ひょーけつの霊パ考察+@

ゴーストタイプ統一。時々その他趣味の話だとか

僕らはゲーマーだった

2019-02-13 | 氷結の雑談
 観測史上最強の寒波が南下していたということで、北海道の一部地域では氷点下30度を下回るという「南極かな?」と首を傾げたくなる極寒を記録。なお、この時期の南極が丁度先日の北海道と同程度の気温です。
 一方で関西は温暖……という程ではないにしろ、日向に出れば眠気が助長されるくらいには穏やかな日が続いています。冬らしい雪景色とは暫く疎遠ですので、季節感という観点に立てば寂しいことかもしれませんが。

 どうも、ひょーけつです。
 社畜になってからは早いもので、昨年の今頃に如何過ごしていたかをよく覚えています。まあ、特筆するようなことは何もなかったのですが。それでも本当に時間の流れが早く感じます。新生活を迎えれば普通は逆だと思うんですけれど、変わり映えのしない、刺激の乏しい、心を動かすものも無い「いつも通り」の日々が連続していると一年ってこんなにも早く終わるものなのですね。これを半世紀繰り返すと思うと、そりゃ痴呆のジジババにもなってしまうわ! とか思ったり(笑)
 自分のような拘束時間の長い仕事をしていると、少し先の未来に定年を迎えて暇を余すジジイになって、そしたら何が残るのかなと考えてしまいます。下らない仕事で墨塗りされた人生を振り返ったとき、今の自分が「老害乙w」とか思っている“仕事のキャリアにしがみ付くことでしか威張れない憐れなジジイ”になるんじゃないかと。嫌ですね、そういうの。
 『テイズル・オブ・ジ・アビス』っていうゲームの中にいるキャラクターが「味のある遺跡になれるような年の取り方をしたい」と言っていました。この言葉が結構好きなんですよね。同じ歳の取り方でも、上記のようなクソジジイっていうのは謂わば廃墟みたいなものです。自分も遺跡を志したいと思います。

 『テイルズ・オブ・ジ・アビス』も自分がプレイした際にはクリアまでに70時間? くらい掛かったと思うのですが、それを一週間程でクリアしました。一日平均10時間なわけで、当時は夏休みだった気がするので別に普通のことだったのですが……今だと無理ですね(笑) 一日10時間ずつもゲームをする時間がありませんし、仮にあったとしても「休みの日は休養に充てたい」と思います。ゲームをするのは休養にならないの? と思うかもしれませんが、ならないんですよ、もう。「ゲームをする!」っていう気力がまず必要で、次に「ゲームを続ける!」っていう体力が必要です。どちらも当たり前に備わっていたもので、今は干からびているものです。
 ちょっと漠然としていて伝わらないと思うので例えてみましょう。皆さんも『ハリー・ポッター』シリーズはご存知だと思うのですが、仮に映画が無かったとして、あの分厚さと冊数のものを読もうとすると中々骨が折れると思いますし、そのハードルを越えようとする人は一定数存在して、一定数が挫折すると思います。現状、自分がゲームに対して抱いている引け腰はそんな具合です。

 題名にちなんだ話をしましょう。「ゲーマー」という言葉の範囲とはどの程度を指すのでしょうか? 自分はですが、ゲームが生活の中心である人を指すと考えています。ですので中学の頃は「俺もw ゲーマーだわw ポケモン楽しいw」みたいなイキりを発揮していました(笑) 大人のゲーマーっていうものに憧れていたんですかね。特別性みたいなものを漠然と感じていたのかもしれません。
 今改めて考えると、中学生の自分が感じていた「大人のゲーマー」ならではの特別性って、“大人なのにゲームを楽しんでいる”ことだったんだと思います。もっと表現を具体的にするならば“好きなものを楽しむことが出来る心の体力がある”でしょうか。それは素敵なことだと思いますし、少なくとも現状の僕ではなれなかった大人の姿です。

 昔話をする年齢でもありませんけれど、友達とスマブラやモンハンで遊んだり、フレンドとポケモンで日夜対戦だとか交換だとかをしたり、自分含め周りの子達がみんなゲームを楽しんでいた当時が如何に幸福な時間だったのか、社畜になってから初めて理解した気がします。
 あの頃の自分たちはゲーマーだったのでしょうね。


 随分と卑屈な内容になってしまった気がする気もしますが、何かしらの文章を書くというのは今でも残る趣味の一つです。大切にしていきたいですね。
 ではまた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿