと。
そういうイメージだけはできあがっている。

私が生きる間に為し成せることがあるとすれば、
残す人の胸に思い出を作ってあげること。
楽しい思い出で満たしてあげたい。
「馬鹿ばっかやってたオヤジだったよな」
でもいいんだ。
葬式に笑いがあればそれが本望。
そして私を知る人がすべてこの世から居なくなったとき、
私は初めて成仏する。

それが私が考える死、死後の世界。
一般的な考えではないのかもしれない。
説得力のない戯れ言かもしれない。
でも私が心から信じていること。
そして私の望む死に向かう日まで、
私は精一杯生き続ける。

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