阪神淡路大震災を経験した首長さんの本だったと思うけど、震災から復興に至るまでに英雄期→ハネムーン期→幻滅期→復興期の過程を踏むそうです。今はハネムーン期から幻滅期に移りつつあるのでしょう。どの報道からも現地からは先の見えないイライラ感が伝わってきます。その一方で、東京発の変な復興未来図が部外者の僕にはとってもむなしく空虚に聞こえます。今、何が必要なのでしょうか?
「なぜ悲しい思いを…」 ローマ法王に震災を尋ねた少女(朝日新聞) - goo ニュース
「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」が、問いかけた少女に対する彼の答えでした。問いをうけ、そして、静かに答える。これこそが宗教指導者の役割なんでしょうね。明確な答えが必要なのではありません。その場しのぎではない、心にしみるような深い想いを互いに共有するプロセスこそが宗教の役割なのかもしれません。
ダライ・ラマ法王による「東日本大震災犠牲者四十九日(七七日忌)特別慰霊法要」のお知らせ
3月11日から数えて4月28日が四十九日に当たり、ダライ・ラマ法王による法要が4月29日に東京の護国寺で行われるそうです。大国づらしたしょうもない隣国がいらんこと言ってきそうですが、慰霊の祈りに対してとやかく言うのなら・・・宗教なんて全否定なんだから、言ってくるんだろうなぁ・・・。慰霊の心にイデオロギーも宗教も関係ないだろうに。次へのステップを踏むための大事なプロセスなのですよ。人の心は理屈で区切りが切れないんですよ。
両陛下が被災した北茨城市を訪問 黙礼 地元の魚味わう(朝日新聞) - goo ニュース
戦後の混乱期に昭和天皇が日本全国を巡幸されましたが、沖縄だけは出来ませんでした。過激派による皇太子明仁親王(当時)および同妃に対するテロ事件「ひめゆりの塔事件」が原因でしょう。この事件を直接体験された両陛下がどんな災害被災地にも被災民を見舞いに来られているのは偶然ではないでしょう。北茨城市大津漁港で沖合に向かい黙礼する両陛下の姿は、海と向き合って生きていかなければならない我が民族のあり方を示しています。我々は自然に対して傲慢であってはならず、生命の重さをけっして忘れてはならないのです。
『幻滅期』にこそ我々自らの力のレベルが知れて、やるべきこととできることがみえてくるのではないでしょうか。救世主など現れないし、自分はスーパーマンではないことを自覚してこそ未来が見えるってもんです。夢や希望を見ているうちはダメなんです。これまでの研究生活でもそうでした。未知の世界に取り組んで何かを得るためには、幻想を排し現実を直視してこそ可能なのです。
平成23年3月11日、我々は昭和の敗戦に匹敵する敗北を喫しました。しかし、ここで諦めては敗戦が決定なのです。地震も津波も原発事故も電力不足も人口減少も財政赤字もぜぇぇーんぶ克服してこそ失われた多くの命に報いることが出来たってことになるんです。苦難を他人のせいにしてるうちは前進がありません。
本日のお酒:銀河高原ビール + 宮崎芋焼酎 赤霧島
「なぜ悲しい思いを…」 ローマ法王に震災を尋ねた少女(朝日新聞) - goo ニュース
「悲しさは消えない。しかし、世界中の人たちがあなたたちのことを思っており、私は苦しむ日本のすべての子どもたちのために祈る」が、問いかけた少女に対する彼の答えでした。問いをうけ、そして、静かに答える。これこそが宗教指導者の役割なんでしょうね。明確な答えが必要なのではありません。その場しのぎではない、心にしみるような深い想いを互いに共有するプロセスこそが宗教の役割なのかもしれません。
ダライ・ラマ法王による「東日本大震災犠牲者四十九日(七七日忌)特別慰霊法要」のお知らせ
3月11日から数えて4月28日が四十九日に当たり、ダライ・ラマ法王による法要が4月29日に東京の護国寺で行われるそうです。大国づらしたしょうもない隣国がいらんこと言ってきそうですが、慰霊の祈りに対してとやかく言うのなら・・・宗教なんて全否定なんだから、言ってくるんだろうなぁ・・・。慰霊の心にイデオロギーも宗教も関係ないだろうに。次へのステップを踏むための大事なプロセスなのですよ。人の心は理屈で区切りが切れないんですよ。
両陛下が被災した北茨城市を訪問 黙礼 地元の魚味わう(朝日新聞) - goo ニュース
戦後の混乱期に昭和天皇が日本全国を巡幸されましたが、沖縄だけは出来ませんでした。過激派による皇太子明仁親王(当時)および同妃に対するテロ事件「ひめゆりの塔事件」が原因でしょう。この事件を直接体験された両陛下がどんな災害被災地にも被災民を見舞いに来られているのは偶然ではないでしょう。北茨城市大津漁港で沖合に向かい黙礼する両陛下の姿は、海と向き合って生きていかなければならない我が民族のあり方を示しています。我々は自然に対して傲慢であってはならず、生命の重さをけっして忘れてはならないのです。
『幻滅期』にこそ我々自らの力のレベルが知れて、やるべきこととできることがみえてくるのではないでしょうか。救世主など現れないし、自分はスーパーマンではないことを自覚してこそ未来が見えるってもんです。夢や希望を見ているうちはダメなんです。これまでの研究生活でもそうでした。未知の世界に取り組んで何かを得るためには、幻想を排し現実を直視してこそ可能なのです。
平成23年3月11日、我々は昭和の敗戦に匹敵する敗北を喫しました。しかし、ここで諦めては敗戦が決定なのです。地震も津波も原発事故も電力不足も人口減少も財政赤字もぜぇぇーんぶ克服してこそ失われた多くの命に報いることが出来たってことになるんです。苦難を他人のせいにしてるうちは前進がありません。
本日のお酒:銀河高原ビール + 宮崎芋焼酎 赤霧島