【内容紹介】from Amazon
本書は1970年代に若者たちの間でベストセラーとなった高野悦子著『二十歳の原点』三部作の『二十歳の原点』新装版です。二十歳と6か月で、その生涯を自ら閉じた著者が最後に過ごした半年間を克明に綴った日記です。若さゆえのさまざまな悩みを抱え、つねに自分自身に問いかけ、自己に求め続けたその姿は、時代を超えて、私たちの胸を打たずにはいられません。痛々しいまでの純粋さとは、普遍性を持った文学的なテーマであることを思い出させてくれるはずです。
新装版は、当時の時代背景を知らない世代にも読みやすいように一部脚注を付しています。また、著者が実際に日記を綴っていた大学ノートが横書きであったことを考え、より“個人の日記”という雰囲気を感じていただくために横書きの文字組デザインに変更しています。
帯の推薦文は「やっぱり好きなんだと思う。自分が空っぽになるくらいに泣いたから。――佐藤江梨子」。
○
オイラが高校生だった時、倫理社会の教師が数冊の本を提示し、この中から一冊選んで読書感想文を書けという夏休みの宿題を出しはった。
国語の教科でもあるまいに、と鼻白みながらも書店へ行ったオイラは、新潮文庫版の『二十歳の原点』を買ってしまった。
夢多き男子高校生は、なぜか“女子大生の日記”を選んでしまうものなのです。
○
およそ30年ぶりに再読してみました。
[新装版]には脚注が付いていますが、やはり当時の時代背景をしっかり頭に入れていないとよくわからないというのが正直な感想なんだなあ。
あの時代の雰囲気というか空気感とかいうものをしっかり肌身に感じていないと、高野悦子さんの気持ちはわかりずらいんだろうな。
結局、当事者でしかわからない悩みなんだろうけど……ある意味、生真面目な性分が悪い方に傾いてしまったというか……そんな性格の人が自己探求や思想や太宰にのめり込みすぎると危険なんだな。
自由を求めるという思想にがんじがらめにされてしまうということは不自由なことではないのか? この矛盾にどう立ち向かえばいいのか!
ケセラセラ。
○
高野さんは、立命館大学のワンダーフォーゲル部に所属してはったんや!
1969年1月30日の日記に「愛宕山に雪が降った。明日、その三角点と龍ヶ岳に行ってこようと思う」という記述があって、翌日はあいにくの雨で愛宕山には行ってはらへんのであるが、今回の再読でオイラ的には登山の接点があったことが一番の驚きであった。
○
▼ 時は流れて……高野さんが通ってはった立命館大学広小路キャンパスは、現在、京都府立医科大学医学部看護学科と附属図書館になっている。
▼ 時は流れて……高野さんの憩いの店だったジャズ喫茶「しあんくれーる」は、現在、車3台分の駐車場になっている。
○
こんなことを書いても今さら詮無いことであるが……もしも高野さんが存命であったのなら、どんな人生を歩んで行きはったんやろうか? 時は流れて……万に一つ、オイラと愛宕山でバッタリということもあったかもしれないねえ。
1969年6月24日未明 国鉄(現・JR西日本)山陰本線で鉄道自殺。享年20歳。合掌。
○
「独りであること」、「未熟であること」、これが私の20歳の原点である。