本ブログは政治経済問題を主題にしていますが、息抜きにだじゃれでちゃかしたりしています。
今回は、kenkensyaさんの思い出話をどうぞ。
・・・・チャチャイは15歳でデビューしてから「雷小僧」と綽名されるスピードでフライ級世界王者になること2回。しかし昭和48年、若き名チャンピオン大場政夫に挑戦したときには既に30歳を超えていた。ボクシング軽量級の世界では立派なロートルに属する。大場陣営にも世界ランキング2位とはいえ盛りを過ぎたチャチャイならという油断があったかもしれない。特にこの前のタイトルマッチが世界1位のオーランド・アモレスとの激戦だっただけに余計、こういう気持ちになったのだろう。
後にチャチャイが述懐したところによると、彼は大場政夫の試合をビデオで視て「スピード、スタミナともに大場の方が自分よりも遥かに優れている。長丁場になれば必ず負ける。一発で決めるしかない」と思い、ある試合からヒントを得て、死角からの右ロングフックを長身の大場に合わせて、来る日も来る日も練習していたそうである。
そんなことは知らない大場政夫、運命の防衛戦は両国の日大講堂で幕をあけた。開始早々の1R,1分過ぎ、チャチャイ渾身の右ロングフックが大場のテンプルを直撃。大場は、もんどりうって倒れたが辛うじて立ち上がった(今ならレフリーストップになったかもしれない)。チャチャイも詰めきれず大場は虎口を脱する。
5R以降、大場は得意の左ジャブから右ストレートという自分のボクシングを展開、12R、疲れの見えてきたチャチャイをワンツーからロープに追い込み、連打につぐ連打で3度のダウンを奪って逆転KO勝ちとなった。しかし明暗を分けた両者の運命は、この瞬間からゆっくりと時を刻み始めていた。
勝利から約3週間後、大場政夫は愛車を運転していて、東京・大曲の高速道路で中央分離帯を乗り越えてトラックと正面衝突、即死してしまったのである。おそらく脳に深いダメージを受けていたに違いない(You Tubeで視ると第1Rに3発は脳に損傷を与えるようなパンチを食っている)。
皆が逆転KO劇に歓喜するときに、作家の故寺内大吉氏の発した、
「大場も1Rにダウンしてからでないと目が覚めないようじゃ、長いことないな」という言葉は今更ながらに凄い。
大場死後、空位になったフライ級チャンピオンを王座決定戦に勝って獲得し三度目の王座返り咲きを果たしたチャチャイは述べている。
「あの右ロングフックは自分のボクシング人生17年間のすべてをこめて撃ったものだ。大場があれを食っても立ち上げってきたのには驚いた」
追記(いかりや): 思いもよらない不運は誰にも降りかかる可能性がある。
プロボクシングの日本ミニマム級3位だった金光祐治はこの春、王座決定戦の激闘を10回KO勝ちで制して日本王者となった。
ところが、試合後に両者とも救急車で運ばれるという壮絶な戦いは。双方に脳出血という重大な結果を残した。相手選手は3日後になくなり、金光も引退を余儀なくされたのである。完治はしたが、脳出血を起こせばもうリンクには上がれない。新王者は25歳の若さで、「生きていく一番のものであるボクシングをうしなった。二重のショックは彼を手ひどく打ちのめした。・・・その後、金光は「競艇で再起へゴング」、新たな世界へ挑戦しようとしている。
以上、本日の東京新聞夕刊より。