半月足らずで、ノワタリさんが来られる。チエさんともたついては時間が無いので下見に364mの高さしかないが、車で行くのは初めてだったので、おにぎり持参で上がった。
今日はお天気もよく、桜見日和だったがみかんの段々畑の山であるから道沿いには桜は無い。
しかし、箱庭のような景色が見え青い空に緑の海、所々に桜の名所がピンク色に浮き出て綺麗だった。カメラを持っていないのが悔やまれた。
今年はあまり時間差無く梅、桃、ボケ、椿、木蓮、桜と続き目と香りを楽しませてくれる。
目印のタンクまで来た時、タイミング良くこの石鎚神社をよく知っているSからので、
の置き場と表参道を教えてもらい難なくたどり着く事ができた。
無人であるが時々人の手が入っているらしく、荒れては居なかった。門の前に大きな鐘、二人とも突いたが、ゴォ~ンと含みのある良い音である。戦前の貨幣である弐拾五円とか参拾円とか寄付した石がずっと其処まで並んでいた。
社の中にも横のほうに見慣れた名前がずらっと並び寄付してあった。昭和61年とある。まだ地場産業も隆盛で良い時代だったと二人でしみじみ思った。
何時のころにまとめたのかは分からないが、4つの集落の氏神様、お稲荷さんと下の方だけやっと読める薄さで金比羅さん、後不明の祠が二つあった。
其処を清めて祝詞を一つ一つあげて周った。登った時に一つ分かれ道があったが、帰宅して調べるとこの山の名の付いた社であった。やはり私はそそっかしい。
その後見晴らしの良いところでおにぎりを食べていると、後ろから鶯の長~い「ホ~ホケホケホケ」と鳴く鳴き声、結局何度も鳴いたがホケキョとは鳴かなかった。
周囲では此処が一番高い山である。町は小さく、海の中に町を半分にするかのように小さな半島がくねくねと突き出て、まるで海ではなく湖のような景色だった。
帰ろうとすると、軽トラックが1台やってきた。蜜箱を取り替えようとしたが、「もう、入っている。」とおじいさんが作業をやめた。この辺ではミカンの蜜?まだ花は5月だが。
話は変わるが、一番上の桃の写真と3番目のボケの写真に薄くオーブが写っていた。
気になるのでノワタリさんにお尋ねすると、「花の妖精」と言われた。
そのうち、家の横の小さな植え込みでも小でまりが咲き、ジャスミンの甘い香りが楽しませてくれるだろう。
先日図書館で借りたオーブの事を書いた本の中に数枚の写真が入っていた。どれもオーブと靄のようなものが写っていた。
先に借りた人がとり忘れたのかと思ったら、「顔のあるオーブ」のタイトルの所に大きく引き伸ばされたオーブの写真が挟んであったので故意に入れたみたいであった。
しかし、その中の数枚は夜の景色で見たことのあるような景色だったが、3間並んだ家の右端の家の窓と言う窓から靄が上に向かって靄が出ていた。どうもこれは良くない、その場の怨念みたいである。もう一枚は梅の木の上に白い顔が口を開けていた。
夜、外へ向かって写真を撮るだろうか?遅くても夕暮れには何もかもすり替わってしまうので、神社であってもノワタリさんがご一緒の時以外は行かない。
あまり長らく手元に置くのは良くないので、翌日まだ開いていない時間に返却口から戻した。