警察庁長官、内閣官房長官、副総理などの要職を歴任した後藤田正晴氏が、去る19日にお亡くなりになった。91歳での大往生だった。
後藤田氏といえば、警察庁長官時代に極左分子の武装闘争を徹底的に鎮圧したこと(リアルタイムで見たわけではないが)、中曽根内閣での官房長官職を賭してのペルシャ湾掃海艇反対、大島三原山噴火に際しての迅速な対応が印象に強く残っている。特に三原山噴火に当たっては中曽根総理や佐々淳行内閣安全保障室長と協力して超法規的に島民避難を敢行したことは特筆大書すべき英断だった。国内治安に関しては強硬派、対外的にはハト派として信念の人であったと思う。国民の生命を守ることに命を賭けた人生であったといえよう。私は、後藤田先生とは正反対の改憲派であり、憲法を改正して自衛隊を国軍と位置付けよという立場をとるが、後藤田先生の信念には敬意を持ってきたし、聞くべき点も多いと思っている。
ところで、後藤田先生に長年仕えた佐々淳行氏が、後藤田先生が常々語っていた役人としての心構えを「後藤田五訓」としてまとめているが、今こそ深く味わい心に刻むべき訓示であると思う。すなわち、
一、省益ヲ忘レ、国益ヲ想エ。
一、悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ。
一、勇気ヲ以テ意見具申セヨ。
一、自分ノ仕事デナイトイウ勿(なか)レ。
一、決定ガ下ッタラ従イ、命令ヲ実行セヨ。
大それた話であるが、後藤田先生と話をしてみたかった。きっと「あか~ん!!君らみたいな若いもんは戦を知らんから勇ましいことを言う」と怒られたことだろうけれど…。この機会に、回顧録『情と理』をあらためて読み返してみたい。
心よりおくやみ申し上げる次第であります。
後藤田氏といえば、警察庁長官時代に極左分子の武装闘争を徹底的に鎮圧したこと(リアルタイムで見たわけではないが)、中曽根内閣での官房長官職を賭してのペルシャ湾掃海艇反対、大島三原山噴火に際しての迅速な対応が印象に強く残っている。特に三原山噴火に当たっては中曽根総理や佐々淳行内閣安全保障室長と協力して超法規的に島民避難を敢行したことは特筆大書すべき英断だった。国内治安に関しては強硬派、対外的にはハト派として信念の人であったと思う。国民の生命を守ることに命を賭けた人生であったといえよう。私は、後藤田先生とは正反対の改憲派であり、憲法を改正して自衛隊を国軍と位置付けよという立場をとるが、後藤田先生の信念には敬意を持ってきたし、聞くべき点も多いと思っている。
ところで、後藤田先生に長年仕えた佐々淳行氏が、後藤田先生が常々語っていた役人としての心構えを「後藤田五訓」としてまとめているが、今こそ深く味わい心に刻むべき訓示であると思う。すなわち、
一、省益ヲ忘レ、国益ヲ想エ。
一、悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ。
一、勇気ヲ以テ意見具申セヨ。
一、自分ノ仕事デナイトイウ勿(なか)レ。
一、決定ガ下ッタラ従イ、命令ヲ実行セヨ。
大それた話であるが、後藤田先生と話をしてみたかった。きっと「あか~ん!!君らみたいな若いもんは戦を知らんから勇ましいことを言う」と怒られたことだろうけれど…。この機会に、回顧録『情と理』をあらためて読み返してみたい。
心よりおくやみ申し上げる次第であります。
後藤田さんが思想を超えて尊敬された方だったことが改めて痛感されました。現代という時代は、こういう信念の人が本当に少ないです。残念なことです。