京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

野あそびについて(2)

2007年07月25日 | 野あそび(アウトドアも)

平成7年12月12日「日本野あそび協会」設立の時に相馬大先生から頂いた一文です。この考え方を活動の基本としています。長くなりますが野あそびの基本を理解してもらうために書きます。

日本野あそび協会設立に際して   相馬大

「趣意」

人々は、何によって生きていることを、心から実感するのでしょう。子供から、高齢者まで、さまざまな価値観にささえられて生きています。けれでも、生きている実感、それは年齢差ではありません。

「いのちの 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊樫が葉を

髻にさせ その子」       古事記 倭建命

緑の野山は、虫を育て、鳥や動物たちを、はぐくんできました。みんな、生き生きしています。ふるさとに帰られる健康な者たちよ、ふるさとの山の熊樫の葉を、髪にさして、いつまでも元気でいてほしいと、古代人は祈ったのです。 人間も、自然の一員と考え、自然の生命力に、あやかろうとしていたのです。「自然を守ろう」などという、不遜なことを言いません。日本人は、ながく、自然暦によって生きてきました。山にコブシの花が咲くと、田打ち桜が咲いたから、田を耕そうと、鍬を手にしてきました。夕焼けのカラスに、子どもたちが、うたいかけていると、明日は天気だから、仕事のだんどりを、今夜のうちに、決めようとして、大人たちは帰っていったのです。このように、日本人は、自然から、多くの事を学んできたのです。いまどこへ行っても、大都会化の波が寄せてきています。それは、文明と呼ぶ、科学万能主義です。この自然とともにある心、その文化は、文明の波に押し流されそうにしています。その悲鳴が、耳にはっきりと聞こえてきます。私たちは、その声に耳を傾け、この「自然のなかに、日本の姿が見えて来る」ひいては、地球の姿が、世界の人類の姿がみえてくる、祈りをもって設立したのが、「日本野あそび協会」なのです。よろしく、ご支援、ご賛同のほど、おねがいします。

「野あそびの定義と種類」

あるがままに。それは、自然ではありません、桜の枝に、病原菌がとりついて、天狗巣ができます。人間も、樹木を利用するために伐採します。そして、植林をします。自然は、いつも動いています。その自然の姿を、はっきりとみつめ、その自然が素材となる遊びをし、観察したりして、自然の一員であることを確かめていきます。そして、人間の歴史を学び、新しい歴史をつくっていきます。そのために、野あそびは、古来からの伝承あそびと、観察研究によって得られたことをとおしての創作あそびとに大別されます。観察あそび、草花あそび、、、、、その他

「目的」

自然の一員であるために、自然の姿を観察し、手に触れることにより、自然と一体化したいのです。そのために、自然が素材となる伝承あそびの採集と研究、新しいあそびの創作と研究、一般への指導普及をはかることを目的とします。 


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