いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

検察とマスコミの癒着を断ち切らない限り・・・。

2010-07-31 17:58:51 | 日記

 29日の民主党の両院議員総会を聞いたが、烏合の衆会(苦笑)だった、残念ながら本質的な議論はなかった。元々参院選挙敗因のガス抜きのための集会だからやむを得なかったかもしれないが・・・。

 民主党が政権奪取して僅か一年にも満たずに、かくも無残な姿になったのは経済音痴・菅首相の短絡的な発想(消費税アップ)に原因しているのは言うまでもない。今後も財源問題に解決策を持たない民主党は、財源問題に悩まされ続ける違いない。民主参院選挙の敗北は菅首相の短絡的消費税アップ論が大きく災いしたことは確かだろう。しかしそれは結果であって、元をたどれば『検察とマスコミによる「小沢つぶし」』に起因する、民主党議員たちの幼児性が「小沢つぶし」に抵抗する力を持っていなかったからでもある。敗北するべくして敗北したと言っていい。

 9月12日の民主党代表選挙に小沢氏自身の出馬を求める声もあるが、私は小沢氏自身の出馬はないとみる。その理由は下記の通りである。

 小沢氏の狙いは参院選に勝利して、磐石の態勢で政治改革・官僚改革のために大鉈を振るう積りだったが、予定は完全に狂ってしまった。社民、国民新党を入れてもねじれ現象は解消しない。

 小沢氏があえて火中の栗を拾ったとしても、彼の政治改革・官僚改革が実現する見込みがなくなった。仮に小沢氏が代表に選出されたとすれば、またぞろ『検察・マスコミの苛烈な「小沢一郎つぶし」』が再燃するに違いないと思うからである。小沢氏に敵対するのは、野党自民ほか、検察とそれに同調するマスゴミ(民放各TV局・識者・コメンテータなど、特に我々が視聴料を払うNHKでさえも)、獅子身中の虫(仙谷、枝野、前原氏など)など小沢氏の足をひっぱる有害寄生虫が多すぎる。いくら小沢氏が孤軍奮闘すれど、今の非力な民主党議員ではどうみても無理だ。

 残念ながら、日本は未だ民主主義は根付いていない。官僚(検察)が政治を左右している。多くの国民がそのことに気づいていない。しかも悲しいことに、民主党議員そのものがそのことを認識できていないことだ、彼らの民主主義感覚は幼稚園児並みである。

 一連の小沢氏秘書逮捕は「犯罪事実が特定されないままに」まさに検察の思惑で秘書らを逮捕拘留し、徹底した家宅捜索が行われた。だが何も出なかった。検察は、具体的な犯罪事実があろうがなかろうが、検察が検察自身の思惑で「必要と認めるときは、自ら捜査することができる」。結果として「嫌疑不充分」という美名?の下に小沢氏を起訴できなかった。しかし、それでもマスコミは小沢氏の「政治と金」という悪評を振り撒いて彼を政権の場からひきずりおろした。検察は「小沢氏を引きずり落とした」ことで検察自身の目的は達成した、勿論検察はその責任を問われることは一切ない。ましてや、民主党議員のなかには、小沢氏の足を引っ張る奴はいても、検察の不当性を非難する者は誰一人としていない。

 警察と検察の捜査の違い、

 警察は発生した事件に対する捜査であるが、検察は検察が「犯罪があると思料すれば捜査することができるところ」に最大の違いがある。検察は、具体的な犯罪事実があるかどうかは別にして、検察が「思い描いたシナリオに基ずく捜査と、取調べを行うことが可能である」。警察の捜査の結果、犯人を起訴するかどうかは検察に委ねられる。一方の検察は自ら捜査した結果にたいしても、自ら起訴不起訴の判断をする権限をも有している。

 しかも、検察は例え冤罪を生んだとしても、検察がその責任を取ることはない。既述したが、菅谷さんの冤罪事件にしても、菅谷さんは無罪を勝ち取ったものの、失われた17年間に対する検察側は誰一人として懲役刑をうけて刑務所送りになったわけではない、ただ一回だけの謝罪ですませている。せいぜい「スミマセン」で済ませるのが、検察の世界である。やりたい放題にして、責任を負わないのが検察なのである。小沢氏周辺を徹底捜査したが嫌疑不充分で起訴できなかった。だが小沢氏追い落としには成功した。一般企業なら或プロジェクトに金をかけ人員を投じて何らの成果も得られなければ何らかの評価が下される。検察の場合は検察の無謀な捜査を抑制する仕組み(法)もなければ、彼らの結果責任を問う仕組みもない。検察社会は浮世離れしているのである。

 世界の先進国のなかで、官僚(検察)の思惑で政治を動かされるのは日本くらいである。さらに醜悪なことに、検察とマスコミが一体化して政治を左右している。「職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」とは検察にとって表向きに過ぎずマスコミを悪用している・・・個人が守秘義務に反すれば罪に問われるが、「法を遵守すべき」が職務であるはずの検察が、「守秘義務」をないがしろにしているのである。 

 官房機密費がマスコミにばら撒かれていた事実が暴露された。「政治と金」問題以上に由々しき問題であるにもかかわらず、マスコミは自らの問題を糾弾することはおろか、ごく一部の報道機関が申し訳程度に報道するだけだった。彼らは小沢氏のありもしなかった「政治と金」疑惑を針小棒大に集中豪雨的に報道する一方で、自らの「官房機密費疑惑」を隠蔽している。彼らはまるでインテリやくざ、いやインテリにも値しない詐欺集団、社会の木鐸どころか、検察に癒着する蛆虫集団みたいなものである。

 民主党議員らはこの蛆虫集団に媚びを売り、検察を正面から批判する知力も胆力もない。日本の検察がかくも強気で横暴でいられるは、検察が責任を問われることがないという立場に胡坐をかいているからである。さらに虎の威を借る狐の背後にはずるいアメリカの存在があるからに違いない。

 私は小沢総理待望論者であるけれども現状のままでは如何せん、小沢氏が登場しても、同じことの繰り返し、小沢氏がぼろぼろになって再起不能になってしまうのではないかと危惧する。せめて検察とマスコミの癒着を断ち切る楔が必要である。また検察が政治を左右している現状は民主主義の根本に反しているという国会議員たちが強い信念をもち、今の司法制度を改める必要がある。

 9月の民主党代表選挙で、菅氏が続投するかどうか知らないが、菅氏に僅かばかりの良心があるならば、その片鱗をみせて欲しいとの願いを込めて「拝啓、菅総理大臣殿 (1)~(5)」を書いて、民主党のサイトに送った次第である。菅氏が小沢氏に対する非礼を詫び、小沢グループの全面協力を得て民主党が再出発することを期待してやまない。