のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

「使いそうか?」よりも「自分にとってたいせつか?」---抜本的片付け、取捨の基準。

2015年11月12日 12時29分47秒 | Weblog
昨日、CDを引き取りに来てもらった。
買い取りサービス。
段ボール二箱。
思い入れのあるものは取って置いた。
それがない未来を想像しても心が痛まない。
そう思えるものだけ処分。
新たな持ち主に巡り会えればそのほうが幸せというものだ。

面白いのはね。
CDの取捨選択が「一般的な価値」とはあまり関係なかったこと。
流行に流されて勢いで買った。
けれど思い入れのないCD。
価値はあるのだろうけれど、処分の決断を迷うことはなかった。
逆に
「これは少し良い値がつくかもしれない。しめしめ・・・」
くらいの気持ちで手放せた。

105円で手に入れたCD。
欲しくて欲しくて中古でやっと見つけた。
そういうものは「一般的な価値」が低くても自分にとってはたいせつ。
保存するという決断が即座にできた。

自分にとってたいせつなものか?
それが今回の抜本的片付けにおいての主眼になっている。
抜本的というからには片付けスペースを工夫して何とか収めるというものではない。
ものを思い切って減らす。
そこを避けるわけにはいかない。

置き場所がない、と、片付かないことを足りないスペースのせいにしていた過去の自分。
自分にとってたいせつか否かを見つめてみるとね。
たいせつなもの、価値観が見えてきた。
たいせつなものは保存する。
そして本当にたいせつなもの。
驚くほど少なかった。
自分が如何にしょうもないものを大量に溜め込んでいたか。
呆れるばかりであった。

たいせつではないけれど、いつか使うかもしれないから、まあ取って置くか。
そう考えて溜め込んだもの。
使うことはごく稀であった。
そしてそういうものが増えすぎた。
あるはずなのに探しても見つからない。
結局、使いたいときには使えなかった。
そういうことが多々あった。

使うかもしれない。
それで取って置いたのにいざというときに使えない。
その馬鹿馬鹿しさに気付いた。
本当にたいせつなものだけ取って置けばいい。
それが思ったときにすぐに取り出せる。
それがものを活かすということ。
捨てるもったいなさよりも。
使えるのに使われることなく「場所の肥やし」になる。
それが真の「もったいない」ということ。
それを今回の抜本的片付けで知ることができた。

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片付けで出てきたもの

20151112片付け、そうめんの化石

そうめんの化石・・・
欲しい方、安く譲りますのでご連絡くださーい。(笑)

20151112片付け、7年前の黒ごまきなこ

賞味期限、2008年1月。
黒ごまきなこ。
個包装されて綺麗なものだったけれど。
口に入れる勇気は・・・ない・・・

20151112片付け、変色HANAE MORIタオル

HANAE MORIのタオル。
元は純白・・・だったと想像される。
そういう状態。
中身を載せるのは・・・
こんなにしてしまって、HANAE MORIに申し訳ない。
良心が咎めて・・・公開なんて・・・できません。

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あと保留中の物件。

20151112片付け、LOGOブロック

LEGOのブロック。
姉のとこの子どもたちが使ったもの。
破損、落ちそうにない汚れ。
歓迎してくれる新たな持ち主は現れそうにない。
でもねえ。
思い入れがあるからさ。
不要だからポイなんて簡単に処分と即決はできないよ。
姉に相談、返事待ち。
それも独断で決めず、子どもたちにも相談してね、と。
さて、運命や如何に?

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