なのにオイラは京都へゆくの?

大阪の中年男が、京都の山に登った際の赤裸々(?)な公式日記帳やねん。
のはずが……京都・自己満足ブログとなりにけれ。

幻の真田山を探せ!

2014-09-29 06:16:40 | 真田丸

 京都の山を歩くトレーニングのために大阪の山を歩く。

 2016年のNHK大河ドラマは、真田信繁(幸村)が主人公の「真田丸」なのである。

 時代の最先端を突っ走っているオイラは、ブームが到来する前に、真田丸があった真田山へ赴くのであった。

 だが待て、しばし……。

 ▼ 真田丸の復元想像図。

 ▼ 1837年に作成された大坂の地図。

 えっ……!? 1614年の大坂冬の陣で活躍した真田丸の復元図には山は描かれてへんが、江戸期の古地図には山の絵が描かれてあるやん? どないなってんの?

 ▼ 現代の大阪には「真田山」という町名は残っているが、一般的な「山」を想起する風景はないのである。

 だが待て、しばし。

 大阪には標高4.53メートルの天保山という、れっきとした「山」があるやないですか。

 富士山も「山」なら、天保山も「山」。坂の多い真田山町周辺も、ちょいと小高い「山」と言えなくもないのであるなあ。

 9月28日(日)

 ▼ 6:39 JR玉造駅に到着。

 まずは、真田丸の東端とされる場所に鎮座している三光神社へ行ってみよう。

 ▼ 三光神社前にあるお地蔵さんの祠に寄ってみた。

 ▼ お地蔵さんの縁起には、「当時現在の三光神社高台は之を姫山と称し之より北方台地を宰相山と呼べり。豊臣の家臣真田幸村この両台地を地均して真田山と称し大阪城外部出丸となせり」と書いてある。この文章が真実やとすると、古地図に描かれた一般的「山」は元からなく、高台の台地しかなかったってことか……。

 ▼ 6:53 三光神社に到着。(上記古地図では「イナリ」と表記されている)

 ▼ 拝殿。信繁公の赤い甲冑が置いてある。


 ▼ 大阪七福神めぐりの寿老人を担う霊場でもあるので、寿老人の像が建っている。

 ▼ 寿老人の足元にネコ発見。突然、「ミャーオー、ミャーオー」と鳴き出したぞ。

 するともう一匹、「ミャーオー、ミャーオー」と鳴きはじめた。けれど姿がない。
 ▼ 拝殿の屋根の上におった!

 ▼ 寿老人ネコは木をスルリと登り、拝殿屋根ネコに近づいていった。テリトリー争いなのか、両者、鳴き声威嚇合戦である。次の展開がどうなるか、3分ほど見ていたのだけれど、この状態がずっと続いているので飽きてきたぞ。オイラは拝殿前から離れたが、鳴き声はずっと聞こえてましたよ。( ;∀;)

 ▼ 多くの神社の拝殿は南向きなのに対し、三光神社は東を向いている。大昔には生駒山が見えたんでしょうね。

 ▼ 三光神社には、真田信繁像と真田の抜け穴跡があるのだ。

 ▼ 哀しや、信繁公のお股はクモの巣だらけやった。( ゜Д゜)

 ▼ この抜け穴は大阪城に通じているとか、市内各所に出口があり、冬の陣では徳川軍を翻弄したとか、そういう話を聞いたことがある。

 ▼ 中には入れません。入り口から内部を撮影。

 ▼ 三光神社に隣接している宰相山公園。かつてオイラはここで夜桜花見をしたことがある。

 ▼ その時、真田山陸軍墓地があるのを人から教えてもらったのだが、あいにく夜桜の時は真っ暗で見通しが悪く、全貌がつかめなかったのである。


 ▼ 今日初めて陸軍墓地に入ったのだが、広い、広い。大阪の市街地とは思われぬ雰囲気が漂っているねえ。

 ▼ 納骨堂。

 ▼ 墓地の片隅、三光神社の裏にお地蔵さんが鎮座していた。なむなむ。


 ▼ 墓地に隣接する真田山小学校は、今日が運動会のようだ。

 ▼ 墓地内を横切って歩いていく人を見た。地元民は墓地の外周を歩くより、内側を斜めに抜けた方が近道になることを知っているのだ。「真田の抜け道」である。

 ▼ 7:24 心眼寺坂にやって来た。坂の右側の大阪明星学園が古地図に記された「真田山」なのだ。

 ▼ 心眼寺坂の途中にある心眼寺。真田信繁と息子大助の供養の為に建立されたお寺であるそうな。


 ▼ 心眼寺の山門から見える大阪明星学園。大昔、ここに「真田山」はあったのか? なかったのか?

 ▼ 大阪明星学園の校舎を「山」やと妄想しておこう。オイラのGPSでも、今日歩いた中でこの交差点付近が標高35mで最も高い位置でした。

 ▼ 上の交差点から西へ200mほど移動すると、信繁公が戦勝祈願しはった鎌八幡がある。

 ▼ 歩道橋の上から、「真田山」があったであろう方向(右側奥)を臨む。

 ▼ 真田山小学校も高台の上に建っているなあ。

 ▼ 真田山公園も園内に高低差あり。

 ▼ 来る11月1日にはここで天王寺真田幸村博のイベントが開催されるようだ。「赤い彗星」シャア・アズナブルのCV・池田秀一氏のトークライヴもあるぞい。

 ▼ 真田家の家紋である六文銭をあしらってある花壇。

 ▼ 背中に哀愁漂う真田山公園ネコ。

 ▼ 真田山公園裏には騎兵第四連隊の忠魂碑。

 ▼ 忠魂碑から西へ100m、弥栄神社という小さなお社がある。

 ▼ 「弥栄」というからには京都・八坂神社とゆかりがあるのであろう。参拝。

 ▼ 弥栄神社を南へ下ったあたりに、古地図ではかつて味原池という大きな池があったようである。

 ▼ この高低差が池の深さだったのか?

 ▼ 弥栄神社から南へ300m、産湯稲荷神社に到着。

 ▼ 鳥居をくぐってすぐ右手にお地蔵さんが二体並んでいる。

 ▼ おっ、これは珍しや。お地蔵さんのキツネ型はレアであるぞ……というかキツネは地蔵菩薩なのであろうか? とりあえず、なむなむ。

 ▼ 大昔、この一帯は桃の林で、景勝地であったらしい。

 ▼ 拝殿。

 ▼ 今日は墓地をさまよったので、清め塩を授与してもらう。

 ▼ 8:37 JR鶴橋駅に到着。

 ▼ 本日の歩行距離=4.2km。(↓クリックしよし)

 ▼ 「六文銭」と言えば、真田幸村よりもオイラ的には小室さんなのだ。