今日は父の治療法を決めると言う事で病院へ行ったが、変な方向(良い展開)に向いていった。
「本人はもう高齢ですから、家でゆっくりしたいと申してますが、癌センターで見てもらったら?とも思いますが、どうしてよいのやら、高齢ですから進みませんかね?どのくらいの大きさですか?」
医者は写真を見ながら、
「3センチ強です。進むかどうかはわかりません。」
「進行性の癌ですか?」
「細胞を取らないと分かりません。細胞を取ろうにもそれが出来ませんが、癌センターなら、ペットがあるので分かると思います。」
「じゃあ、癌センターで調べていただいて、こちらに帰るということも出来ますよね?」
「行く体力がありますか?」
「それは大丈夫だと思いますが。」
「セカンドオピニオンということもありますが、消化器科に紹介状を書いて連絡を取りますから、あしたご連絡を取ります。」と言われ、電話番号を知らせて帰った。
父は私が強引に癌センター行きを勧めて、医者を怒らせて帰るのでは?と危惧していたみたいだが、話はスムーズに進んだ。
ノワタリさんにも遠隔をして頂いているので、父の手当てをした後 連絡を取ると、
「薬の臭いがしますね。」
「私は飲んでないから、父のですね。」まだ、足の裏からジンジンと出ていた。
「どんな感触ですか?私のほうははっきりしないんです。」と言われる。
「3日目くらいから、反応がありましたが、強烈な痛みはまだ出てきません。」と答え、癌センターで調べてもらう事になったことを伝えた。
しかし、父は良いと言われる事はせっせとし、もうプールには行っていないので病人にならないよう周りからの助言に従って、朝は一人で夕飯後は母と散歩をし始めた。
チエさんの義兄は地元の病院では手術が出来ないと言われたが、癌センターでは体力をつけてから手術するようになったと言われる。
元気だと思っていた父が急にこういう事になり、父も私達も心の準備ができていなかったので大そう慌てたが、多分父は癌だとしてもあまり苦しむ事はなく穏やかに過ごせるのではと思っている。
これまで、癌とか脳腫瘍とかになった友人の娘さんや、姪御さんをノワタリさんに紹介したことがある。いづれも30歳台の方だったが、脳腫瘍の人は入院しても手術が延び延びになり結局、手術をせずに済んだ。この場合、住んでいる所が悪く 家払いから始めたが、最初はとても暗い声だったのがそのうち笑い声までで出した。幼児と乳飲み子を抱えていたので本当に辛かっただろうと思う。
もう一人は少し時間はかかったが、放射線治療をして治まった。
平原綾香のジュピターの歌の事を書いたコメントを頂いたが、その歌の通り、無償の愛を知る為に起きてきたことだろう。