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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

靖国神社

2013-01-20 14:32:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日の12日は久しぶりの東京都内。

東横線と地下鉄を乗り継いで靖国神社へ10時前に到着する。

 その翌日の大雪が信じれられないような抜けるような青空だった。

以前から参拝したいと思っていた神社である。

ノワタリさんのおうちに掛けてあったカレンダーに神社の風景が載っていた。お聞きすると、それはこの靖国神社だった。

亡くなられたご主人のお父さんが9ヶ月の時ルソン島で戦死され、遺骨も遺品もなくただの紙切れとなって帰られ、遺族会に入っていると言われた。

大鳥居でこのブログで度々コメントを頂いたコウイチさんと一緒になりこちらもノワタリさん、そして妹、姪、叔母の6名で参拝する事となった。

境内には古品の市が並んでいて進んでいくと各地の産物を売店がテントを張って並んでいた。

前日、茨城の芋が買えなかったので、種類の違う干し芋を3袋買った後、コシヒカリを使った甘酒をみんなで頂いた。成人式もあるらしく振袖姿の娘さんをちらほらと見かけた。

そうするうちに大村益次郎の像(誤って消してしまって画像が無い)、この神社の設立に尽力され、戊辰戦争などの官軍、幕府関係なく霊を祀る神社を設立と書いてあった。

それを読んで幾分ほっとした。今のテレビドラマなど新撰組を主人公にした物以外勝海舟などほんの数人の幕臣を除いてほとんどの幕府方を無能のように描いている物が多く、私は違和感を持っていた。

とても重い気が流れているのではないかと思っていたが、そうでもなかった。でもノワタリさんは目立たないよう少し離れて小さな声で歌われ、祈られていた。

拝殿の左側のお社に立つと、人気が少ないのもあり重い気が漂ってきた。

ノワタリさんは昨日に引き続き涙を流され泣いている。やはり神社に祀られていると言っても悲しみが漂う。

奥の元宮へ行くと、また一層それが強い。維新を見ず亡くなられた無念さだろうか?ノワタリさんが歌われて出てくると、外で遺族会の人らしき黒や白のコートを身に付けられた年配のご婦人方が数人待たれていた。

その横の鎮霊社をお参りして参道に戻る。遊就館の方には体質的に苦手だったので行かなかった。

以前お聞きした時、「靖国には戦死された英霊だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんなど一般の人たちも出て来てね。」と言われたので、それをお聞きすると、

「靖国は悲しみの神社ですね。亡くなられた人だけでなく、その方々の親族の魂のよ依り代になっているから、その方々の思いが来ているんです。」と言われ、

「昨日から、泣きっぱなしで目が痛いですね。」と、目を瞬つかせたが、今回お参りできた事をとても嬉しく思う。この方々の犠牲の上に今日の日本の繁栄があるので一度はお参りすべきだと思った。

その後、タクシー2台で神田明神へ向かったが、何時もなら大音量で街宣する右翼の車が数台靖国神社の駐車場の入り口におとなしく待っているのを目にした。

神田明神はすごい人だった。境内に入るのも、手を洗うのも、拝殿で参拝するのも並ばなければならず、同じ将門さんでも昨日とは大違いで賑やかで、神社の気を感じる事は出来なかった。

大国主命が祀られ商売繁盛の神様と言う事で大国主と、恵比寿様の被り物をした神主?さんが御祓いをしてくれると言うので多くの人が並んでいたが、本職の神主さんがそんな事をするのかしらと、ひねくれ者の私は思ってしまった。

そんな事は関係なくみんな楽しんでいるようで大人の娯楽みたいで、余りにも多いので人ごみでみんな分からなくなり携帯で連絡を取り合う始末であった。

御神馬も疲れて地面に横になっていた。こんな馬の姿を見るのも初めてだ。奥のお社にご挨拶をして出たが、お稲荷さんが多かった。

何時もなら最終便を取るはずが今回は5時半だったのであまりゆっくりする事もできず、昼食後渋谷へ出る妹達と別れ、ノワタリさん、コウイチさんと叔母に空港まで送ってもらいお茶を飲んで分かれた。

翌日にの便を替えてたら、妹のように大変であった。

妹は欠航で空港に缶詰で、一晩過ごし、姪が翌日ネットですぐチケットを買ったので10時の便に乗る事が出来たが、全日空は4時間待ちだったと聞いた。

おまけに行きも帰りも機種は787だったが全くトラブルもなく帰宅した。感謝である。

 

 

コメント (1)
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