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毎日何十万という俳句が詠まれ、消えていく。
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そんなことをあれこれ考えているうちに母を思い出した。
「どうや?」
母は小首を傾げて眩しそうに僕を見ている。
小首を傾げるのも眩しそうに人の顔を見るのも母の癖だが、その時は決まって不安そうな表情がプラスされている。
母の差し出した日記には下手な字で俳句が書いてある。
「褒めなくては」、「間違っても貶してはいけない」。僕も少し緊張する。
「ええんちやう」
僕の一言で一瞬にして緊張がほどける。
それから堰を切ったように自句自解が始まる。
僕は時々頷きながら半ば義務のように聞いていた。
それは母が亡くなる2008年まで続いた。
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俳句とは人と人をつなぐものではないかと思った。凡句であっても名句であっても関係がない。
一瞬に消える凡句であっても、後世に残る名句であっても俳句の『5,7,5』は人と人をつなぐ。
久しぶりに母の俳句を読んでみた。
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母の声が聞こえる。川の音が聞こえる。そこに集う孫たちの声も。
寺山修司は「「短歌は音楽だけど俳句は呼吸だと思う」と言っていた。
まさしくこの俳句は母の呼吸である。
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