ファイナンシャルプランナーのニュースチェック

日々のニュースをFPの視点からチェックしてコメントします

日用品に「黒」広がる 常識覆すヒット続々

2007-08-06 10:37:07 | Weblog
日用品に「黒」広がる 常識覆すヒット続々 2007年8月2日 産経夕刊
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070802/skt070802000.htm
 トイレットペーパー、まな板、綿棒…、これまで「白」が当たり前とされてきた日用品の世界にいまなぜか「黒」い商品が続々と登場。黒酢や黒ゴマなど食品の黒ブームが、身近な暮らしに広がりを見せている。

高級感
 トイレットペーパーといえば白-。そんな常識を覆して話題を呼んだのが、ポルトガルのレノヴァ社が発売した真っ黒なトイレットペーパーだ。6個1890円という価格にもかかわらず、6月に日本で発売されると数日で完売。輸入代理店によると、黒のほか赤、緑、オレンジの4色が揃うが、やはり最初に売れるのは黒だという。
 欧州の富裕層の人気を集めるそのラグジュアリー感にほれ込んだのが、東京と北九州を結ぶ航空会社、スターフライヤー。黒の機体と革張りシートで高級感を打ち出す同社にとって、「唯一手つかずだった化粧室のイメージにぴったり」(広報部)。7月限定で機内の化粧室に採用すると、乗客の反響は大きく、準備した300個はあっという間に姿を消した。

実用性
 京セラ(京都市)の「黒いまな板」は、「従来のまな板では大根や豆腐など白い食材が見えにくい」という視覚障害者の声から生まれたヒット商品だ。当初は日本点字図書館で扱っていたが、白内障を患う高齢者からも問い合わせが殺到し、6月に百貨店や量販店で販売を開始。キッチン用品でもデザインにこだわる男性客の購入も多く、これまでに約1万枚を売り上げた同社は急遽(きゅうきょ)増産態勢に入った。
 文字通り“黒の力”で一気に売り上げがアップした商品もある。口腔(こうくう)関連メーカー、ジャックス(大阪府東大阪市)の歯ブラシ「フレッシュブラック」は、白金などの微粒子を練り込んだ黒の特殊毛を使うことで水だけでも歯垢(しこう)を効果的に除去できるという。
 「白やパステルが常識の商品で、黒い歯ブラシを口に入れることに消費者は抵抗感があったのかもしれない。失敗に失敗を重ね、白い柄の部分をブラシと同じ黒に変えると、売上本数が1000倍になった」と、想定外の数字に担当の米田隆文さんは驚く。
 小林製薬も3月、若い女性向けに発売したおりもの専用シート、サラサーティ「SARA・LI・E」に、異例の黒いパッケージを採用した。「売り場では目立つのに、おりものシートとは思えない色遣いのためレジまで手に持つのが恥ずかしくない」(広報部)画期的な商品だ。

インパクト
 ドラッグストアの店頭で定番化しつつあるのが、黒い綿棒。岐阜県高山市に本社を置く平和メディクが業界初の黒い綿棒を発売したのは平成15年2月。ガーゼやマスク、脱脂綿など衛生用品を製造する同社にとって、黒はまさに異質な存在だった。
 「黒は白よりも汚れが目立つし、営業マンの話題作りにもなると企画したが、『白一色の工場に黒を持ち込むな』と反対する工場を説得するのに苦労した」と、商品開発に携わった東京営業所の片桐正英・営業部長は当時を振り返る。
 今では年間約100万個を出荷する人気ぶりに、片桐さんは「人前には出せないほど耳垢(あか)がよく見える機能に加えて、色のインパクトも大きかった」と話す。
 財団法人日本ファッション協会流行色情報センターの大野礼子さんは、「そもそも黒には、白と同様に周囲の色を引き立たせる効果がある」と指摘。黒酢や黒ゴマ、黒豆など食品の黒ブームが日用品にも広がりを見せる背景について、「プチバブルともいえる好景気もあって、日用品の分野でも黒が醸し出す洗練された高級感や存在感が好まれているのでは」と分析している。


 この黒のトイレットペーパーについては、スターフライヤー航空が採用した事が話題にもなっていたこともあり、知っていたのですが、さすがに黒の綿棒や黒のまな板があるとは知りませんでした。
 まあ、こういった個性的な商品の場合、会社の名前の宣伝をするためと思えば、多少初期コストがかかっても安い投資ですし、一旦売り出せば価格ディスカウントの波に飲まれることもないでしょうし、後は購入者がブログで宣伝してくれれば、その後も安定した売り上げが期待できそうです。
 とはいえ、私はさすがに黒のトイレットペーパーにはちょっと抵抗があるのですが…(苦笑

理想の経営者:1位は松下幸之助 全国社長アンケート

2007-08-06 10:33:44 | Weblog
理想の経営者:1位は松下幸之助 全国社長アンケート 2007年8月3日 毎日
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070803k0000m020083000c.html
 社長にとって理想の経営者は、松下電器産業を創業した故松下幸之助氏--。住友生命保険が2日発表した国内の現役社長を対象としたアンケートでこんな結果が出た。
 アンケートは今年4~6月、住友生命と取引のある全国の企業の社長約2万6000人に実施。うち1万758人分を集計した。
 2位は本田技研工業を創業した故本田宗一郎氏、3位は京セラ創業者の稲盛和夫氏で、一代で大企業を築いた経営者が上位を占めた。4位は同族企業の社長が多く挙げたと見られる「親」で、5位は日産自動車を再建したカルロス・ゴーン氏だった。このほか、明治時代の実業家の渋沢栄一や、徳川家康、江戸時代後期の米沢藩主、上杉鷹山など歴史上の人物を挙げた社長も多かった。


 ちなみに、この調査 他にも、『08年3月末の日経平均株価予想は』、『今後10年間の会社の経営状態を天気予報に例えると』、『経営者として未来へ向かって自己投資したいこと』、『未来へ向かって会社繁栄のために必要なものは』『未来へ向かって会社繁栄のために従業員に期待するものは』、『未来に向かって会社をより発展させるために必要なものは』、『未来へ向かってより一層お客さまに信頼される会社とするために必要なものは?』、『未来の日本を支える子供達に最も学んで欲しいことは』『未来への活力となる好きな言葉は』といったことを聞いているようです。
 こちらの報告書は希望すれば、最寄の支社・支部・担当営業職員に連絡することで入手することができるようです。わざわざ支社に出向くと保険の勧誘をされそうで怖い(笑)ですが、もしスミセイレディが出入りしている職場ならば、申し出てみるのも悪くないかもしれません。

スミセイ「社長アンケート」集計・分析結果 はこちら
http://www.sumitomolife.co.jp/news/070802.pdf

車内の温度は47度! 炎天下の車内に2歳児“放置”

2007-08-06 10:28:06 | Weblog
車内の温度は47度! 炎天下の車内に2歳児“放置”  2007年8月6日 産経
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070806/jkn070806001.htm
 5日午後3時5分ごろ、岡山市駅元町の駐車場で、炎天下の乗用車の中に男児(2)が1人で残されているのを通行人が発見、近くの交番に通報した。
 駆け付けた岡山西署員が窓ガラスを割り、後部座席で汗をかいてぐったりしていた男児を救出。病院に運ばれ、点滴を受けて回復した。
 同署によると、救出直後に車内の温度は47度あり、男児は30分以上も閉じ込められていたという。男児の母親(30)=岡山市=が午後3時半ごろ車に戻り、同署が事情を聴いている。
 調べでは、男児は三男で、母親は午後2時40分ごろ、駐車場に車を止め、車内に三男を残したまま長男(7)と二男(5)を連れ、近くのJR岡山駅に切符を買いに行っていた。母親は「三男が眠っていたので残した」と話しているという。
 エンジンを止めてドアをロックし、窓もすべて閉めていた。
 岡山地方気象台によると、市内は午後3時15分に33.8度の最高気温を記録した。


 私、最初にタイトルだけを見たときは、7月27日に無認可保育園で発生した幼児の痛ましい熱射病による死亡事故で、新たな事実がわかったのだと早合点したのですが、どうやら全く別の事件のようですね。
 それにしても、あの報道から10日も経っていないのに、エアコンを切って子供を車の中に放置するなんて、一体何を考えているのやら…。幸い点滴を打つ位で回復したからよかったものの、もし通行人が発見して、警察官が窓ガラスを割って救出していなければ、あの痛ましい事故の再現になりかねなかったといっても、決して言い過ぎではないと思います。
 子供を二人連れて大変だったのはわからなくもありませんが、ニュースを見ないわけでもないでしょうし、もう少し自分の言動がどんな結果をたどるか、ご自身の身にあてはめて行動して欲しいと思いますし、ホント冗談じゃないと思います!!!

その他 広島原爆絡みの記事

2007-08-06 10:24:31 | Weblog
「被爆体験伝えたい」8割…60歳代「若年被爆者」に聞く 2007年8月4日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070803i518.htm
 広島、長崎で被爆した人たちの体験継承の先細りが懸念されるなか、読売新聞社は、母親の胎内で被爆した人を含む60歳代の「若年被爆者」を対象に意識アンケートを実施した。
 70、80歳代に比べて当時の記憶が薄いとされる世代だが、8割が被爆体験や平和への思いを「伝えたい」と回答。一方、「記憶がない」とした人の約半数が、「活動したくてもできない」とのジレンマを抱える実態も浮かび上がった。
 調査は、広島大の原爆放射線医科学研究所と平和科学研究センターの協力で、6月下旬から7月中旬にかけて実施。広島、長崎両県や東京都、大阪府の被爆者団体を通じ、7都府県の500人にアンケートを配布し、61~69歳の235人(男性106人、女性128人、無回答1人)から有効回答を得た。回収率は47%。
 被爆時の記憶がある人は134人で、ない人は100人(無回答1人)。
 被爆体験を「伝えたい」は、記憶のある人で81%、ない人で80%とほぼ同じ割合。理由として、それぞれの半数以上が「核廃絶のため」「被爆者としての責務」を挙げた。
 体験を誰かに話したことがある人は152人。きっかけは「親が亡くなった」が24%と最多で、「子どもが成長した」(15%)、「退職してセカンドライフを過ごすようになった」(13%)などが続いた。
 語り部活動などで、体験継承や平和への取り組みを「すでに始めている」人は68人、「これから始めようと思っている」人は54人で、合計で約半数。取り組みの方法に「被爆者の話を聞く」を挙げた人が73人おり、記憶を補いたいという意識が表れている。
 一方、取り組みに対する悩みや苦労を尋ねたところ、「記憶が薄く、したくてもできない」とした人が81人(34%)おり、記憶のない人では約半数になった。

被爆路面電車で体験談を聞く会 児童、平和の尊さ確認 「たった一発 焼け野原に」 被爆した路面電車に 2007年8月5日 山陽
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/08/05/2007080510564173007.html
乗って被爆者から体験談を聞く会(広島平和教育研究所主催)が4日、広島市であり、児童らが62年前の惨状に耳を傾け、平和の尊さを確認した。
 原爆の被害に遭った路面電車のうち、今も運行している2両に児童や保護者ら約80人が分乗。「広島県原爆被爆教職員の会」会長の空辰男さん(79)らが体験を話した。
 空さんは「たった一発の爆弾で40万人の都市が一瞬で焼け野原になった」と原爆の恐ろしさを説明。学生が多く亡くなった付近を電車が通ると「焼けただれた学生が横たわり、寝たような状態で死んでいった」と当時の悲惨さを語った。
 広島市立宇品小6年池内美優さん(11)は「命を大切にしないといけないと思った。被爆した人の代わりに体験を語り継げるよう、もっと勉強したい」と感想を話した。
 同会は被爆体験の継承の一環として毎年開かれ19回目。

原爆の記憶を後世に 笠岡市被爆者会が「生存誌」発行 会員62人 核廃絶の願い込め 苦悩、不安つづる
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/08/05/2007080512550541022.html
 核兵器の廃絶を願い、笠岡市原爆被爆者会(筒井守会長)は、原爆が投下された広島、長崎で会員が遭遇した、悲惨な体験やその後の生活の辛苦をまとめた「被爆者生存誌」を発行した。62人の会員の“忘れられない記憶”を手記や聞き書きの形で掲載。高齢化を踏まえ、次世代への継承を願っている。
 会員減少などで被爆体験を伝える語り部活動が難しくなっていることから、被爆60年を迎えた2005年、「会員が皆亡くなったら後世に伝えるすべがない。被爆者生存の証しを本にして残そう」と編集委員会を結成。当時は兵士や学生、主婦などだった60―90代の会員の声を集め、2年がかりで完成させた。
 被爆した場所と状況、被爆後の体調、結婚についてなど10項目を設定。「焼けただれた皮膚の下からうようよ出てくるうじ虫をピンセットで取っては薬を塗った」「80歳を過ぎても広島で見た地獄図を夢に見る」「親が即死し愛情を知らずに育った」「被爆者だからといくつかの縁談が壊れた」「体調が一定しない」など、不眠不休で看病した人々の苦労や被爆による苦悩、不安などがつづられている。

原爆症の認定基準見直しへ 原爆症の認定基準見直しへ 共同通信
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200708060038.html 
安倍晋三首相は5日、広島市南区のホテルで被爆者団体の代表と懇談し、原爆症認定のあり方を「専門家の判断のもとに、見直し検討させたい」と表明した。広島市中区の平和記念公園で6日にある平和記念式典出席のため広島入りした安倍首相は、地元の被爆者7団体の代表と懇談した。安倍首相は原爆症認定基準の見直し検討の考えを示した上で、一連の原爆症認定訴訟と切り離して検討を進める考えを示した。



 その他原爆絡みの記事です。あえてコメントは載せませんが、それぞれの思いを乗せてお読み頂ければ…と思います。

「広島・長崎」原爆の複製爆発、50年前に米で検討

2007-08-06 10:21:29 | Weblog
「広島・長崎」原爆の複製爆発、50年前に米で検討 2007年8月6日 読売
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070806i101.htm?from=main1
 米エネルギー省の前身、原子力委員会が約50年前に、1945年8月に広島・長崎に投下された原爆の複製爆弾を爆発させて、被爆状況を再現する実験を検討していたことが、読売新聞が同省の公文書館から入手した当時の機密文書や書簡でわかった。
 検討は60年代初めまで続けられたが、63年に米国などが部分的核実験禁止条約に調印、地上での核実験ができなくなったこともあり、実施に至らなかった。
 広島・長崎への原爆投下時は測定技術が開発途上で、原爆の正確な威力や爆発の詳しい様子、放射線量などを十分把握できなかった。
 このため、米国は冷戦下の多数の核実験で得た知識と技術で再現爆発を測定することにより、日本の被爆者のデータと突き合わせて、核戦争や核攻撃を受けた場合の人体への放射線影響をより詳しく予測する狙いがあったようだ。
 機密文書などによると、実験はネバダ州など米西部の核実験場で行う構想で、同委員会のチャールズ・ダンハム生物医学部長の指揮で専門家チームが準備を進めた。当時の原子力委員長らにも報告された。58年4月には、生物医学部とロスアラモス国立研究所、保健当局の幹部が会合を開いて、実験の必要性や具体的内容について話し合っている。
 しかし、この会合では決定に至らず、政府内では「放射能汚染の状況まで再現できるとは限らない」などの反対論も出た。専門家チームがグレン・シーボーグ原子力委員長にあてた63年9月の書簡では、米国の同条約調印により「慎重論が増して見送られる」との見方を示している。
 複製爆弾による再現実験とは別に、米国は50年代後半から、ネバダ州の核実験場に切り妻屋根と畳の木造家屋を並べた「日本村」を作り、中性子線やガンマ線の影響を調べる「イチバン計画」を始めるなど、広島・長崎に投下した原爆の威力などを正確に把握するための実験を行っている。
 米国の核関連の文献に詳しい広島市立大広島平和研究所の高橋博子助教は「大変興味深い話だ。米国は、放射線の人体影響を詳しく把握しようとしていたことが、機密文書の記述からわかる」としている。

原爆特別視を懸念、被爆者治療せず 50年代の米公文書 2007年08月06日 朝日
http://www.asahi.com/international/update/0805/SEB200708050043.html
 原爆投下後に広島、長崎に設置された米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)をめぐり、米政府が「原爆は特別な兵器ではない」との主張が揺らぐのを避ける意図で、被爆者の治療をさせなかったことが50年代の米公文書で明らかになった。原爆投下への謝罪と受け止められることも懸念し、被爆者と他の戦災者を区別しない方針を固めていた。米国は当時の冷戦下で、非人道的と非難されて原爆が使いにくくなるのを防ごうとしていたとされ、研究者は「被爆者への対応も核戦略の中に位置づけられていた」とみている。
 朝日新聞が米国立公文書館に対し、ABCCに関する複数の公文書の閲覧を請求した。いずれも50年代に作成された当時は機密扱いで、機密期間が過ぎた80年代以降に開示対象になった。
 ABCCは被爆者を検査してデータを収集したが治療はせず、被爆者の間に批判があった。50年代になって日本の報道機関も取り上げるようになっていた。
 今回閲覧したうち、パーソンズ駐日公使が国務省北東アジア部にあてた文書(54年2月)には、治療しない理由について「ABCCには日本での医療資格がない」ことなどを列挙。さらに重要なこととして「(治療すれば)被爆者に特別な意味があり、他の兵器の被害者とは異なるという見方を支持することになる」と説明した。「原爆投下への謝罪と解釈されかねない」とも指摘した。
 また、ロバートソン極東担当国務次官補にあてた文書(同年1月)の中で、北東アジア部の担当者は米政府の公式見解として「被爆者支援の責任は負わないし、その他の爆撃による被害者と区別することはできない」と述べている。
 こうした考え方の背景について、核問題を研究する米ジョージタウン大歴史学部博士課程の樋口敏広さん(28)は「旧ソ連とにらみ合った冷戦下で、米国は原爆を使用可能な兵器と位置付ける必要があった。ABCCが被爆者を治療しなかった理由は核戦略と結びついていた」とみている。


 で、原爆を投下したアメリカが『早期に戦争を終わらせるというような人道上の理由からではなく、日本を単なる実験台としかみていなかった』証拠の報道がこの2つの記事。加害者と被害者がいれば、加害者は常に自分を正当化して、その罪を認めないものですが、この記事を読んでいても、まさにその光景が伝わってきます。

「市民と都市の連帯で核兵器廃絶」 広島「原爆の日」

2007-08-06 10:16:43 | Weblog
「市民と都市の連帯で核兵器廃絶」 広島「原爆の日」2007年08月06日 朝日
http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK200708060007.html
 広島は6日、「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式)が開かれ、参列者は原爆犠牲者を追悼した。被爆から62年。世界はいまなお核の脅威にさらされている。核保有大国の核軍縮は滞り、北朝鮮は核実験へと踏み切るなど核拡散もやまない。被爆国日本では、核武装を議論しようとする空気が醸されている。秋葉忠利市長は平和宣言で、時代遅れの指導者たちが核抑止という「力の支配」にしがみつき、被爆の実相と被爆者のメッセージに背を向けていると断じ、市民と都市が連帯し、人類の意志として核兵器廃絶を目指すと誓った。
 式典は午前8時に始まり、この1年間に死亡が確認された被爆者5221人分の氏名を記した原爆死没者名簿が、秋葉市長と2人の遺族代表の手で慰霊碑に納められた。死没者の総数は25万3008人になった。
 被爆者代表らが碑前に献花した後、原爆投下の8時15分、遺族代表の黒田由希子さん(32)=広島市東区=と、こども代表の惣田亮介(そうだ・りょうすけ)君(12)=市立天満小6年=が「平和の鐘」を鳴らし、参列者全員で1分間の黙祷(もくとう)をささげた。
 秋葉忠利市長が平和宣言を読み上げた。
 《落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪(つめ)から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き……》《辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの『地獄』でした》
 原爆炸裂(さくれつ)下で生死をさまよった人びとの想像を絶する体験に触れながら、戦後も様々な病気に襲われ、差別を受け、生きる意味を問う日々が続いたと指摘した。
 被爆の実相を詳細に述べた背景には、久間章生・前防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言し、米高官からは原爆投下正当化論があからさまに語られる世情を憂え、被爆の原点に立ち返る必要性があるとの判断がある。
 宣言はさらに、世界は市民の声で国際政治を動かそうとしていると指摘し、核廃絶に取り組む世界の諸都市の連携が広がりを見せていると強調した。
 2020年までの核廃絶を目指して行動を強める決意を示すとともに、核抑止論が席巻する米国の「核の傘」に頼る日本政府に対しては、被爆の実相と被爆者の哲学に謙虚に向き合い、世界に広める責務があるとし、米国の誤った核政策に「ノー」と言うべきだと求めた。
 最後に、原爆犠牲者と、凶弾に倒れた伊藤一長・前長崎市長に哀悼の意を示し、「核兵器のない地球を未来に残すため行動する」と誓った。
 続いて、こども代表の森展哉君(12)=市立五日市観音西小6年=と山崎菜緒さん(12)=市立東浄小6年=も「平和への誓い」を読み上げた。


 私、NHKで生中継されていた、その広島の平和記念式典を途中から見ていたのですが、いくら原爆を投下したエノラ・ゲイの搭乗者やアメリカの政府関係者が戦争を早く終わらせるために原爆を投下したという自説を強調しても、はたまた、一部の政府高官がそれに同調するような発言をしても、唯一の被爆国である日本は、絶対に加害者側の論理に屈してはならないし、60年経当が、100年経とうが、ずっと世代を超えてこの悲劇が語り継がれるべきであろうことを改めて実感しました。
 このような悲劇が日本だけでなく、世界のどこでも二度と起こらないことを心から願いながら合掌したいと思います。

日経平均続落、一時下げ幅300円超 2007年8月6日 日経

2007-08-06 10:13:03 | Weblog
日経平均続落、一時下げ幅300円超 2007年8月6日 日経
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070806NTE2INK0106082007.html
 6日の前場寄り付きの東京株式市場では日経平均株価が続落で始まった。朝方から大きく下げ、一時下げ幅は300円を超えた。米国時間3日の米株式相場が急反落したほか、外国為替市場で円相場が1ドル=117円台半ばまで上昇していることが売り材料になっている。
 東証寄り付き前の大口成り行き注文は売りが4750万株、買いが2660万株で差し引き2090万株の売り越し。市場筋によれば朝方の外資系証券会社経由の売買注文動向(株数ベース)は売り越し観測が出ていた。

 先週末にニューヨークダウが281ドルの急反落(http://www.nikkei.co.jp/news/market/20070804c8db7iaa0504.html)をして、シカゴの日経平均先物も310円近く下落(http://www.nikkei.co.jp/news/market/20070806m1d3l06)しましたので、相場の下落は避けられないと見ていましたが、予想通り相場は大幅に下落。一時期16675円まで下げたようで、10時10分現在 先週比較213円安の16766円をつけているようです。