なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

まぼろしの勝軍地蔵

2015-05-28 15:16:06 | 魔界めぐり?

 瓜生山の勝軍地蔵についてインターネットで調べてみた。

 由来がよくわからない。

 南北朝時代の延文6年(1361)に勝軍地蔵堂が勧請されたという説。(誰が? どのような理由で?)
 16世紀、室町時代の山城築城の際、細川高国または六角定頼が戦勝祈願のために勧請したという説。

 たぶん、応仁の乱などの戦火で縁起を記した文献類が焼失したんでしょうね。

 疱瘡治癒に庶民からの信仰が厚かった勝軍地蔵は、宝暦12年(1762)、瓜生山山頂までは難路のため、照高院門跡の忠誉法親王によって足場のよい北白川山へ遷されたことは定説となっている。

 だが待て、しばし。
 愛宕山にも、明治時代になって廃仏毀釈がある前は勝軍地蔵が祀られていたのである。

 愛宕山の標高は瓜生山の約3倍。麓から山頂への距離も愛宕山の方が相当長い。どちらかと言えば愛宕山の勝軍地蔵を麓へ遷す方が正しい選択やったのではないだろうか?

 まあ、そんなことをすりゃ、山頂にある神社の存在理由が希薄になってしまうのであろうが、せめて小倉山の山頂程度の高さの場所に愛宕神社が遷ってくれていたら、千日詣りも楽に行けたのになあ。

 ▼ 現在、瓜生山の勝軍地蔵が安置されている禅法寺に、オイラは2013年12月29日に行っていたのであった。

 ▼ 餃子の王将・北白川店へ行く途中、瓜生山への登山ルートを探しにその辺を徘徊していたのであった。


 ▼ その時は勝軍地蔵が禅法寺に遷っていることを知らなかったので、本堂には立ち寄っなかったのだが、偶然にもその辺のお地蔵さんを写真に収めておりました。なむなむ。

 ググって画像検索してみても禅法寺の勝軍地蔵の写真は見当たらない。見せると天変地異が起こるとされる門外不出のスタンスは今も貫いてはるようだ。まぼろしのお地蔵さんである。