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Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

榊の力

2011-09-11 20:59:42 | 霊現象

榊は木に神と書くが、本当に木に神の力が宿っていると言う事を実感する事があった。それまでも榊で身を祓い清めたり、お風呂に入れたりする事はあったのだが。

それは1週間余り前、先祖供養のお手伝いをした。

7月に供養のお手伝いをした家の事であったが、その後変化があり10年以上来る事もなかったお孫さんがやってきたことから、母親である長女が普通でない事がわかった。

その娘さんに婿養子を取り戸籍上はその家を継ぐようになっているが10年以上行き来はなかった。おまけに、二人の孫の長男は親戚へまた養子になって戸籍上は別、次男は仕事の関係上出て行ってしまい、旦那さんも仕事場に住んでいると言うことで家族みんなバラバラである。

普通ならば、長男は出さないであろう。

80歳のおばさんは気丈に家を守り続けてきたが、困ってしまいまた、ノワタリさんにお頼みする事となった。

遠隔で娘さんを見ていただくと、山伏の格好をした人が現れたと言われた。その事をおばさんに伝えると、顔色が変り、「もう絶えてしまった私のおばあさんの実家は昔、山伏の家であった。」と言われた。

しかし、血筋の途絶えた家を守るべき人がお墓のある山まで売ってしまい、今は他家へ嫁いだおばさんがお世話をしているとの事だった。それだけ聞いても良くない事は察せられる。

その血筋は男が育たず、孫二人だけが男性であるので余計に心配されている。

お墓山を売ったのは婿養子に入った人だが、その人も自殺してしまったと言う。

ノワタリさんは遠隔で供養をされ、3日めに私がその家へ行き、一緒に仕上げる事となった。

そう決まってから、夜ご神前に御灯明をあげたままにしていると、なにやらパチパチと花火のような音がするので覗くと、消えかけたお光がパチパチと火花を散らしながら消えた。翌朝見ると、煤が付近に飛び散っていた。

2日目の夜も朝はどうも無かったのが、前日よりもひどく大きな音を立てて火花が飛び、敷いている白い布の上に落ちあわや火災を起こす所であったが、あまりにも音が大きいので近くにいたので消す事ができ、焼け焦げですんだ。

こんな事初めてである。何かの警告かしらと思い、もう11時を過ぎていたがノワタリさんに連絡を取った。

開口一番「何か薬飲んでいる?すごい消毒薬の臭い!ホルマリンかしら?」と言われ、「あなたじゃないわね、来てるのね、今回は危ないね。」と言われたので、その家系の事を詳しく話した。

「数珠繋ぎって言葉が入ったわ。自殺はその人だけじゃないわね。」

「あ、榊に御幣が見える。御幣に光と太く書いて○で囲んでそれを身に着けて。」と言われた。

それ以外にいつものお塩とセージの葉、お数珠にブレスと余ったブレスの石も身に付けるように言われた。そしてその晩は4隅に盛り塩をし、お香を焚いてから就寝した。その晩は台風の影響で風が強く、そんな日に火を出したらこの辺一体大火事になって大事に為ってしまい、その後ローソクの火が燃え尽きるまで離れる事が出来なくなってしまった。

翌朝7時に始めるはずが、7月に処分するように伝えた仏像数体は其処にお祭りされていた。道理で先祖供養をした後も二度も其処へいくと何かを憑けていたのがわかった。

それらをお焚き上げするように伝えても聞く耳は持たないず、写メールで送っても処分した方が良いと又、伝えたが、「それでは出来ない。」と伝えると、お不動様と毘沙門天様は「母の形見だから」と言って譲らない。

ノワタリさんは手放しなんだけど言いつつ、その二つだけ御魂入れをしてお祭りする事になった。

しかし、その方のお母さんもその仏像にすがったので決して好い気はしなかった。

先祖供養を終え、毘沙門天様から御魂入れをした。その途中でふっと体がジンワリと温かくなったと思ったら、「毘沙門天様は終わりました。やっていたら毘沙門天様の肩の荷が下りて軽くなりました。」と言われ、引き続いてお不動様をされた。しかし、終えた後「すごい呻き声しかしなかったわ。」と言われた。

そんな事もあり、終えたのは8時半に為っていた。その日はひどく疲れ、仕事にならず翌日曜日も終日ゴロゴロした。でも、榊のおかげでそれ以上の事はなかった。

しかし、伝えた事を守って貰えなかった事にひどく腹が立ち、悲しかったが、する事はしてしまったので、後はご本人しだいだ。

今回のような事は、今までにも幾度かあった。以前仲良くしてた方の家で庭の飛び石の上で話していて、気分が悪くなり帰宅してから横になった。高血圧症でもないのにその時は上が168になっていた。運が悪く2代続けて当主を若くして亡くした家であった。そこでも形見だと言って手放す事は出来なかった。その後、受けてしまうのでその家へは行けなくなった。

形見であっても、不運で泣き暮らしたのであれば、その思いしか残っておらず、マイナスしか発していないのであるが、聞いては貰えなかった。


生き物の魂

2011-08-14 12:07:36 | 霊現象

先日お焚き上げの事を書いた事で、」ノワタリさんから、「青白い火や持ち手の動きは蛇の執念よ。そうやって無念さを知らせたのね。」と言われた。

お盆前に供養が出来てよかったと思う。その事を伝えると、「けりがついた。」という言葉を上から頂いた。何が解決したのだろう?まだよく分からない。

あれから、ノワタリさんの言われる通り母の使わなくなった財布を譲り受けセイジの葉で浄め使うことにした。秋になってから次のものを買うことにした。しかし、ネットで見ているうちに今度はクロコに目が行ってしまった。これもダメであるからお預けとなった。

ノワタリさんはノワタリさんで親しい人がクロコのベルトを買ったと言って見せられたが、1日に3匹の蛇を見せられた後、今度はワニかい?と思ったと言われた。惨い姿の蛇の姿は彼女しか見ていない。

浅間山神社で「忙しくなる」との言葉を頂いてたが、7月から彼女はあちこちの水子供養を頼まれて忙しくされている。これが神社で頂いた言葉の忙しいとは違うと二人とも思っているが。

ただ、普通見えないのでそのままにしておく事が多く、良いほうで祈祷師やお寺さんに任せそれで済んでいると思っている人が多い。しかし、21日間しっかり向き合って自分で供養をしなければならない。この数年以前とは違った意味で、いろんな形で霊魂の存在を知らされる事が多い。100年立とうが、2000年立とうが人の思いは残っている。

あの世とこの世は同時にあり、海綿状に混じり合っていると何かに書いてあったが、それを実感する事が多くなった。

このブログが私達の旅の記録なので彼女に印刷して欲しいと以前頼まれていたが、なぜか以前のものでは途中で消え、左横の部分しか出なかった。今回してみたら印刷できたので、旅の物を印刷した。

その時、気づいたのだが、ツイートしてあるのが数回あった。ごめんなさい。私はツイッターをしていないので何が書いてあるかもわからないままである。


お気に入りのバッグ

2011-08-08 23:34:35 | 霊現象

昨日の夜の事、夕飯後冷蔵庫の冷凍室からアイスを取り出そうとした途端、いきなり肩を押さえつけられたような痛みが左の脇、腰まで走った。

冷凍室に何か良くないものでも?いや、そんな事は無い!午後から図書館へ出かけたが、その時お隣に座ってたおばさんの物を頂いたのだろうか?思案したが、何かは分からない。

お塩と御神酒で払い、シャワーの水を被りながらお払いをし、布団の四隅に盛塩をしてお香を焚いたが、眠れず3時近くまで起きていた。

朝になり、ノワタリさんのお力をお借りする事にして連絡をした。遠隔でエネルギーを流していただいた後「左の肩から腰まで重く痛みがあるんだけど、何も出てこないんです。呻き声も無いし…」そう言っていたら「話していたら大蛇が見えるんです。あなた、心当たりありませんか?動物園でも行くわけないですよね?」そのまま話していると「死んだ大きな大蛇が吊るされているんです。」と言われ、私の視線の先に椅子の上に無造作に置いていた茶色のパイソンのショルダーが目に入った。そういえば、昨日冷蔵庫の横に外から帰って置いていた。

「あの~、バッグじゃないでしょうか。」と言いながら、バッグを作る為皮を吊るして剥ぐ事を想像した。なんと惨い!しかし、私はアクセサリーには興味は無いが、バッグは好きである。それもそのために養殖された物だと書いてあった事を思い出した。電話の向こうでノワタリさんも「見覚えが在ります。」と言われたが、たぶんもう使えないだろうと半分覚悟した。

「どうすれば、いいでしょうか?」

「あのみい様を祀るように、灯明が見えてます。お塩、お水、御神酒をあげて祀ってください。」と言われた。お昼前に小さいテーブルに白い布を敷き、その上にバッグと共の財布を載せ、灯明を点け、気に入って使わして貰った事のお礼を言った。実を言えば、私はたいそうこれが気に入っていてたぶん一生使うだろうと思っていた。

蛇は神様の使いであるから致し方ない事か…

夜になってノワタリさんに連絡を取ると、「あれから、元気のいい白黒の大きな大蛇が出ました。」

「あ~、それは生前の姿で私のバッグは茶に染めてありますから、それが素です。また、海にかえすんですかね?」とお尋ねすると、「いいえ、また灯明が出ていますから、お炊き上げですね。後、たっぷり御神酒を掛けてください。」と言われた。

昼間、母にバッグの事を伝えると、母は私の持ち物を知っているので「要らんのは貰ってあげるよ。」と不思議そうな顔をして言った。

「お母さんにあげてもまた、同じ事になるでしょうね。」と分かっていた事だが言われた。

私は好きなので他にもパイソンのハンドバッグ、蛇のショルダー、後海蛇が3個あるが、すべてお炊き上げをせねば為らないらしい。分かっていて又、蛇の類のバッグを買うと、一度知らせてあるので大変な事になるらしい事も言われた。

「手放しですよ、すべて。もうあなたはその段階に来ています。好きな物から手放しになるですよ。」と言われた。

今度の日曜の朝早く人目に付かないように処分する事を決めた。それまで袋にバッグを入れ、お塩を入れておいて置くように言われた。

しかし、クローゼットの棚の隙間を見るとちょっと寂しく感じた。洋服を処分した時よりは少し切り替えが早くなったかとも思うが仕方ない。

一番人間が残酷だ。生死に係わる食料でもないのに、ただ装飾品の為に殺生をしている。それをありがたがって買っていた私も大バカだ。

こうやって必要のないものを手放していくらしい。たぶん、バッグの類はもう買う事も無いだろうと思った。

しかし、翌朝いつも持ち歩いていたのでさて、財布も含めて何を使うか思案した。


足元の怪

2011-02-04 11:51:26 | 霊現象

事務所の私の席に座ると、いつも寒い。

曰くのある地所だが、4隅に盛り塩、椅子のちょうど後ろには神棚もあることだし高をくくっていた。

チエさんが数日前、「この席に座ると寒いわ。どうしてかしら?」と言う。」そして「いつもネコちゃんあぁ~寒い、寒いと口癖になってる」と、言われた。

今年は例年よりも寒く、ひざ掛けと足元に温風器を置いているのに寒さを感じる。

言われてみれば、足元から寒い風が吹き上げてくる。???なぜ?ドアには遠く、床に穴があるわけでなく、机は三方にガードがあり、風が吹き込む事は無い。

足元の奥に竹墨を盛っているのを見つけた。

これは1年半くらい前に置いた物だ。もう期限切れなのだろう。

案の定取り除いて、盛り塩を置くと寒気を感じなくなった。

しかし、寒さが緩んできたこの数日私は背中がゾクゾクして微熱がでて、背中にホッカイロを張っても治まらず気分が悪い。昨日から、父が金比羅参りに行くので古い札をもって行くと言うので、2キロほど離れた倉庫にお守りを取りに行くと、倉庫の真ん中に盛り塩があるのが目に付いた。

昨年も、行ったはずなのに何故か気づかなかった。

その盛り塩は知り合いの荷物を数年預かっていたので1年半前、出た後置きっぱなしにしていた。

塩一袋を1階、2階ともに真ん中にボール紙をしいておいたが湿気を含んで氷のように硬くなり、紙は3倍の厚さになり、床は湿気でしみになっていた。

墨の事もあり、あわてて塩を置き換えた。15日間ほど置こうと思う。

何事も古いのはマイナスを吸い過ぎて返ってマイナスを出す。期限切れに注意。

 

 

 


デジャブ?

2010-11-17 22:18:39 | 霊現象

5年前のこの頃の寒い日、知り合いのご主人が脳梗塞で倒れた。その知り合いの家は山の中腹にあり、前日の夜麓の店へいつもの事だが単車でパンを買いに行かれた。帰宅してからのご主人の様子がおかしく、表情も無くろれつが回らなくなった。他の町に住んでいる息子さん夫婦に連絡をとり、病院に行ったが既に手遅れで2時間以内であれば、軽く済んだのかもしれないが、寝たきりになってしまった。

「死んだ方がまし」だと言ってリハビリもせずお気の毒に、今も寝たきりである。

その後夫婦は毎日朝夕、犬の散歩に戦国時代に落城した出城跡の付近に行っていた。今から20年位前、私もその場所にミニバイクで走った事がある。みかん畑を走りぬけ、何も無い草原になっていた。そこは城があるだけに町を一望でき、ずっと沖の宇和海まで見渡せる。その先は下りになり、貯水池とその管理の建物があった。

眺めがよく、此処に住んだらいいなと思った時、小さなたて看板が目に入った。長宗我部軍と呼応した隣町の城主とに攻められ落城したいきさつと年月日が書いてある物だった。

呼んだ途端、黒澤明の乱の落城シーンが思い出され、城の入り口付近で血まみれになっている兵士達が浮かんできた。私は大慌てで一目散にその場から走り去った事があった。

そんな事があったので何か憑いているのではと思い、ノワタリさんに連絡すると、お清めするようにと言われた。ノワタリさんにもその天辺の草むらがビジョンで見えていた。

日曜の朝、その場に御神酒、水、塩をリュックに入れ、その年の春ノワタリさんにもらった観音経と祝詞集と鈴をもって出かけた。近くまで車で行き、みかん山を探して歩いた。しかし、その場所が見当たらない。古ぼけたお堂とお墓…その近くのみかん畑の隅に立て看板はあったが、全く景色が違っている。しかし、その墓とお堂の周りを清めた。

たて看板を移動させたのかというと、その下の方に貯水池はあるから変っていないはず、あの草むらは???

納得できずぐるぐると山を回ったが見当たらず、時間だけが過ぎていき、もう10時になっていた。その日は諦めてまた、次の日曜日に出かけた。

八朔相撲がそのお堂の近くにあったのでよく知っていると言う友達がきてくれたが、「貯水池などが出来、子供の頃とは様変わりしてしまっている。」と言ってすぐに帰ってしまった。仕方なく、山の反対側に行くと大きくりっぱな五輪の塔があった。しかし、城主の姓と違うので個人の物だろうと思い其処から離れたが、後で思うとどうもその子孫が作ったものみたいだった。

その近くの林の中に城の石段らしき物が残っていたのでその周辺を清めて帰ったが、気付くと観音経本が無くなっていた。それで誰かの役に立つのであれば良いがと思った。

あの天辺の草むらは何処?現在のたて看板はみかん畑の隅、しかし、天辺ではない。結局解らずじまい。

しかし、その夜ノワタリさんに連絡すると、「また、寒気が…」と言われ、遠隔で霊視されると白装束で残バラ髪の武将の姿が現れ、喜んでいたと言われた。でも、倒れられた方の役には立てられなかった。