前回ひどい話を書いてお恥ずかしい。
そのお口直しに...と言うわけではないが、もう亡くなられて久しいが、波乱万丈の人生を送られた潔くてステキなあるお婆ちゃんの含蓄のある言葉を書きたいと思う。
私が生まれる以前、お隣に住んでいたので子供の頃よく遊びに来られていて、祖母にはかわいがられなかったが、私と母はそのおばあちゃんにかわいがられた。
そのお婆ちゃんが晩年、よく話された話である。
その人は子供の頃、実母を亡くし、継母が嫁いできた。シンデレラと同様虐められた。
女学校の入学式を翌日に迎えた夜、すべて入学に必要な物も揃えていたのに、お父さんが継母に言いくるめられ、一転女学校でなく紡績工場に勤めるようになってしまい、泣く泣く女工さんになったと言う。
その悔しさと落胆は想像しただけでも...。
やがて年頃になり、嫁いだ家は盛衰の幅が大きく、ご本人の言葉では
「その頃、余り良くなかったから、私に話が来たのよ。」と、言われたが、元々商才もありしっかりものでよく働かれ、朝鮮戦争時、大口の取引先にお婆ちゃんが気に入られて瞬く間に大きくなったが、その後、そのお婆ちゃんの才覚で次に始めた事業も順調に発展して行き、財産を増やした。そうなると家事を義理の妹をお手伝いに雇い、そういう婦人が集まりいわゆる有閑マダムの会を作り、着物やアクセサリーを競った。
おばあちゃんは
「そんな生活をしてなかったから、してみたかったのよ。」と言われたが、昭和50年代になり世の中が変わって行き、反対に事業は思わしくなり清算される事になった。
その頃、ご主人は病で入院中で、ご本人が立ち会えばよかったのに、娘婿に任せたのが間違いで、人にだまされて数千万残るはずが、反対に借金が残った。
その後数年間、だました相手は当然だが、娘婿まで恨み、殺して一緒に海にでも入ろうかと思ったくらいだったと言って悔み、家の中がギクシャクしていた。
「そんな大事な話しなら、おばちゃんがなんで行かなかったのよ。」と母が言うと、
「ああ、そうだね。私にも落ち度があったんだね。」と言われ、その頃、気苦労が多く病気がちだった母もそのおばあちゃんに誘われ、精神修養の会に入り方の力が抜け、自分の置かれた境遇を恨む事もなくなった。
その後勤めだした娘夫婦の替わりに小学生だったお孫さん達3人のお世話と家事をされた。
「若い頃、妹を使って家事をしなかったから、今させてもらってるのよ。これで人生の帳尻が合うわ。」とにこやかに言われ、残った不動産を活用したりして 借金が無くなって丁度1年後、80歳過ぎで癌になり亡くなられたが、思いは残さなかったであろうと思う。
晩年の口癖は
「人生の収支決算を合わす。」だった。