心のままに

日々の生活で感じたいろいろな事を素直にことばにして残したい。

東北へ、会津若松編

2016-05-03 14:19:10 | 楽しかったこと

   4月27日、東北新幹線で郡山まで行き、そこから盤城西線で会津若松へ。

         3時間余りかかりました。

       そこでは、短大時代に同級生だった友人とそれこそ卒業以来の何と46年ぶりの再会でした!!

          彼女は南会津の方に住んでて、マイカーで迎えに来てくれました。

     

         まずは、お昼を食べました。会津はラーメンが有名らしく朝からラーメンを食べる事も普通らしいです。

          当時と変わらぬ愛想がよく明るく元気な彼女は、自分の知り合いのお店に連れて行ってくれ

             店に入るなり元気な声で”「○○さーん、元気!!来たよー」と大将と話してました。

        ほぼ半世紀ぶりでお互い色々あったね~と、彼女は私の事を

           「う~ん、よく頑張ったね~偉かったね~」と。そんな風に言われた事が余りないので、、

              でも彼女も孫の一人を事故で亡くしたらしく今も辛いと、、

        それから私が、白虎隊の事や会津の歴史に興味があるからと言うと此処に案内してくれました。

    

      

               

     

                  

              

     私は”八重の桜”が好きで見ていたし、歴女なのでとても興味深くあれこれ見られました。

          白虎隊の中の19名の木彫りの像が祀ってありました。

            

               当時此処の洞窟を通り抜けて逃げた所だそうです、 

           当時の若者、今の私の孫世代の多くの若者が戦ったと思うと辛いですね~

       

          そこにあった自販機にも白虎隊が描かれていましたよー

              

               ドラマで有名になったこの言葉、彼女も小さい頃からいつも親たちに

                   ”なぬことはならぬのです”と言われていたと言ってましたよ。

       

           ” 御薬園”です。会津松平家の2代藩主が領民を疫病から救う為に整備し、3代藩主は朝鮮人参も試植し

                領民に広めたそうです。

               

             そして、あの戊辰戦争時は此処が新政府軍の治療所となり、明治になると容保公一家が数年間住んだそうです

 

         

                 

           

              最後に若松城に。残念ながら今年はソメイヨシノの開花が早くて、八重桜しか咲いていませんでした。

        でもどうにか桜が見られてほんとに美しかったです。

                

              通りには、はなみずき?が咲き誇ってましたよー

      やはり地元に住んでいる人に案内して貰うとひと味違う観光になり良かったです。

            最後にこの友人にホテル迄送って貰い、私が「またいつか会えたら良いね」と言うと

          「うん。まずはお互い生きていようね。生きてるんだよ」と、、

             震災にも遭い、孫の死、ご主人様の病気と彼女も色々経験したから出た言葉だな~と。

       観光も良かったですが、この友人との久し振りの再会も凄く意味深く良い旅でした。

          弘前編に続く。