猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

小泉首相「与党は『和して同ぜず』だ」―民主新代表には小沢氏有力

2006-04-06 00:21:05 | 日本論語研究会・論語
 武部自民党幹事長の二男あての違法な政治献金を示唆した根拠のない偽メール騒動を巡り、民主党の前原誠司代表が引責辞任したのは、ご承知の通りである。その後任選出は小沢一郎・菅直人両氏の一騎打ちに決定した。小泉首相は「小沢一郎前副代表がなるのではないか」との”情勢分析”を自民党幹部との会食で示したようだ。もっとも、これは、ひとり小泉首相の見方であるわけでなく、多数意見ではないかと思う。政局的な観点から言えば、古巣自民党についてよく知っている小沢氏が選挙の時に脅威になるのではないかという見方と、逆に小沢氏が自民党の古い体質を象徴していると国民に捉えられればそれが致命的な弱点になるという見方もできる。なってみないことには何とも言えないし、菅氏が選出される可能性だって十分あるのだから、余り先走ったことを言うのは慎むことにしたい。
 小泉首相が会食で述べた言葉の中では、それよりも、論語を引用して「与党は『和して同ぜず』だ」と述べたのが印象深い。民主党を念頭に「小人は同じて和せず」とも語ったらしいが、誰が代表になっても民主党は挙党体制には疑問符がつくのではないかと示唆したというわけである。
 せっかくの機会だから、「和して同ぜず」について話しておこう。これは、論語にある「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同して和ぜず」という言葉をそのまま引用したものなのだが、意味はおおよそ次のようである。「立派な人間(=君子)は、違いを尊重しあって良好な関係を保つ(=和)が、無理して同じになろうとはしない(=不同)。一方、つまらない人間(=小人)は、意見の違いを認めず無理に同じくなろうとするから(=同)、かえってつまらない争いごとになるのだ(=不和)」争いごとにならないまでも、無理して同じくなろうとすれば面従腹背というか心底では不愉快に思いながらしぶしぶ同じ意見を掲げているのだから、心の中は「和やか」からは程遠いということである。あるアメリカの中国哲学の学者が「『和』とは他人の意見にリベラルだということだ」と言っている。他人の意見にリベラルであるというのは、他人の意見をそれはそれとして尊重するということであり、リベラリズムすなわち自由主義の要諦である。真理に東洋も西洋もないのである。
 小泉首相の発言は、挑発的なのだが、直接的な表現は避けて古典を引いてさらっと言ってしまうあたりがスマートといえばスマートである。古典の素養があると何かと得をする(というとちょっと語弊があるが)。ついでながら、中国に対しても「貴国の古典である『論語』に『和して同ぜず』という言葉があるではないか。その精神で交際していきましょう」と言ってやることができれば、なかなかスマートではないかと、小泉首相が論語の言葉を引用するたびに思う。外交も「和して同ぜず」の精神でやれば品格が出てくるというものだ。



(参考過去ログ)
『論語に学ぶ外交理念―12月10日の日本論語研究会での講演のレジュメ』

(参考記事)
[民主新代表、小沢氏有力=挙党体制には疑問符-小泉首相]
 小泉純一郎首相は5日夜、都内の料理屋で与党の政調会長、国対委員長と会食した。首相は民主党代表選について「小沢一郎前副代表が(代表に)なるのではないか」と述べ、小沢氏が優勢との見方を示した。
 出席者によると、首相は自民党幹事長も経験した小沢氏に関し「全国の選挙をよく知っている」と警戒感を示した。ただ、論語を引用して「与党は『和して同せず』だ」とする一方、民主党を念頭に「小人は同して和せず」とも語った。民主党が代表選後、挙党体制を構築できるか疑問を呈したとみられる。 
(時事通信) - 4月5日23時0分更新


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