山を歩いていると、唐突に墓地にバッタリ出くわすことがまれにある。
気持ちいいものではないことは確かだけれど、(昼間だから)特に怖いということもない。
そこがクリスチャンの墓地だったとしたら、(仏教徒なもんで)逆に行く機会がまったくないのでうれしかったりもする。真新しい十字架墓石群が整然と並んでいる姿は、実に美しく思われるのである。
○
以前、京都市内の某山道を歩いていた時のこと。
脇に生け垣が現れたので何気に中を覗いてみると、枝木の奥に数体の石仏が垣間見えた。
お寺さん? この中には何があるのだろう?
フツフツと好奇心が湧き出したオイラは生け垣に近付き、そこに入口と「○○苑」と書かれた看板があることを発見した。門扉などないので誰もが自由に入れるようになっている。
入ってみよう!
そのエリアに一歩足を踏み入れたオイラは、すぐさま息がつまるような圧迫感に気押された。
こ、これは一体……!?
この大量の地蔵群に近付いて子細に見てみると、各地蔵の後光部分に「水子供養」という文字が刻まれているのだった。
(゜Д゜ )(゜Д゜;)( ゜Д゜)(;゜Д゜)
水子地蔵軍団の物言わぬ訴求力に凄まじさを感じたが、この地蔵群の両サイドには分けのわからないモニュメントが数個置かれていて、それらも物言わぬ恐怖感を煽ってくるのだ。
神道、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教etc……いろいろな宗教が混ざり合ったモニュメントのようだ。
韓国なのか台湾なのか? そんな国籍不明なモニュメントもある。
これら混沌としたモニュメント群は、正気を狂わせる装置として作動しているかのようだった。ここは踏み込んではいけない禁断の場所だ。胸の早鐘が警告を発している。誰もが自由に出入りできるところも、なんだかトラップ臭がする。逃げろ!
背後に立つ旗を掲揚するポールが三本、間歇的にカタンカタンと虚ろな音を出す以外、この世の果てのような静かなる敷地内。
風が吹くと、旗を結わえる紐とポールとが当たって音がするのだ。
と、その時のオイラは思っていたのだが、……はたしてあの時、風が吹いていたのだろうか? と今は考えるのである。
○
大阪へ帰ってきてからも、○○苑の既視感めいたものがオイラの心にわだかまっていた。
あの施設のことを、どこかで見聞きしたような気がするのだ……。
やっぱり!
オイラの魔界めぐりの参考書である入江敦彦氏・著『怖いこわい京都』に載っていた。
【墓標ともモニュメントともつかぬ夥しい石柱群。大理石球を乗せた角柱には「ユダヤ キリスト イスラム教式平和祈願供養塔」と表示がある。 〈中略〉 京都は神仏混淆だが、これはちょっと過激だと思った。「佛式」「神式」「儒教式」などと書かれた他の石柱の能書きを読むうちに私の混乱はいよいよひどくなった。論理性が吹っ飛ばされてズキズキと頭が痛んだ。とにかく早くここから離れろと理性が叫ぶ。あわてて私は逃げ出した。】
入江氏は明確な場所を書いてはいないのだけれど、ほぼ100%、オイラが偶然迷い込んだ場所と一致している。
「魔界めぐり」しようという目的はないのに、突然に魔界へ入り込んでしまうという恐ろしさが「京都」にはある。
京都の魔界に魅入られし者よ、偶然といえども決してあの場所には立ち入るなかれ。幸運を祈る。
まんまんちゃんあん!