石橋みちひろのブログ

「つながって、ささえあう社会」の実現をめざす、民主党参議院議員「石橋みちひろ」の公式ブログです。

子ども手当のつなぎ法が成立しました!

2011-03-31 23:41:08 | 活動レポート
今日、3月31日は平成22年度の最終日。今日で期限が切れる法律で明日以降の新年度も継続させなければならないものや、新年度から適用しないと国民生活に大きな影響が出る法律など、いわゆる「日切れ法案」の処理を本会議で行いました。

今日のハイライトは、子ども手当のつなぎ法案の採決。ご存じのように、子ども手当については新年度から3歳未満の子どもには7千円増額の2万円に拡充する法案を政府が提出していたわけですが、野党の反対で暗礁に。このままでは今日で子ども手当が停止になってしまい、明日からは以前の児童手当(中学生は対象にならず、額も大幅に減って、かつ所得制限付き)に戻ってしまうところだったのです。

そこで政府は、現行の子ども手当法の有効期限を6ヶ月間延長するつなぎ法案を提出。その参議院での採決が今日、行われたわけです。

まず、厚生労働委員会で採決の結果、賛成と反対が同数に。同数の場合は委員長の裁定によって賛否が決まることになっていて、民主党の津田弥太郎委員長が賛成して可決。そして何と、本会議でも賛否同数(120対120)。決着は西岡武夫議長の裁定に委ねられることとなったのです。

そして西岡議長の裁定は・・・「可(賛成)」! 子ども手当は守られたのでした!

実は、みんなの党がこのつなぎ法案に反対していて、そのまま行くと反対多数で否決だったかも知れませんでした。ところが、みんなの党の寺田典城議員が党の拘束を振り切って賛成に回り、その結果、賛否同数を確保できたわけです。子ども手当を守ってくれた寺田さんの決断に敬意を表したいと思います。

とにかく、子ども手当に対する自民党の物言いは酷い。

「百害あって一利なし」だって? 自民党は、子ども手当で本当に生活が助かっている子育て家庭や、母子家庭・父子家庭、児童福祉施設の子どもたちにも話を聞いたのでしょうか? 自民党が改悪した労働法規のおかげで非正規雇用や年収200万円以下の労働者が激増し、結婚も出来ない、子どももつくれない、子どもにいい教育を与えられないという若い世代が大量に生み出された事実をどう考えているのでしょうか?

自民党は、子ども手当、高校無償化、高速道路無償化、戸別所得補償制度を「ばら撒き4K」などと言って批判しています。つまり、子どもなんかほっとけ(自己責任で育てろ)、(高速道路料金を財源に)もっともっと道路を作らせろ、農家や農地は守らなくていい、そう言っているわけです。自民党が長期間にわたって政権にいたからこそ、少子化が進み、農地が寸断され、道路が作られまくったのも当然ですね。そういう冷たい社会をやっぱり推し進めたいわけです。

私たちは、子どもを大切にしたい、子どもをもつ親を大切にしたい、子どもと親を社会全体で応援したい、そう考えています。それが、高齢世代を含めた日本社会全体のためになるからです。半年後、もう一度子ども手当法案の採決がやってきます。その時は、さらに拡充した子ども手当法案を成立させ、若い世代が安心して子どもをつくり、育て、みんなが元気になれる社会への大きな一歩にしたいと思っています。応援して下さい!

今日で最後(インターンだより)

2011-03-31 17:05:08 | 雑記


いよいよ今日でここに来られるのも、このブログをかけるのも最後になってしまいました。
インターン生としてここに受け入れていただいてから、もう50日になろうとしています。
最初は本当にわからないことだらけで不安もいっぱいでしたが、この事務所の皆さんに助けていただきながら、なんとかここまでくることができました。こういう風に書いていると、厳しいことをやらされてきたのかなと感じる方がいらっしゃるかも知れませんが、決してそんなことはありませんでした。
毎日毎日ここに来て学べることを幸せにおもっていましたし、家族にも感心されるほど知識も増えました。短い間ではありましたが、本当に中身の濃い春休みを過ごすことができました。
心からすべての方に感謝しています。ありがとうございました! 

コメントありがとうございました!

2011-03-30 23:40:47 | 活動レポート
昨日の「被災地からの報告」に対し、早速コメントをいただきました。

まずはセーブザチルドレン・ジャパンの森田明彦さん。

ご多忙のなか、被災地の視察にお出かけいただき、限られた時間のなかで現地の難しい状況を把握いただき、さらに、その知見を直ちに政権の下でアクションに結びつけていただき、誠にありがとうございます。

これからも宜しくお願い申し上げます。


いやいや、森田さんにはこちらの方がお世話になっています。震災後、すぐに被災地入りされて、以来、避難所を回りながら子どもたちへの支援を行っています。今回、私たち「子どもの権利条約ワーキングチーム」がとりまとめた『被災した子どもたちの権利と今後の健やかな成長を守るための提言』は、森田先生をはじめとするセーブザチルドレンや他のNGO団体からの報告および提言がベースになっています。

一度、東京に戻られたと思ったらもうまた被災地におられるようです。今後とも宜しくお願いします。

続いて、たびたびコメントをいただいているD.H.さんからのコメント。

被災地への訪問ご苦労様でした。
報道されている状況とはまた違った被災地の現実がまざまざと伝わってきました。
避難所の格差がこれほどまであるのかと驚くばかりです。今回の生の声をぜひ実のある復興に生かして頂きたいと思います。


はい、何としても現地の皆さんの声を今後の政策立案にいかしたいと思っています。すでに今週、「雇用政策」「通信政策」「医療政策」「子ども政策」の4つの分野それぞれについて、民主党の特別立法チームに提案されるべき事項として担当の部門会議・調査会に提言を行いました。かなりの提言が、実際に特別立法チームや災害対策本部への提言に含まれるのではないかと期待しています。

そして最後は、我が大先輩の羽山治美・退職者の会会長からのコメント。

唐桑地区の訪問ご苦労さまでした。
今後の復興のためにご尽力してください。

はい、引き続き、がんばっていきます。気仙沼市では、私たちの仲間である内海太・民主党県会議員にお会いし、いろいろとお話を伺う機会をいただきました。そして、今後の再建・復興に向けて、中央と地方で連携し、活動を展開していくことも確認しました。私たちの財産であるこの仲間たちのネットワークを生かしながら、今後もしっかりと活動していきたいと思います。

あらためて、コメントありがとうございました!皆さんもぜひ、コメント寄せて下さいね。

残り2日(インターンだより)

2011-03-30 16:34:46 | 雑記


こんにちは。今日でいよいよここでのインターンも残り2日となってしまいました。
なんだかさみしい気もしますが、明日まではそんなこと考えずに仕事をしようと思っています。
今日は朝から資料の整理などのお手伝いをさせていただきました。
資料は興味を持って読み始めたら止まらなくなってしまい、正直全然はかどりませんでした。
この状況じゃインターン終了なんてできない!! また明日も続きをして、絶対片付けようと思います!

気仙沼市唐桑での行動で感じたこと(事務所だより)

2011-03-29 23:30:57 | 雑記


3月26~28日に実施した気仙沼市唐桑地区での被災地支援行動に同行しました。
少々、長くなりますが感想を書きますので、お付き合いください。



■被災地へ行く前の不安
私たちは、27日の早朝に気仙沼市内に入りました。
東京から気仙沼に向かうまでの暖房を切った車中、様々なことが頭に浮かび不安でした。
報道されている被災地の現状、そしてそこで私に何が出来るのか・・・。
現地近くまで行って2時間半ほど、エンジンを切った状態で車中泊しましたが、ほとんど眠れませんでした。
目を閉じても、足もとや肩などに、隙間から入る空気が冷たくて、丸まって毛布の中に体全体を収めても寒くて眠りにつくことが出来なかったのです。
灯油が手に入らず、電気も復旧していない中で生活している避難所の人たちの気持ちが少しだけ分かった気がしました。

■被災地で感じたこと
“情報が入らない生活はちょっとしたことで不安をおぼえることを実感”
 携帯電話もつながらない(バッテリー切れで知人の電話番号もわからない)、新聞もテレビもない環境…。
避難所から徒歩圏内でしか移動することのできない生活の中で多くの世帯が同じ屋根の下で生活する暮らし…。
パーテションなどの仕切りもない避難所での生活…。想像出来ますか?
避難所では他の避難所から身内を探しに来た被災者を何人も見かけました。
私たちは、新聞やインターネット上での避難者一覧で情報を得ることができますが、実際避難所にいる方はそれらの手段を断たれています。一番情報を必要としている方々がです。
ここに悲しい矛盾を感じるとともに、正しい情報の伝達・手段の必要性を感じました。
避難所の掲示板には市からの情報や安否情報などが張り出されていますが、自分でそれを見に行かなければなりません。
電気が復旧している避難所の方は、他の避難所にいる友人などに連絡をとり情報を収集できる安心感はありますが、一方でさまざまな情報が入り乱れていて、混乱している様子もうかがえました。
「○日から島行きの船が出ると聞いたが、ここではそんな情報はきていない。何が本当なのか…」。そんな言葉も耳にしました。
また、ある方は「身ひとつで逃げてきたので、メガネなどなくしてしまった。ここでは横になっているだけ」と話されました。
私も目が悪く、日常はコンタクトかメガネをしています。
現場の状況を見れば、コンタクトはできません。メガネもなければ、掲示板に書かれている文字をみる気力もないですし、人の顔もよく識別できません。一人で外を歩くのも怖いでしょう。これは、物資で早急に補えるものではありません。
現地で見聞きすることで改めて感じた出来事でした。
家族の安否もわからず心細い生活…、正しい情報をきちんと伝えることが、安心につながるのだと思います。


ある女性が「くつがない。家に取りに帰ったら破れていてこの一足しかなかった」と言われました。
「全国からくつだけでなく靴下や下着もたくさん送られています」と話したところ、少々、驚かれていました。
避難所の格差なくモノがないところにきちんと届くシステムも必要です。

“漁師・大工の知恵で簡易お風呂を設置”

訪れた中学校の校庭には、このような簡易お風呂がありました。
話をきけば、このあたりは水産業が盛んであり、漁師や船を扱う人、大工など多くいたため、協力しあって作ったとのこと。お湯をためているのは、ワカメを洗うためにつかっていたものだそうで、残っていたものを運んで設置したそうです。
お風呂につかることはできませんが、日中も雪がちらつくほどの寒さが続いているなか、
温かいお湯で顔や髪を洗うことができるようになっただけで、気持ちが違うと話していました。訪れた日も、赤ちゃんが入浴し、気持ち良さそうでした。
私たちは疲れた時、「お風呂につかりたい」と思うでしょう。帰京してお風呂につかりながら、あらためて、温かいお湯がどれだけ心と体の疲れをとることができるのかを感じました。

■被災地での行動を通じて学んだこと
“ボランティアとしての礼儀学ぶ。規則正しい生活を乱してはいけない”


各避難所では、7:45朝礼→8:00朝食→12:00昼食→16:00夕食など、規則正しい生活を送っています。
また、物資担当、食事担当、掃除担当などの任務分担もきちんとされていました。
私たちが手伝った昼食用ラーメンは屋外でつくり、体育館内へ運ぶ形式をとっていました。そのため、12時に昼食をとることができた人もいれば、13時の昼食になった方もいたわけです。
途中、食事担当の方から「ご苦労様です。ところで何時ぐらいまでになりますか?」と聞かれたことで私たちはハッと気づきました。
待っている方の気持ちになって考えると、作っている状況をみることができないわけですから、
「自分は何時に食べられるのだろう」「全員に行きとどくのかな。私の分までラーメンは残っているのかしら」
と不安になるのは当たり前です。前述したとおり、情報がきちんと伝わらない環境。
避難者を不安な気持ちにさせてしまい、大変申し訳なく思いました。
ボランティアで避難所へ入る場合は、その生活リズムを崩すことはいけないと感じました。

“たくさんの感謝の気持ちに涙”
 夕方、片づけをして、車に荷物を運んでいるときのこと。
「今日は寒い中、ありがとね。ずっと外で寒かったでしょう。こんな入れ物で悪いけれど…」と湯呑に入れたコーヒーの差し入れがありました。そのコーヒーも避難所の貴重な物資です。体も心もあたたまる出来事でした。
また、「ラーメン屋さん!お昼のラーメンあたたまったよ。これ持って帰りな。ここにあってもこの人数では食べきらんし、捨てるだけだから」と現地でとれたワカメをたくさん持ってきてくれました。しかも下ゆでまでしてくれて…。ラーメン屋さんご一行が「これでわかめラーメン作ろう!」と言って、大切に持って帰ってくれました。そういう温かいお気持ちにも感謝。
最後には、体育館で避難所の皆さんから大きな拍手が送られました。「あたたかいラーメンをありがとう」と。
寒さも吹き飛ぶ避難所の方々の気持ちの温かさにつつまれ、被災地を後にしました。

■被災地を後にするときに感じたこと

▲北海道から来た物資提供のトラックにはたくさんのメッセージが書かれていました(一部紹介)

帰りの車中、いろいろなことを考えました。地震や台風など自然災害が多いこの国では、私たちの誰もが被災者となる可能性があります。
今回の行動では、地域全体で取り組むことや、地域の人と人とのつながりや支えが重要であることも改めて感じました。
また、さまざまな職業の人たちが、いろいろな形でボランティア活動されている場面も目にしました。人の役に立ちたいと思っている人がたくさんいるのです。
ラーメン屋さんは最後に「みなさんだけにつらい思いをさせません。東京にも仲間がいることを忘れないでください。僕も東京で募金活動したり、このようなボランティアに参加したり、協力します」とメッセージを送りました。
まさにその通りです。地域の外にも、被災地を支援したいというボランティアが大勢いること、今後の再建・復興に向けては地域を問わずみんなで協力していかなければならないことを強く強く感じました。