Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

一つ一つ

2013-11-10 17:03:07 | 日々のつぶやき

この1週間は大変だったが、気づきも多かった。金曜の午後から1日半かかって排便するのにてこずった。飲み込むのもダメであれば、排泄する筋力も弱り、浣腸や下剤を使った為、急な腹痛とトイレとの往復で本人も疲れていた。

紙おむつを使用しても慣れていないのでなぜかシーツやタオルを汚し、ダラダラと出る物のまさに糞づまり状態で出そうで出ない状態が続き、出ないので勝手に下剤を飲み、腹痛を起こし、手当をせねばならず、十分な睡眠がとれなかった。

山のような洗濯物と、家じゅうが臭くなり、汚物の片づけに追われ、疲れ果てたところで、もう日曜の午前1時過ぎにやっと全部排泄し始めた。その間母がずっと付き添っていた。1週間便秘だったらしく、胃を切除したものは便秘が一番良くなく命取で医者から気を付けるように注意されていた。

ほぼ30分かけて出し終えた後、後始末とトイレ掃除を終えると、2時前で私は朝6時まで眠ることが出来なかった。

しかし、いくつかの事は原因が分かり改善出来き、希望の光が差した。

憑きものを払ってもらっても、体調が悪いと父は言う。

「そりゃここまで痩せてるから仕方ない。」と言ったものの、足取りも悪くふらついてよく転ぶのが気になっていた。

先日父を見ていて気づいた。総入れ歯なので入れ歯を洗浄液に漬けたら、口をゆすぐだけで歯茎をブラッシングする事は無い。

もしかして柔らかいブラシで歯茎や舌をブラッシングすれば、ひっきりなしに出てくる粘だ液が少しでも改善できるのではと思い、知り合いの薬局へ行くと、歯茎用のクリームとシリコンのサックの先にブラシのような小さな突起が付いた物を勧められ、頬骨の下にだ液を分泌するところがある事を教えられた。

早速、夕飯後5分くらいかけて人差指にサックを付けてブラッシングすると、効果覿面たった1度で翌朝は口の中がスッキリし、だ液の分泌も正常になった。

そして、毎晩トイレに起きるたびふらつきながら歩き倒れ、おしっこが間に合なくなっていて、入浴もままならず、私と母はダウン寸前であった。

夜中のトイレも失敗が多く、一人で行けば転び、私の睡眠も浅く、父の部屋の物音ですぐ目覚めるようになっていた。

母は風邪を引きとうとうダウン、介護認定を受け、入浴サービスを受けたいのでデイサービスを利用する事を考えた。

先日、夜中の1時過ぎ2度目のトイレに行った時ゴン!といいう大きな音がしたので、慌てていくと父はあおむけにひっくり返って起きれなくなっていた。トイレで倒れなくてよかったと思ったが、父は、

「トイレの様子が違う…。」と変な事を言う。

もしかしたら、睡眠導入剤のせいかも…。そのせいで頭がスッキリせず寝ぼけた状態では?と、

例の病院で睡眠導入剤は5ミリから10ミリに増えていたので、きついのではないだろうかと思った。 

そして皮膚科に行ってから大分足取りが悪いので皮膚科のアレルギーの薬との飲み合わせも悪いのではと気づいた。薬を一切止められても睡眠導入剤は飲んでいたみたいである。

母と相談してそれらの薬を止めさせ、父のお茶碗は子供用の用に小さかったが、普通の椀の半分くらい入れて(見た目が少量になる)食べきるよう勧め、自分で良くなるという心づもりで努力するようきつく父に注意したが、わかったのかどうか分からない。もう自分の事でいっぱいみたいであった。

母は私ばかりに世話をかけると思い、私の住まいに移ってきて(その方がストレスたまるんだけど)チエさんに教えられ、尿取パッドを夜間使用することしたが、うまく使えず漏れてしまった。

その晩は母が来たこともあり、父は安心なのか薬がなくともぐっすり朝まで休んだ。

2日目の木曜は取り寄せのひつまぶしという事もあり、父は平らげ、翌金曜の朝はたいそう気分が良いと言っていたのが、食事をとった途端、喜んだのも束の間午後から反転して父が1週間便秘している事に気づいて一人で浣腸してうまくゆかず、先のような状態になった。

母は知り合いの薬局で尿取パッドの使い方を教えてもらい、色々アドバイスを受け、尿瓶、紙おむつ、敷物と用意した。

今回のように便秘が続かないよう薬も母が管理することになったがよ母が風邪で伏せっている日、一人で近所の接骨院へ行ったが、治療後先生は父が帰宅するまで表で見届け、ご近所のおばさん3人には付いて来てもらい、皆さんにお世話になった。

父は少しでも助かろうとしてあちらこちらの病院へ行き、却って悪くなった。悪循環で食べないから体温が下がり筋力が低下した。本人は風邪から肺炎を起こすことを危惧したが、数年前に肺炎を起こしにくい注射をしていることを忘れている。

結局、ノワタリさんが言われる通り何もしないの一番だった。やっとそこにたどり着いたのではと思う。

私はこの様に書く事でストレスを解消しているのかもしれない。このブログは介護日記になってしまったが。